12 次があったら
頑張って急いだ甲斐あって、オレは無事講義に間に合った。そして約束通り、午後は帆沼さんの家で漫画談義に花を咲かせたのである。
「……ここ。身を挺して主人公を庇ったヒロインに主人公が激昂するシーンなんだけど、慎太郎はどう思った?」
「えーと、そうですね。普段はあまり感情を見せない主人公が珍しく怒っているのが、展開的にとても熱かったというか……」
――何故か、ずっと帆沼さんの膝の上に乗せられていたが。
え、なんで? なんでオレ後ろから抱っこされてんの?
「今日は寒いから」
なるほど。見るからに寒がりっぽい人だもんな。
だからオレはすっくと立ち上がり、お湯を沸かして湯たんぽを作ってあげたのである。以前ファンの人から貰ったと言っていたのを覚えていたのだ。オレ偉い。
湯たんぽを抱きしめた帆沼さんの表情は前髪に隠れて見えなかったけど、多分喜んでたんじゃないかなと思う。
「……檜山サンのこと、何かあったらいつでも相談してよ」
帰る間際、ドア枠にもたれる帆沼さんはそう言った。「それって恋愛相談してもいいって意味かな?」と思ってしまったオレは大馬鹿者である。絶対違うだろ。
で、檜山さんの家に帰ってきたのだが。
「どした? 僕の顔に何かついてる?」
ちゃぶ台を挟んでご飯を食べながら、檜山さんはオレに向かって首を傾ける。仰る通りじっと見つめていたオレだったけど、ブンブンと頭を振って誤魔化した。
『――檜山正樹は、あまり良くない』。気にしないようにと思っていたのに、例の帆沼さんの言葉はどうしようもなくオレの中をぐるぐると回っていたのである。
言われた時には腹が立ったが、何の理由も無くあんなことも言わないよなとも思う。だから家に帰ってきてからというもの、檜山さんを観察していたのだけど……。
(……かっこいい)
やっぱり、檜山さんは抜群にかっこよかった。白い手袋を嵌めて依頼された本を査定する姿は素敵だし、オレの視線に気付いて笑いかけてくれる姿には心臓が高鳴るし、ハサミと間違えてティッシュを取って、その間に何取ろうとしていたかを忘れる姿にはキュンとするし――。
とどのつまり、オレは檜山さんが大好きなのである。そんな事実を再認識しただけで終わってしまった。
「……檜山さんって、自分の欠点は何だと思いますか?」
だから、ちょっと遠回しに聞いてみることにしたのである。けれど律儀な檜山さんは、こんなオレの唐突な質問にも「うーん」と頭を捻って考えてくれた。
「……そうだな。少しうっかりしてる所とか?」
「少し?」
「他には……えー、本を鑑定するつもりが読み耽ってしまう所とか」
「そうなんですね」
「慎太郎君はどこだと思う?」
振られて、戸惑う。だけどそもそも話題を提供したのは自分なので、ご飯をしっかり飲み込んでから答えた。
「オレも、うっかりしてる所だと思います」
「少し?」
「いや……」
「少し?」
「そこそんなに大事ですか?」
「客観的な視点は大切にしたい」
「じゃあはっきりお伝えしますが、檜山さんは大いにうっかりされてますよ」
「大いに!?」
「え!? もしかしてあれで無自覚だったんですか!? わー、すいません! いやでも檜山さんのうっかりっぷりは正直オレの知ってる人の中でもぶっちゃけ一位二位を争うレベルっていうか!」
「素直な分言葉が鋭利だ。辛い」
やらかしたらしい。しょんぼりする檜山さんにオレは全身を使ってフォローしていたが、ふいに彼は身を乗り出してきた。
「……慎太郎君。どうしたの、その傷」
「え?」
檜山さんの目は、オレの首筋に注がれている。思い当たる節のあったオレは、咄嗟にパシッと手で傷を覆い隠した。
……今朝、帆沼さんに爪を立てられて怪我をした場所だ。でも言えない。言えるわけない。普段はそういうことをする人じゃないし、檜山さんにも心配をかけたくないからだ。
かといって、どう答えていいかも分からないのだけど。言葉に詰まってしまったオレと檜山さんの間に、しばしの間妙な沈黙が落ちた。
