第26話「助けてくれて、ありがとう」
『秋村二尉、槌野二尉、大津留三尉でヤツを仕留めろ。太田黒三尉は援護だ』
隊長の指示を聞いて、二人が来ていることを知った。
『支援分隊の援護はない。だが、逆に言えば多少の無茶をしても誰も死なない』
5体のレベル4はどうしたのか、長宗小隊長や他の支援分隊はどうしたのか、聞きたいことはいくつもあるが全て後回しでいい。
ヤツを倒して、話をするのだ。
いつか太田黒三尉が言っていたように、自分たちには時間があるのだから。
『壁のことは気にしなくていい。私が守る。思い切りやれ』
両手に伝わる熱が、徐々に弱くなっていくのを感じた。
高藪隊長の方を仰ぎ見れば、同じく気づいた様子で頷いた。
『間もなく熱線が途切れる。それを合図に切り込め。ヤツはエネルギーが枯渇している』
エネルギーを取り込もうとしてそれが叶わず、さらにそれまでよりも強い威力で熱線を吐き出した後だ。
これまでに取り込んだ全てのエネルギーを使い果たしていてもおかしくはない。
『大津留三尉が体を張って作ったチャンスだ。無駄にするなよ』
油断はできない。
だが、最大のチャンスであることに変わりはない。
ここで、決着をつけるのだ。
弘華は盾を解いて、今度は全身に集中した。血が戻り、傷が塞がっていく。
9ミリ拳銃のマガジンを交換してから右手に握る。左手にはナイフを。
左足を引き、両手を地面につけて、腰を持ち上げる。
熱線が途切れると当時に、真っ赤な血が地面に落ちる。
それを合図に、スタートを切った。
後ろから、同じく二つの気配が駆け出したのが分かった。
槌野二尉と秋村二尉だ。
止めは二人に任せる。弘華は、二人が切り込むための道を作るのだ。
ヤツに向かって、グングン加速する。
ヤツが苛立って唸り声を上げ、足元の瓦礫を弘華の方に投げてきた。
それを避けるために大きく足を踏み込んだ。
そのまま、今度は斜めに踏み込む。
曲線を描くように助走する。
少しずつ大きくなる歩幅。リズミカルにテンポよく。
助走の途中に弘華を振り払おうとしたヤツの腕を、太田黒三尉の狙撃が阻む。
必ずそうしてくれると、信じていた。
最後の一歩を、ヤツに背を向けて大きく踏み切った。
弘華の体が大きく飛び上がるのに釣られて、ヤツの視線が追ってくる。
空中で目が合った。
今度は外さない。
右手に握った9ミリ拳銃で、その両目を狙った。
2発の弾丸が、ヤツの眼球を貫いた。
今度は、落下の勢いのままにヤツの頭に取り着く。
その眉間に銃口を押し当てて、6発、撃ち込んだ。
その弾丸は硬い頭蓋骨に阻まれるが、ヤツが痛みに悶絶する。
弘華の体が振り払われる。
その直前、渾身の回し蹴りを打ち込む。
ヤツの首が傾いで、それに釣られて身体も倒れそうになる。
すんでのところで持ち堪えたようだったが、これで十分だった。
弘華の目前に、美しい曲線を描く白い刃が躍り出る。
槌野二尉の刀が、頸を捉えた。
だが、その硬い装甲に弾き返される。
『畳みかけろ!』
次いで、秋村二尉も頸に切り込むが同じく弾かれた。
ヤツの咆哮が耳を擘く。
三人に向かって、再び熱線が放たれる。
それを避ければ、熱線は壁に向かっていく。
だが、高藪隊長がいる。
真っ赤な盾が、熱線を防ぐ。
ヤツは熱線の威力も照射時間も保つことができない。
破れかぶれか、その角度を変えながら何発も熱線を放っていく。
その全てが、高藪隊長の盾に阻まれていく。
『頸に亀裂! やれる!』
秋村二尉が叫ぶ。
確かに、ヤツの頸に亀裂が見えた。
二人の斬撃が効いている。
エネルギー不足が、装甲にも影響しているのだ。
再び、弘華を先陣に三人で肉薄する。
熱線を放つヤツの身体を駆け上がって、その後頭部に踵を落とす。
無防備な頸が晒される。
そこへ、槌野二尉が、秋村二尉が、斬り込んだ。
秋村二尉が、頸に刃を当てたまま、さらに力を込める。
『大津留三尉!』
呼ばれた意図は、すぐに分かった。
秋村二尉を振り払おうとする両腕を、槌野二尉が斬り落とす。
弘華は、もう一度大きく飛び上がった。
さっきよりも、もっともっと高く。
両足に集中する。
落下しながら、両膝を畳んだ。
斬馬刀の刃の峰に届くその瞬間、両足を鋭く突き出した。
足の裏に、細胞が壊れていく感触が伝わる。
刃が、ヤツの頸に食い込んでいく。
弘華は、9ミリ拳銃の最後の一発を撃った。
斬馬刀の峰を捕らえた弾丸が、最後の勢いを生む。
秋村二尉が、刃を振り抜いた。
重力に逆らうことなく落下していく弘華の瞳には、確かにヤツの頸がその身体から離れていく姿が映った。
