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「……でも、まだ信じられません。だって、本にGPSがついてたってことは……」
「紫戸先生はつかさ君の位置情報を知りたがっていた。そうなるね」
ぎゅっと膝の上で拳を握りしめる大和に、檜山は事も無げに返す。
「そして僕が会った限り、彼はつかさ君に敵意を抱いている印象だった。この事から、紫戸先生は何かしらの悪意をもってつかさ君を害しようとしていたと考えられなくもない」
「そんな……どうして」
「君に分からないのなら、僕らに分かるはずもないよ。どう? 二人の不仲に心当たりはある?」
大和はうつむいた。その間必死で心当たりが無いか考えていたが、やがて首を横に振る。
「……わかりません。先生とメッセージでやりとりする時も、何も変わったことはありませんでしたし」
「え、メッセージ? でも紫戸さんって、あなたの担任でも何でもないんでしょ?」
ここでぐいと檜山を押しのけ、丹波が割り込んできた。……ところでこの彼女、刑事でありながら檜山の昔馴染みが相手なので、またしても態度が砕けようとしている。後ろで一つにまとめた髪を揺らし、勝気そうな目を訝しげに細めた。
「なのに、随分と仲良しなのね」
「あ、そうなんですよ。実は紫戸先生、日本史の先生なんですけどね。僕が授業で分からない所を聞きに行った時、いつでも質問していいって連絡先を教えてくれたんです」
「……そういえば、僕に紫戸さんの連絡先をくれたのも大和君だったね」
「はい、今では勉強以外にも趣味の話とかもしたりするんですよ。本当に……優しい先生で」
うつむき、苦しそうに眉間に皺を寄せる。彼としては、信頼のおける教師と友人への凶行犯を同一と思いたくないのだろう。けれどそのアンニュイな表情は、ただでさえ彼が漂わせる色気を一層に強めていた。
そんな彼に、檜山はこめかみを押さえて難しい顔をしている。
「あれ、どうしました?」
「……なんでもない。そっか、じゃあ大和君の方に心当たりは無いんだね」
「はい」
「なら、今動機を考えるのはやめよう。今はあまり時間に猶予も無いし」
檜山は、丹波へと向き直った。
「単刀直入に言います。莉子さん、もし今僕が考えていることが全て当たっていれば、僕らは今晩中に二つの事件を解決することができるかもしれません」
「二つの事件?」
「はい。ですがあまりにも不確定要素が多く……もしかしたら、前提自体が間違っているかもしれなくて」
「間違ってたらその時はその時よ! だって二つもいっぺんに解決するのよ!? 何なら揉み消したげるわ!」
「そういう貴女だから、言うのが怖いんですよね……」
「信じられない。こんな警察官もいるんだ」
「この人はだいぶ特殊だよ。安心して大和君」
真面目な大和には刺激が強すぎる刑事である。……が、丹波の言うことも一理ある。檜山は一つ深呼吸をすると、大きすぎる眼鏡のツルを摘んでかけ直した。
「……分かりました。それでは今から僕の考えを話します。ついては、二人に協力してもらいたいことがあるのですが……」
「そりゃあ私はいいけど、大和君は大丈夫なの?」
「は、はい。僕のことは気にしないでください」
意外にも気丈に、大和は背筋を伸ばす。
「確かに、紫戸先生は僕にとっていい先生でした。でも、もしつかさを襲ったのが先生だとしたら、僕は絶対許せません。ちゃんと罪を償ってもらいたいと思います」
「そうか。君は真っ当な人だね」
「ええ。私と似てるわ」
「そうかな?」
「でも流石正樹さんね。不確定要素が多いって言いながら今晩中に解決できるだなんて、結構な自信だわ」
「……推理じゃありませんよ」
檜山は、皮肉めいた笑みを漏らした。
「僕は、この事件を読んだことがあるだけです」
紫戸太郎は、埃の被ったアンティークの家具が鎮座する自室でうずくまっていた。
――つかさを誘拐しようとしたら、阻止された。そして、GPSを仕込んだ本もまた回収に失敗した。
幸いなのは、本の位置情報が大和の自宅を指し示していることだろう。ああ、きっと彼があの現世堂から本を取り返してくれたに違いない。なんて素晴らしく、気の利いた子なんだろう。
やはり、大和は自分を愛しているのだ。
でなきゃあんな熱に満ちた目でこちらを見ない。何度もメッセージのやりとりをしたりしない。笑いかけてくれたりしない。
確実に彼は自分に気がある。ちゃんと、自分はそれをわかっていた。
だからこそ、あのクソ餓鬼が邪魔だったのだ。幼馴染だか何だか知らないが、大和にまとわりついて自分と彼の時間の邪魔をする。大和も嫌がっているのが分からないのか。
排除しなければならなかった。自分と大和が結ばれる為に、あのガキを徹底的に。
そもそも、小汚い本を渡したで時点で怖気付いておけばよかったのだ。それが図太く大和にしがみつくから、ああして命の危険に晒されることになった。そして自分も、次の一手を考えあぐねる羽目になったのである。
……警察には、まだ疑われていないはずだ。あの場所にいた女が何者かは分からないが、通報されるとしても現世堂の火傷男だけだろう。GPSが示す限り、あの本は大和が持っているのだ。自分に疑いが及ぶわけが……。
「……!」
――突然、がらんとした部屋に着信音が鳴り響いた。テーブルの上に手を伸ばし、音の出どころであるスマートフォンを取る。表示されていたのは、もうすぐ恋人になるだろう彼の名。
冷えた手でメッセージを確認する。その文面を見た瞬間、あまりの喜びで心臓が跳ねた。
『先生の本を取り返しました。お渡ししたいので、今から鳶里公園で会えませんか』
スマートフォンの画面にキスをする。小躍りしながら玄関へと向かう。――ああ、会える。今から会える。本を取り返してくれただけではなく、こんな夜更けに人気の無い公園を指定してくるとは。
分かっている。本の返却は口実に違いないと。そしてそれの意味する所も、自分は理解していた。
彼の想いに、応えねばならない。
殆ど着の身着のままで、男は家を走り出た。
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