君は俺のたからもの 前編 ーセシル視点ー
生まれた時から、騎士であれと教えられてきた。
当然だ。父にあたるその人は、この国の陸軍近衛部隊を統括する、王室師団の長なのだから。
俺が生まれたのは、父の後を継がせる為なのだから。
そもそも父が母と結婚したのだって、侯爵位や王室師団の後継を生ませる為だった。
そして母もまた、この国での永住権を得る為に、代わりに俺を産んだのだ。
政略結婚なぞ貴族間にとって珍しいものではないが、ここまでハッキリとした利害の一致による結婚は例を見ない。
父は姦しい貴族の女が嫌いで、結婚は愚か婚約さえも全て断ってきたそうだ。
そこで現れたのが、自国の姫を追ってこの国にやって来た母。
母もまた、女を組み敷く男が嫌いだった。
そんな二人が出会い、どうやって話し合えたのかは知らないが、利害の一致によって俺が生まれた。
今よりももっと幼かった頃は、"家族"なんて言葉は世俗のためにあるものだと信じて疑わなかった。
この家は豪奢だが、寄宿舎や一夜宿とそう変わらない。
飯を食らい、寝るために帰ってくる。ただそれだけの用途でしかない屋敷にしては、あまりにも無駄が多かった。
「振りがなってない。なぜこれしきのことができない」
「……申し訳ありません」
マメが潰れて血が滲む手で、模擬戦用の剣を握り直す。
頭から流れた汗が目の中に入って沁みるが、それを気にしていたら父が呆れて相手をしてくれなくなるかもしれないので、無理矢理立ち上がった。
「もう一戦、ご指導のほどよろしくお願い申し上げます」
剣を構えたすぐ後に弾き飛ばされることなど、考えなくともわかることだった。
* * *
城から父に伝達が入り登城せねばならないということで、稽古は中断された。
浴場で汗を流し、真新しいシャツに袖を通す。
使用人が今日の予定を読み上げているのを背後に廊下を進むと、今にも出かけようとしている母に
「……ああ、早く支度をなさい。行きますよ」
そこら辺に群生する雑草でも見つけてしまったかのような目で実の息子を見た母は、渋々といった様子を隠すことなくそう言った。
「はい!」
母の様子など、いつものことだ。
そんな事より、俺の意識はもうすでに母と向かう先に向けていた。
ガタゴトと揺れる侯爵家の馬車の中。母と二人きりの気まずさなどとうに忘れた俺は、これから会いに行く人の事ばかりを考えていた。
ーー母がこの国に来て、父と結婚した理由。
敬愛してやまない祖国の姫と離れたくないが為に、母は俺を産んだ。
その姫はリーヴェ侯爵に嫁いだ。
名を、クリスティーン・リーヴェという。
母は殆ど俺のことなど気にも留めないが、クリスティーン・リーヴェはこの国唯一の同郷の友人である母の息子というのに関心を持っており、母は敬愛する姫の要求を飲んで渋々俺を赤ん坊の頃から度々リーヴェ邸に連れていった。
友人の息子として興味津々に接してくる知らない女なんてどうでも良かったし、父こそが男の象徴であると考えていた俺にとってリーヴェ侯爵は、虚弱な女みたいな男だと嘲笑っていた。
くだらない。こんな所に足を運ぶよりも稽古をしていたい。
今思えば何とも不躾で、失礼極まりないことだろうか。
ともかく、最初こそリーヴェ邸は俺にとって"どうでもいい場所"だった。
ローナ・リーヴェに、会うまでは。
訪れた回数を片手では数えられなくなった頃。
子供には聞かせられない話がしたくなった親たちは、「こんな所にいても暇だろうから遊んでおいで」と程の良い親切を押しつけて俺は客室から追い出された。
執事に案内されるがままに邸を歩いていたところに、ローナは階段から現れた。
どなた、と尋ねた彼女に、執事は俺を紹介するのを躊躇っていた。
当然だ。その時にはもう既に彼女はーー。
……嫌なことを思い出した。なるべく考えないようにしていることなのに、ローナとの思い出だけを思い出していたはずなのに。
気を取り直して、ローナと初めて会った時のことを思い返そう。
階段から下りてきたローナは、その日訪れる客人を把握していたので、そこから俺の正体を察して執事にそれ以上の言及をやめた。
そして執事に連れられる俺を見て親たちに追い出されたことにも気づき、自分が相手することを提案してくれたのだ。
暇を持て余していた俺は、特に文句もなかったのでそれを受け入れた。
そこに、可愛い女の子と過ごせるという心情があったのは否めない。
それから俺は、生まれてから経験したことの無い多幸感に包まれる事となった。
ーー俺の目を見て、真剣に話を聞いてくれたのも。
ーー跡取り息子としてではなく、同年代の同士として会話したのも。
ーー稽古でできた傷や剣でできたマメを気持ち悪がらずに、頑張りを褒めてくれたのも。
全部全部、ローナが初めてだった。
あの時のことは、何度思い返しても飽きないほどに素晴らしい記憶である。
それからずっと、ローナは俺の大切で愛おしい、この世でたった一つの"たからもの"になった。
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