地面に両手をついて一つ息を吐き出してから白い巨体を見上げると、斬り落とされた頸から順に、その身体が真っ黒に染まっていった。
『ヤツの沈黙を確認。よくやった。作戦終了だ』
高藪隊長の声に、ようやく緊張が解けた。
思わず地面にへたり込む。
倒したのだ。
ヤツを。
守り抜いたのだ。
ポンと、肩を叩かれた。
秋村二尉だった。
「ご苦労様です」
言いながらも、彼の目は弘華を見てはいなかった。
その視線は北添一尉と日塔三尉、そして第2小隊の仲間たちが焼かれた方に向けられていた。
思わず、その手を握った。
秋村二尉は少し驚いて目を瞠ったが、振り払うことはしなかった。
弘華の手を握り返して、俯いた。
小さな水滴が、一つ、二つ、三つ。
地面を濡らしていく。
その手を握っていることしかできない。
丸塚が弘華にそうしてくれたように。
だが、今の彼にはそれが必要なのだ。
* * *
隊員がほとんどの子供を抱え上げることができたので、避難用の車両までは一気に辿り着いた。
洗川一尉は小さな子供ごと職員を抱え上げて、三度往復した。
全員が避難用の車両に到着し、康則が中央区画に取って返そうとした頃、その報せが届いた。
『レベル7の沈黙を確認』
第8小隊も既に戦闘を終了して救助活動に合流している。
これで、仙台地下に侵攻していた全ての白色巨大生命体を倒したのだ。
周囲の隊員から歓声が上がる。
「母さん!」
その歓声を遮ったのは、男性の悲痛な叫び声だった。
声のした方を見れば、救助した保育園の職員の一人が倒れ込んでいた。
すぐさま衛生科隊員が駆け寄る。
女性は肩から背にかけて大きく肉がえぐれて、大量の血を流していた。
「崩れた瓦礫から子供を庇ったんだ。間に合わなかった」
洗川一尉が喉の奥から言葉を絞り出すように言った。
傷の具合と脈を診た隊員が、眉を顰めて首を横に振った。
まだ息はあるように見えるが、助けられないという意味だ。
「母さん……」
「子供たちは?」
呼びかけに答えたのは、蚊の鳴くような小さな声だった。
「みんな無事だよ」
それを聞いた女性は小さく微笑んでから、すぐにピクリとも動かなくなった。
衛生隊員が瞳孔反射を確認してから、女性の両手を胸の上で組ませた。
母さんと呼び続ける男性の頬を、溢れる涙が濡らしていく。
その様子を見ていた子供たちからも、すすり泣く声が聞こえてきた。
ただ、立ち尽くすことしか出来なかった。
守れなかったのだ。
通路の先から声がした。
誰が来たのかは、確かめなくても分かった。
先頭を駆けてきた少女が、丸塚を見つけて立ち止まる。
だが、すぐに尋常ではない雰囲気を察して眉を顰めた。
丸塚がつい先ほど息を引き取った女性に視線を向ければ、少女もそちらに気づいて目を見開いた。
「そんな」
少女の唇が震える。
一歩、また一歩と女性に近づく。
ついにはその場に崩れ落ちてしまった。
康則は少女に駆け寄った。
今度は、一瞬も躊躇わなかった。
彼女の信頼に応えることが出来なかった。
それに、今どんな言葉をかければ良いのか分からない。
それでも。
彼女の傍にいなければ。
震える肩を抱き締める。
そうすれば、少女の瞳から涙が溢れた。
悔しいのだ。
守り切ることが出来なかったことが。
悲しいのだ。
人が死んでいくことが。
その肩を撫でて、伝える。
我慢する必要はないのだと。
少女の瞳から止めどなく涙が溢れる。
喉の奥から嗚咽が漏れる。
握った拳を、何度も地面に叩きつける。
その肩を、ただ抱きしめることしか出来なかった。
不意に足音がして顔を上げれば、小さな少年が立っていた。
避難する列の先頭を歩いていた少年だ。
少年が少女の手を取って顔を覗き込んだ。
「ごめんなさい。助けられなくて」
少女の震える声に、少年は首を横に振った。
「ありがとう」
弾かれたように少女が顔を上げる。
「助けてくれて、ありがとう」
少年はそれ以上は何も言わず、少女を抱きしめた。
小さな体で、めいいっぱいの力をこめて。
少女の瞳からこぼれ落ちた大粒の涙が、少年の肩を濡らす。
「ありがとうございました」
震えてはいるがしっかりとした声は、母親を亡くした男性のものだ。
「あなたのおかげで、母は子供たちを守り抜くことが出来ました。務めを果たしたんです」
少女は黙って頷いた。
「胸を張ってください」
少女の両腕が、小さな体を抱きしめた。
彼女が救った命が、確かにそこにあったーー。
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