第8話 「格差」

 二人は電車で二駅先の商業区画に来ていた。

 弘華が昼食を外で食べたいと言ったのだ。


「私はこの服しかないからしょうがないけど、どうして丸塚さんも制服なんですか?」


 多くの商店や飲食店が軒を連ねるメインストリートを歩きながら、弘華は聞いてみた。


「自衛官は、外出時はプライベートであっても制服着用を義務付けられている」


 話しているそばから、道の向こうを制服を着た自衛官が歩いているのが見えた。


「君の服も、制服だ」


「え?」


 弘華が着ているのは、濃紺の詰襟の上衣と共布の膝が隠れるくらいの長さのタイトスカート。丸塚が着ている制服とはデザインが異なるように見える。


「便宜上、防衛大学校の制服を着てもらっている」


「防衛大学校って?」


「自衛隊の指揮官を育成するための大学だ。大学といっても、今は課程が2年に短縮されているが。卒業すると、三尉に任官される」


「三尉は、階級?」


「そうだ。二曹の上に一曹、曹長、准尉、その上が三尉だ。三尉以上は、ある程度の指揮権を持つ」


「でも、私、高校生だよ?」


「特殊隊員は初めは三尉に任官される決まりなんだ」


「どうして?」


「ヤツとの戦闘においては、実質部隊を率いることになる。実戦に出る前に、戦闘指揮の講習や訓練があると思う」


「それじゃあ、丸塚さんより偉くなっちゃうの?」


「そうだな。俺は一般入隊だから、曹長より上に行くには選抜試験を受けて一般幹部候補生課程に進まないといけない」


 そこまで聞いた弘華は頭の中が混乱していた。

 それが表情に出ていたのだろう。丸塚がハハっと軽やかに笑った。


「別に覚えなくても大丈夫だ」


 さっきまで少しつり上がっていた目尻が和らいでいる。彼の父親も、そのキリッとした目元のせいで、『仏頂面』とよく呼ばれていた。その目元にシワを寄せて笑う表情が、弘華は好きだった。


