7 偶然じゃなかったら

 数分後に救急車がやってきて、オレはつかさの家族として彼に付き添うことになった。


「慎太郎さん、つかさをお願いします!」

「うん、大和君。任せといて」

「つかさに近づく怪しい奴は、全員得意の回し蹴りで撃退してください!」

「オレそんなん得意になった覚えない」


 だけどオレ達の心配をよそに、弟は病院に着いても一向に目を覚すことはなかった。検査を受ける時も、お医者さんから診察を受ける時も、麻酔打って頭を縫われてる時も。すうすうと気持ち良さそうに寝息を立て、何なら時々「兄ちゃん、そのカブよく似合ってる……」と寝言まで口走っていた。何? カブ?


「とりあえず、脳に大きな異常はありません」


 気怠げな壮年のお医者さんは、つかさの頭部のレントゲンを前にして言った。


「殴られた弾みで気絶して、そこから普通に寝てしまったんでしょうね。とはいえ、しばらくは注意してあげてください。何か異変があればすぐに受診するように」

「わ、分かりました」


 淡々とした先生の言葉に、オレはほうと大きく息を吐いた。……まずは一安心といった所だろうか。望んでいた安堵に、オレはベッドに腕を伸ばしてぽんぽんと弟の腹を叩いた。

 ……よく眠っている。オレは母さん似、つかさは父さん似だとよく言われるけど、この寝姿だけは兄弟そっくりらしい。だけどそんな穏やかな寝顔だというのに、今は頭に巻かれた真っ白な包帯がただ痛々しかった。


「傷は、後頭部に一発ですね」


 他方先生は、頬杖をついてじっとレントゲン写真を見ている。


「薬物も使われていない所を見るに、殴られてすぐに気を失ったのでしょう」

「すぐに……ってことは、犯人の顔は」

「見ていないでしょうね」


 ……それはつまり、つかさの証言から犯人を突き止めるのが困難だということになる。

 目線が落ちる。ぎゅっとシーツの端を握りしめる。オレは、腹の中を大きな蛇が這うかのような怒りを必死で抑えていた。

 ――犯人は、誰だ? 誰がつかさをこんな目に遭わせた? 本当にただの通り魔なのか?

 いや、ただの通り魔が誘拐まで企てるとは思えない。だとすれば、やっぱりこれはつかさを狙った犯罪だろう。

 そして、そうなると真っ先に候補に上がってくるのは……。


「慎太郎」


 その時、ふいに病室に響いた声は、煮えたぎった頭に水をかけられたかのようだった。振り返った先の入り口に立っていたのは、もう二ヶ月前ぶりにもなる姿。

 視界が滲む。その人を目にした途端、オレの中でぐちゃぐちゃに絡んでいた糸はするりとほどけていった。


「……母さん」


 言葉の代わりに返ってきたのは、記憶に染みついた優しい笑み。オレは、まるで子供のするように母さんにしがみついていた。








 月が浮かんでいる。肌寒い気温に一つ身を震わせて、オレは家路を急いでいた。

 結局、つかさは母さんが交代して見てくれることになった。それこそ一度実家に帰ることを提案されたけど、オレは首を横に振った。

 ――どうしても許せなかったのだ。つかさを狙った人が。つかさを傷つけた人が。兄として、彼を大切に思う人間の一人として、何としてもこの事件を解決したかった。

 そして、その為には現世堂に身を置く必要があると判断したのである。……思い出したのだ。つかさが襲われた時、檜山さんが丹波さんを呼ぶように言っていたことを。

 もし、これがただの事件なら、わざわざ彼女を指定する必要は無い。すぐに来られる警察を呼んだ方がいいに決まってる。

 だったら、敢えて丹波刑事を呼んだ理由は?


 ――また、VICTIMSが関わってるんじゃないか?


