8 監禁録・2
――科学者は、とうとうアンドロイドの意識を解き放つ方法を得られなかった。それより先に、彼自身の肉体に限界が訪れたのだ。
こうなれば、彼の精神を解き放つしか延命する方法は無い。だがそれは、アンドロイドの彼女と過ごす日々を終わらせることになる。
そうして悩んだ結果、科学者は一つの答えを出した。
彼は、恋したアンドロイドの体に己の精神を移すことにしたのだ。
だが、これは自殺行為に他ならない。他と完全に隔絶された場所で自我と自我が混ざり合うと、精神は形を保てず拡散されるからだ。
にも関わらず、科学者は恋した彼女と混ざり合う死を選んだのである。
――科学者は、幸せだったのだろうか。無限の旅を捨て、自我すら失ったとしても。それ以上に、彼には求めるものがあったというのか。
少なくとも、アンドロイドは彼をその身に受け入れたのである。
アンドロイドは、もう動かない。
「……どうだった?」
「……おびゃーっ……!」
帆沼さんが問うも、オレはもうぼったぼたに泣いてまともに答えられる状態じゃなかった。
いや無理無理無理。失恋したばっかでこんな純愛ものとか無理。オレだってこんな風に檜山さんと愛し愛される恋をしたい。耳が溶けるほど好きって言われたい。
「アンドロイドは、人を害する命令はきけない。それなのに、科学者を受け入れたのはどうしてだったんだろうな」
「やめでぐだざいぃ……!」
「きっと、彼女だって一つになりたかった。散々自我が無いと周りからバカにされた彼女だったけど、機械仕掛けの回路の中で確かに愛が生まれていたんだ」
「やめでっで言っでるのにぃ……!」
原作者直々の追い討ちに、涙腺が完全崩壊しているオレである。ほんとやめてほしい。泣いちゃうだろ。
「でも、これで分かったろ?」
帆沼さんは、優しくオレの肩を抱いて髪に頬ずりした。
「一つになるってさ、そんな怖いことじゃないんだ。だから慎太郎も、俺と一緒に……」
酷いタイミングだったけど、ここでオレは思いっきり鼻をかんだ。帆沼さんの動きが、笑顔のまま固まる。
申し訳ないなぁと思いつつ、ここでふとある疑問が頭をもたげた。鼻水をティッシュにくっつけたまま、オレは帆沼さんを見上げる。
「……でも、帆沼さんの話とこの漫画のテーマは、全然別物ですよね?」
「え?」
「だって、この話は好きな人と一つになるになる話ですもん。好きな人に愛される為に、誰かと誰かが一つになる話じゃない」
「……」
「オレ、これは心中の話だと思います。帆沼さんは、別にオレと心中したいわけじゃないですよね?」
「……ん、あれ? そうだ、慎太郎の言う通りだな。……んんん?」
帆沼さんは、顎に手を当てて何やら考えているようだった。けれど、やがてため息をついて肩を落とした。
「……慎太郎は、意外とラ・マンチャの男にはなれないんだなぁ」
「ラ・マンチャ?」
「ドン・キホーテのこと。知らない? 騎士道物語を読み耽るあまり、自分を本当の騎士だと思い込んでしまった村の紳士の話」
「ああ。えーと、風車を巨人と思い込んで戦いを挑んだ人の物語ですか」
「そうそう」
帆沼さんは薄く笑うと、オレの口元のホクロを人差し指の腹でくすぐった。こそばゆい。
「憧れの物語の主人公になりきってさ、その世界の中で生きていく。そこでは現実世界の悩みや煩いごとはかき消えて、あまりにも自分の望みに自由で在れるんだ」
「……」
「現実の世界には、正義の鉄槌を下すべき巨人はいない。救うべき姫君はいない。それどころか、自分に騎士の位を授けてくれる人すらいやしないけれど」
ここで彼は、寂しそうに微笑む。
「でも、ドン・キホーテはそれら全てを己の目で見たんだよ。いつか覚める夢だとしても、大勢の人から狂人と称されようとも。彼は間違いなく、彼の憧れた誇り高き騎士たり得たんだ」
「憧れた騎士に……」
「そう。……それでも彼は、結局夢から覚めてしまうんだけどね。だけどもし、本の世界に酔い続け、あまつさえそこで生きていけるなら。どれほどに幸せなことだろうと俺は思うんだ」
……帆沼さんは、本の世界に行きたかったのかな。もしくは、この世界では生き辛い人を本の世界に導いてあげたかったんだろうか。
気になって聞いてみると、彼は少し首を傾げた。
「どうだろ。でも、今どうしたいかと言われたら、俺は慎太郎みたいな子ばっかりの世界に行ってみたいのかもしれないな」
「オレみたいな?」
「うん。……慎太郎は、嘘をつかないからね。言葉の裏を読まなくていいから、楽なんだ」
またも出てきた、“言葉の裏”である。今度こそちゃんと聞いてみたかったけど、帆沼さんはこれ以上の質問を避けるように立ち上がった。
