胸に秘めた傷は、消せない絆

 シャーリィ殿下は、静謐な面持ちでこちらを見つめている。


「で、あるか。」


 総十郎は、なにやら思案しているようだった。その沈黙にはどこか憂いがあった。


「フィンくん。」

「はい、ソージューローどの」

「あゝ、固い固い。気軽に総ちゃんとでも呼んでくれたまえ。」

「了解でありますソーチャンどのっ!」

「う、うむ……。」


 咳払いひとつ。


「それでだな、見たまえ。あそこに見たことのない生き物が漂っておる。」

「えっ、どこでありますか?」

「ほれ、あの巨木の前に。」


 見ると、半透明の細長い体に、多数のヒレを備えた生物が、まるで水中にいるかのようにゆったりと身をくねらせ、漂っていた。

 体を透かして、内部で光の粒子が循環しているさまが確認できる。

 思わず感嘆の声が漏れるほど不思議な生き物だ。フィンの遺伝子の空白領域イントロンに刻印された生物学の常識では、あのような進化は説明不可能だ。


「おっきいであります!」

「それに柳のごとく美しいな。リーネどの、あれは?」

「え、あ、あぁ! あれは翼蛇ヨクダですね。架空質の体で精霊力を捕え、代謝し、命を繋ぐ生命です」

「架空質?」

「クレイスの角もそうですね。触れてみてください」


 フィンは鞍についた取っ手をしっかり握って身を伸ばし、角に触れようとした。


「あれっ」


 手は何も触れることなく、宙をかいた。


「ほう、面妖な。」


 総十郎も手を伸ばすが、結果は同じだった。確かにそこに見えるのに、触れられない。


「精霊力に直接触れるには、このような特質を備える必要があるのか。興味深いな。」


 フィンは異世界の驚異に、うきうきと心が高揚するのを感じた。

 同時に、背中に触れる安心感に、気持ち体重を預ける。

 ははうえに抱き締められた時と同じ温もりと安らぎが、フィンに年相応の無垢さを蘇らせようとしていた。


 ――だけど、自制する


 自分は正義と責務に身命を捧ぐ軍人である。そして軍人は民間人を庇護せねばならない。この人がたとえどれほど常識外れの力を持っていようと、それは変わらない。ソーチャンどの以外の人たちも同様だ。この場に軍人は自分ただ一人のみ。実力うんぬんではなく、筋道の問題として、彼らに頼ってはならないし、甘えてはならない。

 いざとなれば、この優しい人たちの盾となろう。小官が、今度こそきっと守り抜こう。

 フィンは、静かにそう決意した。

 アバツ・インペトゥスの最期の情景を、痛みと共に胸に鎮めながら。


「ちょっとおおおおおおおおおおおッッ!!!! ひどくなァい!? さっきからこの超天才の扱いひどくなくなくなァい!?」


 機関銃じみた足音が近づいてきた。二頭の樹精鹿に追いつき、並走する。

 手足が扇に見えるほどの速度で振られ、蹴り砕かれた苔の塊が後方に跳ね飛んでゆく。


「そうは言っても黒神よ、貴様には乗馬の心得などあるまい?」

「じゃかしいわぁ!! 三人くらい乗れんだろうがその鹿ァ!!」

「自分の目方を鑑みよ。クレイス氏が哀れである。」

「あ、あの、小官が代わるでありますよっ!」

「いらねーよ!! 野郎と相乗りする趣味はねーよ!! むしろそっちに乗せろおっぱいゴリラこの野郎!!!」

「ゴリラというのが何なのかわからんが馬鹿にされているのはわかるぞ!! リーネ・シュネービッチェンだ無礼者め!!」

「はいはいおっぱいおっぱい!! お前の後ろ空いてんだろうがどう見てもスペース的に!! 乗せろやこの野郎!!! そしてエロくない、まったく全然エロくなんかない手つきで後ろからしがみついてやりますよデュヘへへへへ!!!!」

「うぅ~~~~っ!!」


 馬上から繰り出された石突を、烈火は軽くのけぞってかわした。


「そう何度も喰らうかよバーカバーカ!! やーいお前のおっぱいホルスタイ~ン!!」

「そ、そんなに言わなくてもいいじゃないかっ! これでもちょっと気にしてるんだぞっ!」

「は? 何言ってんだバァーカ!! 最高だっつってんだよバァーカ!! 胸を張れバァーカ!! そしてもっとよく見せろバァーカ!! ていうか貧乳のほうのエルフてめえこの野郎いいポジションに落ち着きやがってこの野郎首筋におっぱい当てて枕代わりかこの野郎畜生うらやましすぎる!!!!」


 シャーリィ殿下は余裕の表情で、より深くリーネの乳房に寄り掛かった。もにゅん、と柔らかく歪んで、主筋を歓迎する。


「ぬぐおおおおおおッッ!!!! どーだうらやましかろうここはわたしの特等席だ的な笑みで見下しやがって貧乳のくせに!! 貧乳のくせにこの超天才を見下しやがって!!!! 貧乳のくせに!!!!!!! 貧乳のくせに!!!!!!!!」

「ええい、無礼者がッ!! 殿下はこれからの御方だッ!!」


 横薙ぎに振るわれたハルバードが烈火のアゴを打ち抜き、やかましい声と共に後方に吹っ飛ばしていった。

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