2 事件のあらまし
事件のあらましは、こうである。
一日前の朝、とある廃ホテルにおいて、一人の男性の死体が発見された。奇妙だったのは、その状態。
彼は心臓をくり抜かれ、喉に大量のダリアの花を押し込まれていたというのだ。
「心臓を……くり抜かれ?」
「はい。とはいえ、直接の死因はそれではありませんが」
たった数日前に起こった事件を思い出してぶるりと震えるオレに、丹波さんは張りのある声で言う。
「被害者の死因は窒息。ダリアの茎の口には湿らせた綿が巻かれてあったので、それが原因だと思われます」
「ふむ、抵抗のあとは?」
「ありましたが、死体は手足が縛られた状態で見つかりましたので」
そう言うと、丹波さんは手元の手帳でサラサラと絵を描いた。X字型の板に、ふにゃふにゃした人が両手両足を張り付けられていて……。
……これ、あれだな。まさか廃ホテルって。
「ラブホテルです」
やっぱり。
「SM系のお部屋があるラブホテルです」
なんで強調したんだろう。
「ですが、こんな大掛かりな殺し方をしたなら、大いに証拠も残っていそうなものですけどね」
檜山さんは店内の監視カメラのデータをチェックしながら、丹波さんに尋ねる。
「直接犯人に繋がるものは出なかったんですか?」
「そうです。状況的に怪しいのは彼女なのですが」
「状況的に?」
「ええ。今回の被害者――堂尾洋(どうびよう)氏は既婚者なのですが、多数の愛人を持っていました。その内の一人が麩美氏だったのですが、彼女は特に気性の激しい方でして。奥様に脅迫めいた文書を送り、警察沙汰になったこともあったんです」
「それは大変ですね」
「故に今回彼が殺された時にも、真っ先に上がったのが彼女の名前だったんですが……」
「……完璧なアリバイがあったと」
檜山さんの返しに、丹波さんは項垂れてため息をつく。
「はい。そしてそれを盾にされてしまうと、我々警察としても令状が取れず、捜査ができなくて……」
「なるほど……と、ごめん慎太郎君。なんか全然カメラ動かないんだけど、このパソコン壊れてない?」
「そんなことないと思いますが」
「しかもよりにもよってまた現世堂が関わってるんですよ? もうやだ、因果もここまで来ると祟りですよ」
「だってほら、ずっと真っ黒な画面のままだよ。もう殆どただの鏡だコレ」
「いや電源切ってるからですよ、檜山さん。オレ代わりますから。やりますから」
「聞いてよ!」
パソコンと格闘していたオレ達は、丹波さんの一喝に「はい」と同時に返事をした。これ以上彼女を待たせるのも申し訳ないので、オレは急いでパソコンを操作し監視カメラの映像を出す。
「……んんん、やっぱどこからどう見ても麩美さんだわね……」
そして丹波さんは、とうとうオレらに対して敬語をかなぐり捨てた。
「で、ここに来たのが朝の九時、と。困ったなぁ、開店と同時かぁ」
「ですね。それから閉店時間の六時までずっと彼女はこの店内にいましたから、アリバイとしては強固でしょう」
「え、お昼は行ってないの? お手洗いは?」
「一切行かずですよ。そりゃ水道水ぐらい、僕も見かねて二、三度出しましたけど」
「水道水……」
丹波さんはドン引きしていたけど、檜山さんにしては気が利いている方だと思う。
そんな会話をしながら、早送りで映像を見る彼女である。けれど時間が進めば進むほど、その眉間の皺は一層深くなっていった。
「……本当に、店内から微動だにしないわね。流石にここまでみっちり証拠として残ってたら、警察としては動けないわ。犯行時刻に丸々アリバイがあるんだもの」
「犯行時刻はいつで、現場はどこなんです?」
「一昨日の午前十時から、午後三時の間。現場はここから車で十分ほどのところよ」
「ふむ……麩美様は、徒歩で来られたとおっしゃってましたね。ここから歩くとすると、一時間ほどかかるでしょうか」
「そうね。だからアリバイは崩せない……っていうか、そもそもこの人はこの店に何しに来たの?」
彼女の問いに、檜山さんはカメラの映像をトントンと叩いた。
「これです、これ。原稿の鑑定に来られてたんです」
「え、麩美さんの書いた?」
「いえ、芥川龍之介の遺稿……」
「大変な代物じゃないの!」
「……の偽物です」
「ええええ!?」
「なので、見ようによってはアリバイ作りの為に僕の古書店を利用したと考えられますね。何せ丸一日粘りましたから」
「ううう、困ったなぁ。やっぱめちゃくちゃ怪しいじゃないのー」
今日は部下がいないせいか、何となく砕けた雰囲気の丹波さんである。ところで、オレは先程から一つ気になっていたことがあった。
「……あの、すいません、丹波さん」
「ん、何?」
「その……さっきから檜山さんに捜査情報を話してますけど、それってそんなに喋ってもいいものなんですか? 普通そういうのって、一般人には隠されてそうなものですけど」
「ああ……正樹さんに関してだけは、少し別なのよ」
丹波さんは口をすぼめると、頬に手をあてて考えるような仕草をした。その視線は、檜山さんを捉えている。
「……言っていい?」
「どうぞ」
「じゃあ言うわね。……慎太郎君、これはちょっと口外しないと約束して欲しいんだけどね。実はうちの組織って、決して一枚岩ではないの」
「はぁ」
「とある派閥によっては、事件解決の為に外部に人を雇って捜査を進めている所もある。警察内部だけで完結させずにね」
「え、それって違法じゃ……!」
「一応表立った時にごまかせる説明は用意してあるけど、限りなくグレーよ。だから口外しないでって言ったでしょ」
「……」
鋭い言葉に、オレは慌てて口を両手で押さえる。けれどその隙間から、そろそろと尋ねた。
「……で、その外部の人ってのが檜山さんなんですか」
「まぁね。それこそ証拠品である古書の鑑定なんかも頼むことがあるし……」
「証拠品として古書の鑑定が必要なことってあるんですか」
「なんでもあるわよ。人間の世界は奇々怪界」
なんとなく、早速ごまかされた気がする。だけど丹波さんは見ていた録画映像に気を取られてしまい、オレも黙らざるを得なくなった。
「……ねぇ、ちょっと。ここで麩美さんが大騒ぎしてるんだけど、何かあったの?」
「どこです?」
檜山さんが丹波さん越しに映像を覗き込む。大きなメガネを中指で押し上げて、深く頷いた。
「ああ、これですか。これは確かあれです、お客様が原稿の端で手首を切ってしまった時」
「あ、ありましたね! 思いっきり原稿を引っ張って、うっかり切っちゃった時のだ」
「あらそう。……あれ、映像に慎太郎君も出てきたわ」
「はい。檜山さんに呼ばれて救急箱を持って来ました」
「麩美さん、突然現れた慎太郎君に心臓止まりそうなほど驚いてるわね……」
「オレずっと静かに待ってたんで!」
えへんと胸を張ると、丹波さんは無言で僕を見上げてきた。そして立ち上がると、何故かオレの頭を撫でてくれた。
「……なんですか?」
「なんかね、ぶんぶん振ってる白い尻尾が見えた気がしたの」
「オレ犬じゃないすよ」
「お手」
「わん」
「いい子」
また頭を撫でられる。ちょっと腑に落ちないけど、少し丹波さんと距離が縮まったのは嬉しいオレであった。
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