「……顔に、何かついているか?」


「ううん。なんでもない」


 弘華は、慌てて目を逸らした。恥ずかしさに顔が熱くなる。


「大丈夫か?」


「大丈夫。あ! あそこのお店にしよ!」


 誤魔化すように指さしたのは、小洒落た洋食の店だ。『パンケーキあります』の文字が魅力的だ。


「ああ」


 店に入ってすぐのところに、タッチパネルが置いてあった。そこに人数を入力すると、番号が表示された。

 番号が書かれた席に座ると、すでにおしぼりとお水が置いてあった。


「店員さんは?」


「厨房にはいると思う」


「注文とか、どうするの?」


「これで入力すると、無人ワゴンが持ってくる」


 丸塚が手にとったタブレットには、色鮮やかな写真が添えられたメニューが表示されている。


「へえ」


「昔は違ったのか?」


「タブレットで注文する店はあるにはあったけど。でも、お店に入ると店員さんが席まで案内してくれるし、注文も店員さんが聞いてくれるところがほとんどだったよ」


「そういう高級店には入ったことないな」


「高級店?」


「ああ。富裕層が住んでる階層には、そういう店があるって聞いたことある。何にする?」


 話しながらも器用にタブレットを操作して自分の注文を終えてしまったようだ。


「えっと、私、ドリア」


「デザートは?」


「……食べる」


 弘華が小さな声で答えると、また、丸塚の目尻にシワが寄る。

 子供っぽいと思われたのかもしれない。大人びた服を着ていても、弘華は17歳の高校生だ。


「富裕層って?」


 弘華は、誤魔化すように尋ねた。


「日本は、地下に潜っても資本主義を捨てなかったんだ。地上にいた頃よりも格差は広がってるって、誰かが言ってたな」


「格差?」


「ああ。端の方には、そういう人たちが暮らしてる」


 丸塚は言葉を濁したが、つまり、貧しい人たちが暮らす場所があることは弘華にもわかった。


「端の方って?」


 弘華が素直な疑問を口にすると、答えは正面ではなく真横から聞こえてきた。


「岩盤が硬いとかで、それ以上は掘り進められないところ。そっから先は開発が進まねえから、掃き溜めみたいになるのさ」


 急にテーブルの横から割り込んできた声に、弘華はびくりと肩を震わせた。


「よお。丸塚」 


「門山か」


「お前、生きてたんだな」


「そっちこそ」


 門山、と呼ばれた男は、ささっとと丸塚の隣の椅子に座ってしまった。

 もう一人、一緒にいた男の人も、ペコペコしながら弘華の隣に座る。口元がニヤついているのが気になった。


「おい」


「他が空いてないんだ。いいだろ」


 確かに、店内は混み合っていて、他に空いている席はないようだ。


「いいか?」


 丸塚は、小さくため息を吐いてから、弘華に確認した。


「うん」


 内心では緊張したが、断るのも悪い気がして、弘華は小さく頷いた。


「同期の門山盛夫。そっちは?」


「同じ班の猿橋一士」


「猿橋俊弘であります」


 猿橋と呼ばれた男は、ヘラりと笑った。

 その二人は、丸塚と同じ制服を着ているが、丸塚と比べてよれっとしている。


「そちらは?」


 聞かれて、弘華はどきりとした。どう答えればいいのかわからない。


「親戚だ」


 慌てる弘華の代わりに答えたのは丸塚だった。


「もうすぐ卒業だからパンケーキ奢ってくれって」


「ふーん」


 門山は、緊張する弘華の顔を舐めるように見てくる。

 正直、不快だ。

 弘華は、大人の男の人から、こんな風に見られたのは初めてだった。


「出よう」


 短く言って、丸塚が席を立った。


「おい。久々なんだから、ゆっくり話そうぜ。食事もまだなんだろう?」


「いい。頼んだものは、お前らにやる。行こう」


 丸塚は、優しい手つきで弘華の手を握って立たせた。

 そのまま、二人の男には一瞥もやらずに、さっさと歩き出してしまった。

 弘華は、慌てて二人に会釈して、丸塚について行った。

 店の外に出て、少し歩いたところで、ようやく丸塚が止まった。


「悪かった。断ればよかったな」


「大丈夫」


「大丈夫じゃない。嫌なことは嫌だって言ってくれ」


 握ったままの手から、じんわりと温もりが伝わってくる。


「ちょっと、嫌だった」


「すまん」


「ううん。あの人たちだけじゃなくて。みんな、じろじろ見てくるから」


「そうだな。……昼飯は何か買って、そのへんの公園で食べようか」


 この状況でも、『外で食べたい』と言った弘華の気持ちを尊重してくれることが、素直に嬉しかった。


「うん」


 沿道のサンドウィッチ店で夕食と明日の朝食を買い、その隣のコーヒースタンドで弘華には甘いカフェオレを買ってもらった。

 駅前の公園はなかなかの広さで、芝生の広場や遊具、花壇には花や木も植えられている。

 二人は花壇のレンガに座って、サンドウィッチを食べながら話した。


「防衛大学校の定員は、毎年30名くらいで、もっと少ない年もある。今のこの国では、一番のエリートなんだ」


 つまり、その制服を着ていたので、物珍しくてじろじろ見られていたのだという。

 確かに、丸塚と同じデザインの制服姿の人は何人も見かけたが、詰襟の制服の人は男性も女性も見かけることはなかった。


「自衛隊の制服着てるだけでも敬遠されるから、防大の制服なら尚更だ」


「そういえば、何でプライベートでも制服着ないといけないの?」


「治安維持のためだな。こうして制服を着ているだけで、俺の周りでは犯罪が起きにくい」


「なるほど」


 確かに、この制服を着ている人が近くにいるときに、ひったくりとか万引きとか、とてもやりにくそうだと弘華は思った。


「警察も一応はあるけど、あまり人数を増やせないから」


 話を聞きながら、弘華はカフェオレに口をつけた。猫舌なので、冷ましていたのだ。

 口の中に、コーヒーの風味とミルクの甘味が広がる。

 その直後、違和感を感じた。


「あれ?」


「どうした?」


 同じく、一口目のコーヒーを飲もうとした丸塚が、弘華の顔を覗き込む。


「なんか、目が」


 霞む、と続けようとした弘華の言葉は、かすれた空気になって吐き出されただけで音にはならなかった。

 手に持っていたカフェオレが、するりと手から落ちる。

 手に力が入らないのだ。

 傾いた体は丸塚に支えられて倒れることはなかったが、違和感は瞬く間に全身に広がっていった。

 霞む視界の端で、何人もの人が動く気配がした。

 何者かに囲まれていると、弘華にもわかった。


「駅まで走る」


 そう言って、丸塚が弘華を抱き上げる。

 弘華は、渾身の力を振り絞って小さく頷いたが、丸塚に伝わっただろうか。

 走り出そうとした丸塚の足は、耳をつんざく爆音に遮られた。

 今度こそ完全に視界が遮られ、キーンと耳鳴りがして何も聞こえなくなった。

 頭を押さえつけられて、地面に伏せる形になる。


 手足は全く動かなくなり、丸塚の手の温もりだけが残っていた意識も、とうとう途切れてしまった。










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