婚約者から訪問のお知らせ



 目が見えなくなってから一週間が経った。


 十歳までのローナの記憶と日本で生きていた記憶とに折り合いがつき、その両方が交わって"私"という人格が安定して、また何をするにもお世話される日々に少しずつ順応していた頃にーーやってきたるは新たなる刺客。


 ……王太子殿下に対して刺客は失礼過ぎるかな?



 ともかく、私としてはそれに等しいほど唐突かつ重要なイベントが訪れたのだ。



「ローナお嬢様、アルブレヒト・メクレンブルガー王太子殿下が午後のお茶会にお目見えになるそうです」



 興奮でうわずった声で、アンが届いた手紙を読んでくれた。

 彼女はセシルよりも王太子殿下贔屓なので、かの方の訪れを私よりも喜んでいる。



「……そう」

「なぁんでそんなに落ち着いていらっしゃるんですか?素敵な婚約者様がお見舞いに来てくださるんですよ。お嬢様にの王子様が!」



 アンはそう言うが、王太子殿下がお見舞いに来るのは婚約者としての務めもあるが、主題は"婚約破棄"についてだ。



 これに関して、私にはゲームの知識があるので確実である。



 ひとまず、ゲームで得た情報と実際に今世でローナが関わってきた王太子殿下の情報とを整理していこう。



 アルブレヒト・メクレンブルガー王太子殿下。



 王族に受け継がれる青みを帯びた艶やかな黒髪に、知性を閉じ込めて海を写しとったような瞳を持つ、しなやかな筋肉をつけたスラリとしたモデル体型の王太子。


 今は私やセシルと同い年の十歳なので、筋肉云々は別とする。

 実際、ローナが婚約者としてお茶会に出席した際に見たかの方の容姿は、女の子と見まごう細さであった。



 そして、ここクロイツ王国を治める王である父親と、社交界の花として名の知れていた伯爵家出身の母親との間に生まれた、次期国王として名を馳せる一人息子である。



 さらに『シンデレラの恋 ~真実の愛を求めて~』の看板キャラで、ある意味最も攻略が簡単な、正真正銘名実ともに王子様キャラらしい王子様。



 あとついでに、ローナの好きな人。たぶん初恋。


 今は前世の記憶を思い出したので、好きな人だけど。



 ローナの記憶を思い返してみても、ゲームで見ていた彼との差異は殆どなくーー暗いところのない清純かつ誠実な正統派王子様で、女の子が一度は憧れる理想像をアルブレヒト王太子殿下という型に詰め込んだような人だった。



 私との関係性は可もなく不可もなく、手紙のやり取りは義務的なものを何度か繰り返し、実際に会ったのは片手で数えられるほど。


 ちなみに仲が悪かった訳ではなく、単純にお互いが帝王学だ王妃教育だと将来に向けた勉強が忙しかったため、あまり会ったことがないだけだ。



 そのため、セシルとの逢瀬の方が何倍も多い。

 それはそれで婚約者のいる身でどうなんだローナ、と思わなくもないが。


 生まれてこの方友達らしい友達はセシルだけだったし、元々の彼女は王太子殿下に好意を抱き、セシルに友愛を抱いていたのでセーフとする。したい。



「王太子殿下がいらっしゃるのは三時頃ですから……もうあと数時間もありませんね。一等品のお紅茶とお菓子、それからお嬢様も薄くお化粧いたしましょうね!」

「アンに任せるわ……」



 なぜアンが明確に三時頃と表したのか。


 どうやらこの世界は中世ヨーロッパを基盤に、いくつかの発展した技術が反映しているらしく、時計もまたその一つであった。


 なんと、日時計でも水時計でもなければ振り子時計でもない、れっきとした機械式時計が貴賤に関係なく普及するほどに発展しているのだ。


 アンが持つ懐中時計を触らせてもらった時は、理数系が苦手なくせにどんな技術進化をしてきたのか突き詰めたくなった。



 とはいっても、時計がどんなに進歩していても針が今何時を指しているのか私にはわからないので、素直にアンに尋ねる。

 どうやら丁度11時を回った頃なのだとか。


 本当に時間がない。



 記憶を掘り起こす作業に専念するとしよう。


 何しろこれから起こることは、ローナの人生において最大の分岐点となるのだから。


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