37.そっくりさん(5)

 パッと烏羽が紫黒から手を離す。身長差がかなりあるせいで、僅かに足が宙に浮いていた彼女はそのまま床に落下した。

 烏羽は――何故か花実の方をまんじりと眺めながら、紫黒が落下したその真下に術式を起動。座り込む紫黒よりやや広い範囲に金色の文字が浮かび上がる。


 ――と、不意に座り込むあちら側の紫黒が顔を上げた。その目は真っ直ぐに花実を睨み付けている。やがて、薄く口を開いた。


「……そっちの私を、大事にしてね」


 痛い程に本心だという事を確認させられる。彼女は本当に『別物』なのか? 自分が召喚した紫黒の言葉を信じたはずなのに、その心が揺らぐ。が、彼女を適切に処理すると言った自分の言葉が消える訳ではない。

 花実の葛藤を満足そうに眺めていた烏羽は、その場の空気など一切読まず、床の術式を何の合図もなく無感動に起動した。


 それは水の針。細く鋭い針に姿を変えた水が、瞬きの一瞬で紫黒を刺し貫く。あんまりな仕打ちに胃の中のものがこみ上げたが、すぐにそれは胃に戻される事となる。


「これは……なに?」


 無数の針に貫かれた紫黒――だったモノの形がどろりと崩れ落ちる。まるで汚い泥のように床にびちゃりと伸びて、そのまま蒸発するように消えて行った。

 混乱する。神使とは死亡時に皆こうなるのか? それとも。


 思考は長くは続かなかった。

 きっちり紫黒だった何かにトドメを刺した烏羽がいつの間にか花実の目と鼻の先にまで詰め寄ってきている。それに脳が追い付かないでいると、巨躯が僅かに折り畳まれ、その大きな手で頬を掴まれた。

 突然の事に何が起きているのか分からず、目を白黒させる。トキメキはない。ただし不健全に心臓が早鐘を打っている。恐らく分類的には心不全とかのそれだ。


 無遠慮に人の顔を掴んだ烏羽は上から下まで花実を観察し、そしてその手を急に離した。それまで無表情だった顔に、とってつけたような笑みを浮かべる。


「――ううん、謎は深まるばかりですねえ、召喚士殿。ええ、こうなる事を他の召喚士に聞いていたのかと思ったのですが……ええ、本当に驚いているようで。貴方とはそれなりの付き合いになりますが、嘘を吐くのは下手クソのようなので、本心から驚愕されているようですねえ」


 合点が行った。今の行動は――データにそんな動きが可能なのかは置いておいて――花実の表情や感情を読み取ろうとしての動きだったらしい。


「いや、人の顔を急に掴むのは普通に失礼でしょ。改めて」

「それはそれは! 失礼致しました。ですが、げぇむをぷれいするにあたって、ねたばれを敢えて踏むと言うのも失礼にあたるのでは? ええ、召喚士殿はどうやら違うようですが……ね」


 ――このゲーム、ネタバレについて厳し過ぎない?

 普通にこんな詰められ方をしたら恐すぎる。相手が烏羽で、圧があるからかもしれないが。可愛い神使に似たような事をされても、やはり落ち込みそうだ。

 否、そんな事よりも。


「え? え、待ってよ……。なに? 神使はみんな、死亡演出が汚泥と一緒なの?」

「はあ? そんな訳がないでしょう。ご自分で考えてみては? ええ、謎を解き明かすのもげぇむの醍醐味ですよ」


 死亡演出が汚泥と一緒、などという謎の雑さではないらしい。烏羽の言っている事は紛れもなく本当の事だ。

 ならば、この紫黒の形をしていた何かは――まさか、汚泥そのものなのか? それにしては仕草も何もかも、召喚した紫黒と大差なかった。分からない。安易に「汚泥が神使の姿形を真似している」とは考えない方が良い気がする。


「――さて、召喚士殿? 機嫌が悪い所、申し訳無いのですが……。ええ、白花はどうされますか? まだ白菫殿と睨み合っているようですが」

「え? あ、ああー……あんまりにも静かだから忘れてた……」


 白兄妹は睨み合っているだけで、互いに殴り合い等には発展していない。冷戦状態である。

 どうするべきか考えていると、耳元でヒソヒソと烏羽が囁く。時々アホ程距離感が狂っているのは何なのか。


「どうされます? ええ、白花も紫黒と同様、始末してしまいましょうか。ええ、あれも汚らしい泥でしょうとも」


 久しぶりにダイナミックな嘘を聞いた。断言が嘘である場合、真実は基本的に対極に位置するものである。それを踏まえた上で花実は口を開いた。


「白菫は烏羽にちょっかいを出される前に、白花を取り押さえるべきだと思う」

「ああ、召喚士殿は本当に私の言を聞き入れない……。ええ、この烏羽、悲しゅうございます」

「じゃあ、嘘吐くのを止めてもらっていいかな……」

「嘘だなんて! 私は本心からそう思っておりましたとも、ええ!」


 凄い、全て嘘だ。いっそ清々しいが、まともに取り合っていては時間が勿体ない。烏羽は無視して、白菫の動向を見守る。

 見られている事に気付いたのか、視線だけ寄越した白菫は申し訳無さそうに眉根を寄せた。彼は言動があまりにも本当なので一周回って少し苦手に思える。これも多分、烏羽のせいだろう。


「申し訳ありません、召喚士様。もう少しだけお時間を頂いてよろしいですか? 白花を拘束しますので……」

「あ、うん。あんまり慌てなくていいから。でも烏羽には気を付けて……」


 この発言のせいで、またも烏羽がギャンギャンと吠えたが無視した。喋っている事の9割はスルーして問題無いからだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る