魔王 対 勇者

 ロズが放った合図と共に、勇者が身を屈めて突っ込んできた。それに応える様に脱力した右腕を左上に切り上げて魔刃を飛ばす。もちろん俺の血であることを隠すため、変身魔法で色は透明な青へと色を変えてある。次いで水平に右へ、最後に左下へと。下向きの三角形を描くように計三つの刃は真っ直ぐ勇者へと放たれた。それに勇者は一瞬驚いた顔をするも難なく剣で捌き、接近するのは悪手だと気付いたのか飛び退いた為二人の距離は依然として二十歩程度を保っていた。その先で苦虫を噛み潰した様な顔をしながら勇者は俺に怒声を投げ掛ける。


「テメェ……お得意の魔法はどうした?早く撃ってこいよ……こういう風によぉ!!」


 勇者が帯電した左腕を払うと、横に落ちる雷が俺へと放たれる。奴の左腕が振り切られる前に好戦形態アグレッシブの強度を瞬間的にハネ上げ、一歩だけ左に移動して躱す。限界まで研ぎ澄まされた感覚の前では、例え稲光であろうが蛞蝓なめくじが地を這うかの如く遅く、避ける事は造作も無い。目標を見失った雷撃は王座の傍を通過し、轟音と共に白壁へ人ひとりが入れる程の穴を作って消えた。勇者は俺が奴の側雷撃テンペストを避けた事に大層驚いたのだろう、その目を見開いていたが徐々にその表情は怒りのそれに変わってゆく。


「何でテメェなんかが……そこいらの雑魚よりも長く俺の前に立っていられる!?無能は無能らしく……さっさと死にやがれ!」


 勇者は激昂すると共に、聖剣の切っ先を俺に向ける。当然距離がある為それは攻撃に何ら繋がることのない動作であるが、その直後に奴が放った言葉を付加すると攻撃などと生易しいものではなく、殺意そのものを表す行為となった。


主雷撃テンペスタス‼』


 驚くことに、勇者は最上位の投射系雷魔法まで会得していた。俺が持っている知識を頭から引き出すよりも速く、その魔法は展開していった。勇者の背後に雷が織りなす魔法陣が六つ、円を描くように浮かぶ。それは徐々に光量を増してゆき、這い廻る雷の量も比例して増える。その様子は陣一つから十重二十重に及ぶ雷撃が繰り出されることを予見させた。やっとのことで俺の頭から引き出された知識によると、雷撃の一つ一つが側雷撃テンペストと同等の威力と速度を誇る為、まさに嵐の如く辺り一帯に破壊の爪痕を残す。先ほどの雷撃一つとっても石造りの壁に穴を開ける威力のそれが百程度襲来するのだ、最悪の場合この城が崩壊する可能性もある。


 ともかく、まともに喰らったら命を落とすことは火を見るよりも明らかであった。が、だからこそこれを無傷で乗り切ることで奴に力の差を思い知らせるのだ。そんなことを知らない奴は勝利を確信して――いや、俺を殺せることを確信して高らかに笑い、奴の背後から夥しい数の雷が放たれた。それと同時に俺は羽織っていた外套の裾を空いていた左手で掴み、ありったけの魔力を流し込みながら自分の身を覆う様にそれを翻す。


 俺の魔力を宿した外套は、宵闇の様な元来の色も相まって大多数の人間が想像する魔王が羽織るのに相応しい物になっていた。本来ならば目に見えない魔力は、常軌を逸した濃度によって黒いもやを形成し、外套全体を薄く覆う。その為姿形が曖昧になったそれは夜の帳そのものであった。


 勇者の放った雷撃の最初の数発は俺から外れ、つんざくような音を立てて床を砕く。みるみる内に俺の体は白煙に包まれ、勇者からは俺の生死が分からなくなっていた。とはいえ、奴は十中八九俺のことを殺せたと思っているだろうが。やっとのことで俺に届いた雷撃は、体の大部分を覆う夜に音もなく溶けていった。そこから数十発雷撃を受けるも、宵闇の衣は焦げどころか煤一つ付いていない。雷撃が止んだことを確認し、外套を翻す為に左手を払いのけると生じた風で濛々もうもうと立ち上っていた白煙は晴れ、俺が掠り傷一つ負っていない事を勇者は知ることになる。


 信じられないと言った表情をする奴に対し、俺は挑発の言葉を告げる。


「これで終わりか?さっき戦った魔王の方が数段手強かったぞ」

「うるせぇ!最大火力のこれを……喰らいやがれぇえええ!!」


 左の掌を天に掲げるようにして叫ぶと、奴の頭上に人ひとり分の大きさを誇る火球が形成される。業火球ファイアボルトだろう。確かに、同等の魔力を注いだと仮定すると側雷撃テンペストよりも火力が高いのはこちらの方だ。奴は何としてでも俺を仕留めたいらしい。掲げていた左手を振り下ろすと、炎の塊は俺にゆっくりと向かってきた。


 俺はそれに対抗するために、魔剣の一部だけを液状に変化させて右へと振り抜くことで、一滴の血を迫り来る火球へと放つ。元来宿っていた魔力で同じ火属性の魔法を発現させた血は小指の爪程の炎と化す。さながらそれは、吹けば消えてしまいそうな灯であった。


 俺たち二人を結ぶ線の中間地点で大小二つの炎はぶつかり合う。端から見れば一方が呑み込まれて終わるはずの競り合いは、逆の結果に終わった。膨大な魔力を宿した灯火に風穴を開けられた火球は小さい爆発を伴って破裂し掻き消えた。そこから表れた勇者の顔は、唖然としていた。


 俺はその隙を捉え、一足で二十歩ほどあった距離を0にすると同時に斬りかかる。虚を衝かれた勇者は慌てて聖剣で受け止めるも、当然一手遅れての対応になる。十回も打ち合わない内に俺の振るう魔剣が聖剣を天高く弾き飛ばす。勇者の手を離れたそれは風切り音を立てながら回転し、奴の遥か後方の床に突き刺さった。


 俺は白銀に輝く魔剣の切っ先を奴へと真っ直ぐ向け、一言だけ告げる。


「……勝負ありだな」


 勇者は、その音が聴こえるほど強く奥歯を噛み締めて悔しがっていた。

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