婚約破棄イベント、襲来


 これからアルブレヒト王太子殿下は、お見舞いの品と共に婚約破棄の提案を持ってここにやって来る。



 確固たる婚約者だと言われ続けていたのに、ローナは好きな人から直接「君とは結婚できない」と告げられるのだ。


 それは盲目に絶望していたローナに訪れた、もう一つの絶望となった。



 王太子殿下が悪いわけじゃないし、盲目の婚約者に国が下した決定として間違っているとは思えない。

 どうしようもなかったし、どうにもできなかった。



 ゲームで王太子が語るには、ローナは違和感を覚えるほど取り乱すことなく粛々と婚約破棄を受け入れたらしい。



 だが王太子はその時のローナに、薄暗いものを感じた。


 天使のような少女だった彼女が、背後に悪魔を携えるようになったのだとか。



 ローナには、ゲームの最後の最後まで例外を除く全ての人からその人格を疑われぬまま突き通す狡賢さがあった。


 特に破棄で性格を歪ませるほど好きだった王太子殿下には、察せられるような立ち振る舞いは決してしなかった。


 それなのに王太子殿下がローナの裏の顔に気づいたのは、ひとえに鋭すぎる勘によるものだった。



 というわけで、王太子殿下ルートから得られる婚約破棄イベントの情報は以上である。


 勘だけで初期からローナを見破っていたのは、王族だけに特殊に受け継がれる人を見る目なのか、ただの看板キャラ贔屓か。

 たぶん、後者。



 他に私が前世から得られる情報は、セシルルートで登場した補足によるものだ。



 王太子を目の前にしていた時こそ粛々と婚約破棄を受け入れたローナだったがーー帰宅後に大いに荒れた。


 ローナは部屋中の物を壊し、セシルにあたり、両親に泣きついた。



 嫌だ。

 私が殿下の婚約者だ。

 私以外の誰に務まると言うのーー。



 けれど、父が優秀な外交官で侯爵位だったとしても、母が異国の姫であったとしても、国の決定を覆すことはできなかった。



 ローナの苦しみが増せば増すほど、彼女の人格は歪んでいった。


 自分の代わりに王太子殿下の婚約者として、『シンデレラの恋 ~真実の愛を求めて~』における"悪役令嬢"のあの子が選出された際には、もう後戻りできない程にねじ曲がってしまった。




 ーーそれが、婚約破棄による分岐点からの、ゲームにおけるローナ。




 私は違う。



 だって、まず前提が違う。

 私が好きなのはセシルで、なんだったら王太子殿下との婚約破棄イベントを今か今かと待ち望んでいるのだ。


 婚約破棄によってセシルと婚約を結べるかもしれないし、なにより、王太子の婚約者なんていう面倒な立場から脱することができる。



 ここで私が気をつけなければならないのはただ一つ。


 ゲームの通り、"粛々と"婚約破棄を受け入れなければならないということ。



 破棄されたことで、誤って大喜びしてお礼なんて口走ろうものなら、怪しまれるならまだしも、不敬だと罰を受けるかもしれない。


 アルブレヒト王太子殿下の人柄を考えるれば不敬だと騒がれる可能性は低いけど、周りにいる従者たちは違う。


 是が非でも、気をつけなければ。



 私は固く決心し、その時がくるまで頭の中でシュミレーションを繰り返した。


 考えながら昼食をとったせいで、うっかりちぎったパンを床に落としてしまったのは失敗だった。


 共に席についていた母が具合が悪いのかと心配して、王太子殿下の訪問を後日に改めて貰おうかと提案されてしまった。



 大丈夫です、の一点張りで何とか乗り切りーーさてさて本番5秒前。



 歩くのがまだ覚束ないこと、また王太子殿下に「私は元気がありませんよ~」のアピールとしてベッドに座ったまま、かの人を出迎えることとなった。



 カチャリと静かに開け放たれた自室の扉を合図に、私は王族への忠誠を誓う貴族らしい礼をする。



「顔を上げて、ローナ」



 寂しさを滲ませた子供特有の甘い声で、その人は私の前に現れた。


 私は言われた通り、ベッドの上の住人としておかしくない程度に薄く化粧された顔を上げて社交辞令の笑みを浮かべた。



「本日は王太子殿下直々に足をお運びいただきましたこと、貴殿の家臣の一端として心より御礼申し上げます。このような形でご挨拶を賜りますことをお許しいただけましたことも、殿下の広い御心による……」

「ローナ!」



 おっとやり過ぎた?

 でも前世を思い出してから初めて王子様に会うものだから、つい必要以上に堅苦しくなってしまった。


 反省して、緊張を抜くのに深呼吸をする。


 すると、膝の上で揃えていた手に私よりも皮が硬くなってきている王太子殿下の手が重なった。



「僕と君との仲なのに、そんな他人行儀は寂しいよ。それとも、君が大変な時にすぐに飛んで来なかった僕を怒ってるの?それなら謝るから」



 い……良い子~。

 勝手に緊張してたのは私の方なのに……こちらこそ気を遣わせてごめんなさい……。


 というのを淑女らしい言葉で伝えたところ、殿下はホッと安堵してくれた。



「良かった。君に嫌われたのかと思ったよ」




 ……んっ?


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