3 面会室の外で

 そして面会室を出るなり、檜山さんは壁に体を預けて大きなため息をついた。


「どっと疲れた……。まったく、アレに君を会わせるべきじゃなかったな」

「でも、オレは帆沼さんと会えて嬉しかったですよ?」

「嬉しいとまできたか。すごいな、君の神経の太さに感動すら覚えるぞ僕は」


 そう言う檜山さんは、きっと繊細な人なんだろうな。そういやずっと帆沼さんに怒ってた気がする。


「僕の器が小さいだけか……? いや、でもあれはなぁ……」


 額に手をやって、ブツブツ言っている。少し心配になって顔を覗き込むと、もう一つため息をつかれて軽く頬をつままれた。


「ねぇ、君ももう僕の恋人なんだからさ。どんなにモーションかけられても、あんなのに引っかかったりするなよ」

「え!? そんなの大丈夫に決まってるじゃないですか! オレが好きなのは檜山さんですよ!」

「そう?」

「はい!」


 自信満々に返事すると、つままれていた頬を離され労るように優しく撫でられた。嬉しくなってその手にすりすりと懐くと、ちょっと驚いたように彼の目が見開かれる。

 その目を、オレはじっと見つめた。……あ、これはキスする雰囲気かな?

 よっしゃ。やった。どんとこい。さっき彼も言ってくれたようにオレは檜山さんの恋人だし、愛はいつだって示したいし。

 けれどそう判断して、オレが目を閉じようとした時――。


「公共の場ーっ!!!!」


 張りのある声と共に、檜山さんの頭がスッパーンと叩かれた。丹波刑事である。


「んもー! いちゃつくのは構わないけど、ここ警察よ!? よくそういう雰囲気になれるわね!」

「痛い。なんですか莉子さん。僕が何したってんです」

「はああん!? あんな破廉恥なことしようとしといてよくもそんなことを! 白髪全部抜くわよ!?」

「いはいいはいやめへくらはい」


 オレの恋人のほっぺが丹波さんにビヨーンと伸ばされている。檜山さん自身はそうされている理由に本気で心当たりが無さそうだったので、慌ててオレは丹波さんを止めに入った。


「すいません丹波さん、オレが勝手に舞い上がってただけなんです! 以後気をつけますからご堪忍下さい!」

「慎太郎君は気にしないで。私もね、何でもいいから八つ当たりしたい気分だったの」

「それもっとダメですよ! 何があったんですか!?」


 そう言ってから、やっと丹波さんの格好に気づく。いつも仕事で見るスーツとは違う、ラフな服装。なるほど、彼女も面会に来ていたのだ。

 そして彼女がプライベートで面会する相手となれば一人だろう。概ね察したオレは、眉をへの字にして答えた。


「……丹波さん。まだ、戸田さんは面会に応じてくれませんか」

「ええ。これ以上私に迷惑かけられないとか何とか言って引きこもり……もとい、絵に描いたような模範囚として服役してるわ」

「戸田さんにも事情があるんでしょうけれど、それは丹波さんも辛いですね。あの人優しそうな人でしたし、おおかた犯罪者の自分が警察官の丹波さんから好意を寄せてもらっちゃいけないだろうみたいに考えてるのかなって思うけど……」

「それよーっ! それっぽいのよーっ! 何よ何よ、私は直接会って話したいことが山ほどあるってのにあの男はーっ!」

「痛い痛い痛い莉子さん痛い」


 猛る丹波さんに、後ろで結んだ髪を掴んで引っ張られている檜山さんである。状況はなおも悪いようだ。


「えっと、えっと、そうだ手紙! 手紙なら受け取ってくれるんじゃないですか!?」

「手紙ぃ?」

「はい!」


 だからオレは必死で丹波さんを押さえながら、彼女に提案した。


「戸田さん、多分丹波さんがどう思ってるから知らずにただ直接話すのを躊躇ってるだけだと思うんですよ! だからここは手紙です! くれた手紙を読まずに捨てるような人じゃ無いでしょうし、少なくとも丹波さんの気持ちは知ってもらえるんじゃないでしょうか!?」

