9 謎解き前の朝

 我ながら、あれだけ昼寝しておいてよくも爆睡できるものだと思う。

 そうしてぐっすり眠った翌朝。階下に降りていくと、昨日の姿のまま店のカウンターに突っ伏す檜山さんがいた。


「檜山さん!?」

「ん……あれ、もう朝……?」

「え、もしかしてずっと作業してたんですか!? 体壊しますよ!」

「朝ごはん何?」

「マイペース!!!!」


 とぼけられたのかガチの天然なのか、マジで区別がつかない。ちなみにオレは後者だと思う。

 ともかく、大急ぎで朝ごはんの準備をした。今日はすぐに食べられるよう食パンだ。


「おいしい」


 そして好き嫌い無くなんでも食べて、絶対おいしいと言ってくれる檜山さんである。好き。早くお嫁さんになりたい。

 でも、少し目を離すとすぐカックンカックン船を漕いでいるのには閉口した。見ていられなくて、オレは彼の肩を掴んで優しく揺らす。


「檜山さん、少し休んできたらどうですか? 今日は大学も休みですし、代わりの店番ぐらいやりますよ」

「ん……いや、いいよ」

「でも、すごく眠そうですよ。そんなに根を詰めて変なミスをするより、休んだ方がいいんじゃないですか?」

「いや、僕はそんなヘマをするような男じゃない。決める時はしっかり決められる男だ」

「それはいいんですが、檜山さん。それジャムじゃないですよ、ティッシュです」


 ジャム用のヘラをティッシュ箱に押し付ける檜山さんに、オレはいよいよヤバいものを感じていた。元がちょっとうっかり屋さんなので、それに睡眠不足が加わるともう手がつけられないことになるのだ。

 だけど、今日の檜山さんは強情だった。


「今日、麩美さんが来られるんだ」


 半分も開いていない目で、彼は言う。


「そしてそれを逃したら、彼女はもう二度と現世堂に来ないかもしれない。だから、可能なら今日決着をつけておきたいと思ってね」

「決着? 殺人の件で逮捕するってことですか?」

「それもあるけど」


 パンを一口齧る。それをしっかり咀嚼して飲み込んでから、彼は続けた。


「麩美さんから預かった原稿には、何かある。僕は奇書を扱う現世堂の店主として、それを真の意味で鑑定しなければならないんだ」

「真の意味で?」

「うん。……本には、背景がある。それを書くに至った歴史がね。そして時に、その物語は肝心の中身よりも重要視されることがある」


 真剣な様子の檜山さんに、オレは黙って話を聞いていた。


「あれは、決して芥川龍之介の遺したものじゃない。けれど存在している限り、必ずそれを書いた者が存在するんだ。そして僕は今回、そこを見極めたいと思っている」

「そう……なんですか? でも、あれはアリバイ作りの為の狂言だったんじゃ」

「勿論その意図もあっただろう。けれど、原稿を芥川龍之介の遺稿と訴えるだけでいいのなら、昨日僕の店を訪れた時点で原稿を回収しても良かったはずだろ? でも、何故か彼女はそうしなかった。それどころか、本物に違いないのだからと更なる鑑定を求めてきたんだ」

「ど、どうしてでしょう」

「分からない。……でも、一つだけ思い当たる節がある」


 ここで檜山さんはまた一口パンを齧った。もぐもぐのんびり味わう彼だったけど、オレは続きが気になってしょうがなくてそわそわとしていた。


「……麩美さんの亡くなったお母さんは、原稿を現世堂に鑑定させろと言ってきたそうだ」


 オレのいれた紅茶を飲んで、檜山さんは話を再開する。


「でも、僕は思うんだ。果たしてそれは真実だったのだろうかと」

「真実?」

「現世堂に鑑定させる。そう判断したのは、本当にお母さんだったのかな」


 静かな声に、ドキリとした。でもオレの頭では、そこから先にうまく推理が発展しなかった。

 そりゃ麩美さんはあれほど怪しいのだ。お母さんの話は丸々嘘で、麩美さん自身が現世堂を選んでいたとしても何らおかしくはない。

 けれど、だからなんだというのだろう。

 現世堂でなければならない理由があったとしたなら? 他の古書店ではダメな訳は? 他の古書店には無くて、現世堂にあるものは?

 考え過ぎたオレの頭は、こんな朝から湯気が出そうになっていた。


「ぐぅ」


 しかしその一方で、とうとう檜山さんは眠気に負けてちゃぶ台に昏倒していたのである。










 午後四時二十五分。西に傾いた陽を真っ黒な日傘で避けたドレスの淑女が、現世堂を訪れていた。

 古い本の匂いに満ちた店内に、フリルを重ねた漆黒のロングドレスはやっぱりミスマッチだと思う。とはいえ、当の本人は全く気にした様子がなかったが。


「お越しいただきありがとうございます、麩美様」


 そして木目の荒いカウンターを挟んで対峙するのは、現世堂の店主である檜山正樹さんである。彼は軽く一礼すると、小さな丸椅子に座るよう彼女に促した。


「まずは、昨日までの非礼をお詫びさせてください。……貴女が帰られてより、小生は改めて遺稿を鑑定いたしました」

「当然ですわ。それで、あれはちゃんと芥川龍之介の遺稿と証明できたのでしょうね」

「ええ。少なくとも、麩美様もご納得いただける程度の結果はご用意できたと思います」


 「ですが……」と檜山さんは、人差し指を唇にあてる。


「それにはまず、貴女の犯した罪について詳らかにせねばなりません」

「は……私の罪?」

「はい。この原稿の真の価値は、麩美様ご自身に緊密なもの。なればこそ、貴女の正体を明らかにせねばこれを読み解くことはできません」


 音もなく分厚い原稿がカウンターに置かれる。麩美さんは、無言でその紙の束を見下ろしていた。


「……ご安心くださいませ。ここは“現世堂”です」


 聞こえるは、まるで人の心に入り込むような穏やかで低い声。


「お任せください。貴女の夢は、今日この場所で終わりにすることができるでしょう」


 そして、幻想にも似た現世堂店主の謎解きが始まった。

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