 今の所、檜山さんと丹波さんを繋げているのはあの本だけだ。檜山さんが何らかの手がかりを掴んでいたとしたら、彼女を呼んで捜査してもらうことは順当な流れだと思う。

 だから、つかさを襲った犯人を真の意味で捕らえたければ、VICTIMSを追わなければいけない。オレはそう確信していた。

 ……きっとこれは、思うより面倒くさくて広がった事件なのだろう。たった一冊の本が、人を殺しながら我が物顔でこの街を歩いている。……いや、本は歩かない。本を読むのも人を殺すのも、全て人間だ。

 そしてそれらは、まるで取り囲むようにして少しずつ檜山さんに迫っていて――。


「……?」


 オレは、オレの脳が思いついた言葉に首を傾げた。それから、ゆっくり反芻させる。

 ――取り囲むようにして、檜山さんに迫っている? ……ああそうだ。今の所、VICTIMSに絡む事件は檜山さんの周りで起こっているのだ。そして今回の事件もVICTIMS関連なら、三件目になる。

 ……これは、ただの偶然か?

 でも、もし偶然じゃなかったとして、それはどういう意味を持つことになるんだ?


「……」


 思考がまとまらないまま、現世堂に着いてしまった。檜山さんがいたらシャッターの下から中の光が漏れてくるはずだけど、留守なのか夜の色を零したままだ。

 勝手口に周り、鍵を開ける。静かで真っ暗な部屋を確認して電気をつけると、ちゃぶ台の上にメモを見つけた。

 曰く、「事件現場に行ってくる。ご飯はいらない。もし帰ったら先に休んでて」と。

 ……あの人、またスマートフォンという文明の利器を忘れてたな?


「もー」


 紙を丁寧に折り畳んで大事にポケットにしまう。ただのメモなのに、オレはその手に不思議な温度を感じていた。……こんな状況でも、彼は自分を気遣ってくれている。そう思うと、こわばった感情が和らいでいく気がしたのだ。

 とりあえず、檜山さんに決意表明するのは明日の朝でいいや。そう思ったオレは、コンビニで何か夕食を買ってこようと勝手口を開けたのだが……。


「あ゛ーーーーっ!!?」

「や、慎太郎」


 突如現れた帆沼さんに、全身の毛が抜けるほど驚いた。


「な、な、な、な」


 なんで!? なんでこの人ここにいるの!?

 だけどそう尋ねようとする前に、帆沼さんは薄く笑って教えてくれた。


「一時間前にメッセージ送ったのに、慎太郎から返信が無かったから」

「あ……すいません」

「だから慎太郎に何かあったかと思うと、いてもたってもいられなくて」

「だ、大丈夫ですよ。その……」


 弁解しようとしたけど、真っ白なベッドで眠るつかさの姿を思い出して口籠る。そして、そんなオレの些細を見逃す帆沼さんではなかった。

 ぐいと右腕を引かれる。体が前に傾く。倒れる前に受け止められて、背中に腕を回される。

 オレは、帆沼さんに強く抱きしめられていた。


「ほ、ほほほわっ!?」

「いいから。……何があったか、言って。俺は慎太郎の力になりたい」

「ち、力って……!?」

「……たとえば、話すだけでも、楽になるから」


 ……そうか。言われてみれば、そうなのかもしれない。帆沼さんの善意に甘えることにしたオレは、ぽつぽつとここ最近あったことを彼に話していた。


「……ふぅん。弟が」


 オレから身を離した帆沼さんは、勝手口の戸にもたれかかって頷く。


「それは辛かったね。俺に兄弟はいないけど、慎太郎の身を思うだけで胸が張り裂けそうだ」

「あ、ありがとうございます……」

「可哀想に。……もっと慰めてあげたいな」


 帆沼さんが首を傾ける。目を覆うサラサラの前髪が揺れ、黒い舌ピアスが覗いた。


「ね。家、上がってもいい?」


 耳の横の髪を、彼の冷たい手が梳いた。

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