「……んんー」


 検討モードに入った丹波さんの手がパッと開かれて、ようやく檜山さんが解放される。オレはまた檜山さんが被害に遭わないよう背中に隠しながら、うんうんと彼女に向かって頷いた。


「……そうね、ごめんなさい。私、また強引になってたみたい」


 そして、彼女はしょんぼりと肩を落とした。


「戸田君に会えばどうにかなると思って、押して押して押しまくってたわ。彼だって気持ちの整理はまだつかないでしょうし、私に会いたくない理由も分かるのに。……手紙。うん、いい案だと思う。今は引いてみるのがいいのかも」

「引くと言うよりは、別の方向から攻めると言う方が近い気もしますが」

「檜山さん!」


 この人はまたほっぺを伸ばされたいのだろうか。けれど、丹波さんは心得たように首を縦に振った。


「一度引くのも立派な攻めよ。正樹さんの言うことは間違ってないわ」

「攻めるのはいいんですが、どうかほどほどにすべきですよ。あんまりしつこいと怖がられますから」

「正樹さんが言うと重みが違うわね……。まあ、気をつけるわ」


 やっと落ち着いてくれた丹波さんに、オレはほっと胸を撫で下ろした。檜山さんの顔の形が変わらなくて良かった。台形みたいになってたもんな。

 だけど、まだ丹波さんの方には用があったらしい。帰ろうとする檜山さんを呼び止め、彼女は言った。


「正樹さん、例の件なんだけどまた改めて相談させてもらってもいいかな」

「ああー、あの件ですか。今は慎太郎君もいることですし、極力お断りしたいのですが」

「そこを何とか。実は私の方も別件でだいぶ大きな問題を抱えてて……」

「……」


 檜山さんの視線が、チラリとこちらを向く。オレはマジで何の見当もつかなかったので、へらっと笑ってみせた。

 対する檜山さんは一瞬何かに撃たれたみたいに胸を押さえてじっとしたあと、すぐ丹波さんに向き直った。


「……そうですね。話を聞くぐらいならいいですよ。明日午前十時でいいですか?」

「助かるわ! ありがとう、正樹さん!」

「ただし内容を聞いて断る可能性もありますので、そのあたりよくよくご承知ください」

「聞いてもらえるだけで大助かりよ。本当にありがとう」


 丹波さんは、どこか肩の荷が降りたように見えた。そのまま満面の笑みで手を振り、足早に角を曲がって行ってしまう。

 残されたオレは、檜山さんの服の裾を引っ張って例の件とやらを尋ねてみた。


「うーん……あんまり、君には言いたくないんだけどなぁ」


 しかし、檜山さんは渋い顔をした。


「詳しくは明日話すよ。今日はなんだかすごく疲れたし、もう帰ろう」

「そうですね。一時間ちょっとしか経ってないはずなのに、何故か二日ぐらい過ごした気分ですし」

「あの二人といると時間の感覚がおかしくなるな。いっぺんに会うべきじゃないのかもしれない」


 確かに時間の密度がものすごかった気がする。まだ午前中なのが信じられないぐらいだ。

 とはいえ、まだ一日が残っているなら本業をこなさねばならない。現世堂に帰ったら店を開け、お客さんを待たねば。あとはインターネットを通して来る注文を捌いて、仕入れとかも……。

 そうやって指折りタスクを数えていると、ふと檜山さんが頭を撫でてくれた。


「え、どうしました?」

「んー……なんか、君には色々助けられてるなって」

「そうですか? えへへ、ありがとうございます」


 嬉しくなって笑うと、また檜山さんは胸を押さえてうつむいていた。心配になったけど、彼曰く大したことはないらしい。最近の持病だとか。それ絶対問題じゃないか?

 でも、そう言っても檜山さんは首を横に振るだけだった。


「ほんとに気にしなくていいから。えーと……ほら、よく草津の湯でも治らないって言うだろ」

「湯?」

「……なんでもない」

「草津って言ったら温泉ですよね。湯治ですか?」

「なんでもないって言ってる。さあ帰るよ」

「草津の湯……」

「忘れなさい、ただの都々逸だから」


 ――そんで家に帰ったオレは、夜になってスマホで草津の湯について調べて、ひとしきり悶えて、今枕を持って檜山さんのところに突撃しようとしているわけです。行ってきます。

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