「そうだ、慎太郎。また新しい漫画、読む?」
「え、いいんですか?」
「うん、俺の原作では無いけど。オススメのやつならいくつか持ってきてあげられる」
「あ、でしたらぜひ」
「じゃあ、死ぬほどグロいやつと死ぬほどヤラシイやつ。どっちがいい?」
「え……他の選択肢は……?」
無かった。オレはもう一度、帆沼さん原作の漫画を読み返すことにした。
【三日目・昼】
ベランダに、春の日差しが降り注いでいる。小学生のオレは、檜山さんの膝の上に座って青い空を見上げていた。
「いい天気だねぇ」
火傷痕を引き攣らせるようにして、学生服姿の檜山さんが笑う。
「慎太郎君ももうすぐ三年生だ。だいぶお兄ちゃんになってきたから、僕の膝に座れるのもあと少しかな」
「えっ」
その言葉に悲しくなって、急いで彼の服にしがみつく。そんなオレに、檜山さんは声を立てて笑った。
「ごめん、冗談だよ。慎太郎君がいいなら、いつでも僕の所へおいで」
優しい声と頭を撫でる手に、安心する。そうされていると、なんだか眠たくなってきた。
「僕は、どこにも行かないから」
大好きな人。温かい人。家族や友達とは違う、特別な人。
この心地良い感情は、何という名前なのか。幸福感に包まれながら、オレは考えていた。
「――慎太郎」
低い声に、ぱちりと目を覚ます。顔を上げると、帆沼さんが器を持ってオレの顔を覗き込んでいた。どうやら、また自分は眠っていたらしい。
で、お昼ご飯である。内容はインスタントのおかゆだった。ここでようやく、帆沼さんはそんなに料理が好きじゃないらしいと察する。
優しい夢の余韻を引きずりながら、あまりお腹にたまらないご飯をすする。足りないので、帆沼さんがあっちを向いてる間に自分の器に大量のおかゆを移してやった。
でも怒られなかった。むしろ少食の帆沼さんには助かったらしく、大いに減ったおかゆを見てホッとしていた。もうやめればいいのにと思う。
ぶっちゃけオレも足りないし。お腹空いた。
……檜山さんに、会いたい。
【三日目・夜】
晩御飯は、まさかのスポーツドリンクだった。大いに不満を述べたら、「時間的に買いに行けない。明日の朝まで我慢して」と言われた。それにしたって酷い。
でも、今回の帆沼さんは少し様子がおかしかった。スポーツドリンクを飲みながら、うとうとしていたのである。
「帆沼さん、疲れてるんです?」
「ん……」
「大丈夫ですか? 休みます? スポドリならオレ飲んどきますよ?」
「それはいい、けど……」
「けど?」
ぽすんと帆沼さんがオレの肩に頭を乗せる。そのまま、なんだか不安そうな声で言った。
「……俺が眠ってる間に……慎太郎、どこにも行かない?」
「え……」
……即答は、できなかった。当然だ、だってオレは帆沼さんと(物理的に)一つになる為にここに監禁されている。このままだと、殺されるのだ。
けれど、帆沼さんが眠ればその隙に逃げることができる。家に、檜山さんの元に帰ることができるのだ。そんな考えは、確かにオレの頭によぎった。
けれど。
「……どこにも、行きません」
オレは、きっぱりとそう答えていた。
「大丈夫です。オレは、帆沼さんが目を覚ました時もちゃんとここにいます。いなくなったりしません」
「……ほんと?」
「はい。信じてください」
その言葉を聞いた帆沼さんは、オレにもたれかかったまま安心したように息を吐いた。
「……うん。信じる」
そして、次第に彼の呼吸は深く規則的なものになっていき……。
帆沼さんは、完全に眠ってしまった。
「……」
鉄の扉は、うっすらと開いている。帆沼さんは、鍵すらかけ忘れていたのだ。オレは、しばらく何かに取り憑かれたようにじっとその向こう側を見ていた。
ごくりと唾を飲み込む。緊張で手が汗ばんでいる。動悸は少しずつ早くなり、少しでも鎮めようと深呼吸をした。
(……でも、あそこには行けない)
肩に感じるのは、帆沼さんの温もり。穏やかな心臓の鼓動と、子供の眠るような吐息が聞こえる。いつしかオレは、そんな帆沼さんをかつての幼い自分に重ねてしまっていた。
(どこにも行かないって、言ったのに)
――お別れも言えずに、いなくなった人。赤い夕日。もう会えないなんて信じたくなくて、走って走って彼を探し回った自分。
そんな思い出をまぶたの裏に見ながら、オレは帆沼さんの体を優しくベッドに横たえた。
(……ねぇ、帆沼さん。置いていかれるのは、とても寂しいことですよね)
布団をかけてあげる。それでもまだ眠れそうにないオレは、帆沼さんの分のスポーツドリンクを飲むべく手を伸ばした。
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