23.進展(2)

「――おや、見送ってしまわれるのですか」


 若干、残念そうにそう呟いたのは烏羽だ。当然、この台詞は花実が汚泥を討伐しに行った神使達を見送った事に対するそれである。

 勿論ただ待っている訳ではないので、特に烏羽の機嫌は関係無く、これからやる事を淡々と初期神使に伝える。


「いや、今からこっそり褐返達を追いかけて、証拠でも掴んでやろうかなと思って」

「それはいい! ええ、今すぐに出発致しましょう。まさか、ご聡明な召喚士殿が言われるまま、ただ神使の帰還を待つなどとはあり得ないお話でしたねえ。ええ、大変! 大変失礼致しました!」


 大袈裟に謝っているが、申し訳無いという発言は全て大嘘である。自分が悪い、なんて微塵も思っていないのだろう。彼が悪い事をした訳ではないが、口先だけなら謝罪などしないで欲しいものである。

 冷めた目でじっとりと初期神使サマを見つめると、奴は小さく首を傾げた。可愛らしい仕草のはずなのに、大男がやればただただゴツいだけで単純に吃驚する。


「それじゃあ、早速追いかけようか。烏羽、みんながどっちに行ったのかは分かる?」

「それは分かりますが、かなりの速度ですねぇ。ええ、人間というお荷物を抱えていなければ当然ですが……。どうやって追い付くつもりで? 言っておきますが、人間が持ちうる体力という概念を廃した状態でも、貴方様の御御足で追い付くのは不可能です」

「えっ、プレイヤーにも体力って概念あるの? いや、そもそも神使にも数値の概念が見当たらない――」

「おやおや、素晴らしいですねぇ、召喚士殿。貴方様は足の速ささえ考慮に入れなければ、何時間でも走り続けられると。人間ではないらしい」


 通常の人間の話ではなく、ゲーム内システムの話なのだが。そう思ったが、悲しい事に烏羽の言い分は現実世界においては当然の話だったので反論の余地はなかった。現実に限りなく寄せた設定が多いようだし、普通に息切れするくらい走れば、物理的に走れなくなるという事か。これが分からない。

 ――いや待って、それどころじゃないや。もしかして、この作戦って決行する以前の問題が山積み?


「えーっと、何か今から追いかけて神使に追い付く方法ってないの?」

「ふむ。まあ、ここで待っているのも退屈極まりない。ええ、良いでしょう。私が現場まで召喚士殿を運びましょう」

「ふーん、よろしく」

「全く、私に荷物持ちをさせようなど。ええ、そのような事をさせられたのは初めてです」


 酷く嫌味っぽくそう言った烏羽に嘘は無い。人を運んだ経験は本当にないようだ。大丈夫か? 最悪、自分が舌を噛み切るかその他諸々の事情で死亡する未来が見えるのだが。

 現実逃避に意識を飛ばしていると、ひょいとまるで荷物のように持ち上げられた。当然のように両足が床から浮き、ぎょっとして息を呑む。烏羽の提案をかなり気軽に受入れてしまったが、もしかしてこれは大変危険な行為なのでは――

 今更、怖じ気づいているとそれを察したのか、クツクツと意地悪く笑う烏羽。完全に面白がっているし、誰にでも分かってしまう軽微な悪意を滲ませている。


「さて、それでは参りましょうか。ええ、時間が押しております故。それと……口は、あまり開かない方がよろしいですねぇ、はい」


 瞬間、こちらの返事を聞く暇もなく、軽やかに烏羽が地を蹴った。大股で宿から出、そこからは本当の意味でスピード感のある展開だった。走ると言うより、滑空。滑るように、1歩1歩でグングンと前へ前へと進む。足をあまり、地面につかないような走り方で、およそ人間の『走る』という行為とは似ても似つかない。

 上下左右の揺れはあまり無いが、移り変わる景色に目が回る。凄まじい速度だ。確実に車より速い。


「うっぷ……」


 景色に酔ってきた花実はぐったりと目を閉じた。


 ***


「さて、もう現場に着きますよ。召喚士殿、いつまで目を回しておいでで? ええ、人間とは脆い生き物ですねぇ」


 頭上から面白がっている烏羽の声が降ってくる。返事とも呻き声ともつかない声を漏らした花実は、恐る恐る目を開いた。そこには町民が避難してしまい、閑散とした寂しい通りが広がるだけだ。

 神使達の姿も見えず、周囲を見回していると初期神使が補足説明する。


「あの道から右へ曲がれば、神使の誰かがいます。ええ、交戦中のようですね。形容し難い、何かが燃える臭いがします。火気の術を使用したのでしょう。ええ、早速、様子を伺ってみますか?」

「どの神使がいるのかまでは分からないの?」

「分かりかねますねぇ。運が良ければ褐返で当たりかもしれませんよ。ええ」


 確率は3分の1。早速、この場にいる神使の様子を伺ってみよう。一発目で褐返を引ければ、これ以上あの恐ろしい乗り物に運ばれずに済むのだが。

 あの角を右に。足を踏み出そうとした瞬間、やはり何かを企んでいるであろう烏羽から肩を掴まれた。強い力ではなく、やんわりとした、逆に警戒してしまうような力だ。


「え、なに?」

「危ないですよぅ、召喚士殿。貴方、裏切者から命を狙われている可能性があるのを失念しているのでは? ええ、もっと慎重に行動しなければ。その内、あっさりと……なんて事もあるかもしれませんよ。ふふふ……」

「あ、うん。じゃあ、付き添いよろしく」

「んふふふ、ふふふふふ……。ええ、それではこちらですよ」


 何故か足取りの軽い烏羽。花実は首を傾げながら、その背を追った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る