やがて、檜山さんは音も無く立ち上がる。
「……そこにいて。薬と絆創膏を取ってくるから」
「ほぇ!? い、いいですよ! そんな大した傷じゃ……」
「いいから。ちゃんと覆っておかないと、お風呂に入る時沁みるよ」
「あ……」
救急箱を取ってきた檜山さんが、隣に座る。仕方なく、オレは頭を傾けて怪我した部分を差し出した。
傷口に、檜山さんの指が触れる。痛さについ呻くと、「我慢して」と優しく囁かれた。
薬を塗られる痛みのあと、親指サイズの絆創膏を貼ってもらう。お風呂から上がったらまた替えてあげると言われたけど、そこまでお世話になるのは申し訳なかったので断った。
「……」
「……」
だけど、治療が終わってもまだ檜山さんはオレの隣から動かなかった。
「……ど、どうしました?」
「……慎太郎君」
彼は、真剣な目でオレの首の下辺りを見つめている。
「ちょっと服を脱いでもらっていい?」
「服!? な、なんで!?」
「肩の所なんだけど、結構な痣が見える。心当たりある?」
指摘されて、「あ」と思い出した。そういえば、鵜路さんに馬乗りになられた時に肩の辺りを殴られていたのだ。朝から痛みはあったけど、目視できない場所だったので筋肉痛か何かと勘違いしていた。
そう伝えると、檜山さんは半ば驚き半ば呆れた顔をした。
「君なぁ、僕のことをうっかり者だって言うけど、そっちだって大概だからね?」
「う、返す言葉もありません」
「ほら脱いで。湿布貼るから」
「いや、それはちょっとオレ自分で……!」
「ここだいぶ貼りにくい場所だろ。僕に任せてくれればいいから」
「ああー! じゃあお風呂! 先にお風呂入らせてください! っていうかまだご飯途中なので! 全部ひと段落するまでお取り置きでお願いします!」
「お取り置きて」
ツッコむ檜山さんを置いて、オレは白米に飛びついた。
……まあ、檜山さんならご飯食べてお風呂に入ってる最中に忘れてくれるだろ。そう思ったからこそ、オレはいつもより時間をかけて食べ、ゆっくりお風呂に入ったのである。
が。
「おかえり。はい湿布」
……いざお風呂から出てきたオレが見たのは、大小様々な湿布をご用意して正座待機する檜山さんだった。
「見たか? どうせ慎太郎君のことだ、また僕がうっかり忘れてるとでも思ってたんだろ。ふふふ、残念だったね。僕はやればできるんだ」
「だからすいませんってば」
「そこ座って」
「ハイ」
オレは大人しく従った。檜山さんの前に座り、いそいそと服を脱ぐ。
そうして痣の状態を確認した彼は、沈んだ声で言った。
「……だいぶ酷く殴られてるね」
「そうですか?」
「うん。お風呂で見なかった?」
「お風呂場の鏡、存在意義が分からないレベルで曇るので……」
「ああ」
「はい。……ッ」
湿布を貼られ、ひんやりとした感触に身を縮める。だからだろうか、檜山さんは後ろからオレの頭を撫でてくれた。
「……ごめんね」
「なんで檜山さんが謝るんですか?」
「オレがいながら、こんな怪我をさせて怖い思いをさせた。……ご両親にも申し訳ない」
「だ、大丈夫ですよ! それに、助けてくれたのだって檜山さんだったじゃないですか!」
「……慎太郎君」
もう一度頭を撫でられる。けれど、次に彼の口から出てきたのは、不思議な言葉だった。
「――ありがとう。もし次があったら、絶対同じ目には遭わせないからね」
「……? はい」
次? 次ってなんだ?
心配してくれるのは嬉しいけど、それは少し過剰じゃないだろうか。
そんなことを思ったけど、口に出すことはなかった。この時のオレは、呑気にも檜山さんに世話を焼かれる幸せに口元を緩ませていたのである。
――だけど数日後、オレはこの檜山さんの予言じみた発言を痛いぐらい思い知ることになる。けれどそれは、また次の機会に語らせてもらうことにしよう。
ブラック・オルロフの誘い 完
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