第776話 神域の天使

 転移した直後から息苦しさを感じていた。その部屋には何もなく、窓から外を見ると高い山が見えた。

「何だ?」

 空が紫色だった。不思議に思ったが、ここもダンジョンと同じような空間なのかもしれないと推測した。


「メティス、どう思う?」

『……』

 メティスの返答はない。何度も呼び掛けたが、メティスの反応がなかった。ここでは魔導知能が機能を止めているようだ。建物の内部に目を戻すと、部屋の奥に通路があった。巨人が通れそうなほど大きな通路で白い壁と大きな円柱の柱が特徴的である。


 俺は用心しながら通路を奥へと進んだ。一歩足を踏み出すたびにザッザッという足音が響く。それだけ周囲が静かなのだ。しかもピリピリするほど神聖な空気が満たされた空間だった。その空気は常に俺の精神を刺激しているようだ。


 俺は恐怖が湧き起って武器を取り出そうとして精神力で止めた。ここは神域なんだ。敵対的な行動を取るべきではない。そう心に言い聞かせる。


 通路の端まで来ると、大きな扉があった。深呼吸して扉に両手を触れて押した。意外なほど軽く扉が開く。そして、一歩中に入った瞬間に巨大な存在を感じて冷や汗が吹き出した。


 気配は二つあった。一つは部屋の奥にある扉の向こうで、もう一つは部屋の中である。俺は気配の主を探した。すると、部屋の隅に立っている巨人が目に入った。


 身長が七メートルほどで背中に白い翼を持つ巨人である。

「天使? 違うな」

 白い翼を見て天使を連想したが、顔が人間の顔ではなかった。烏天狗からすてんぐのような顔だった。しかし、烏天狗の翼は黒かったはず。


『貴様は三つの試練に打ち勝った挑戦者か?』

 メティスの声のように直接頭に声が聞こえる。それは心臓を鷲掴みするような威厳に満ちた思念だった。


「よく分かりません。試練とか挑戦者というのは何でしょうか?」

 烏天狗と天使を合わせたような存在を、俺は『烏天使からすてんし』と呼ぶ事にした。その烏天使が大きな目で俺を見る。その時、何をしているのか分かった。烏天使は心眼を使って俺を解析したのだ。


『ふん、まだ二つの試練しか打ち勝っておらぬではないか。去れ!』

 烏天狗が巨大な翼を羽ばたいた。その瞬間、強烈な風が吹いて俺を扉の外まで吹き飛ばした。通路をゴロゴロと転がってから慌てて立ち上がる。


 その時には扉が閉まっていた。俺は訳が分からずに扉をもう一度押したが、今度は開かない。

「……何かのテストで赤点を取って、廊下に放り出されたような気分だ」


 俺は烏天使の事を考えた。あれは神の御使みつかいなのだろうと確信した。それだけのパワーを巨体に秘めているのを感じたからだ。巨獣ベヒモス以上に脅威なのではないかと思った。


 パワーだけなら巨獣ベヒモスと同等かもしくは少し劣るかもしれないが、あの目の奥に優れた知性があった。そして、身のこなしには隙がなく何らかの戦闘術に熟達していると思えたのだ。


 仕方ない戻ろう。そう思った俺は神域転移珠を使って鍛錬ダンジョンに戻った。神域転移珠が作動した瞬間、また浮揚感があって気を失った。


「お願いだから起きて……」

 アリサの声が聞こえた。俺が目を開けると、アリサが涙を流していた。

「泣くなよ、大丈夫だから」

「でも、エルモアもおかしくなるし……」

 俺が消えると同時に、エルモアも倒れたらしい。メティスが機能を停止した事が影響しているのだろう。


 そのエルモアが立ち上がった。

『私はどうしたのでしょう?』

「仮死状態みたいな感じになっていたようだ」

『つまり機能が停止していたのですね?』

「そうだ」


 俺たちは屋敷に戻り、金剛寺が淹れてくれたコーヒーを飲んだ。

「それで神域はどんなところだったの?」

 俺はアリサとメティスに説明した。

「へえー、烏天狗のような天使……想像できない」

『その烏天使というのは、『摂理の支配者』と呼ばれる主神に仕えている御使いでしょう』


「『摂理の支配者』というとダンジョン神を創った神様だろ。あそこに居るのはダンジョン神じゃないのか?」


『いえ、ダンジョン神だと思います。主神は地球の近くには居ないはずです』

「どうしてだ?」

『主神が邪神ハスターの上位の存在である『混沌の化身』と戦って眠りに就いたのは、遥か昔の事であるはずです。その頃は地球にD粒子もダンジョンもなかったのです。地球から転移できる場所に主神が眠っているとは思えません』


 メティスの話によると転移というものには制限があり、物理的な距離や次元において遠くへは転移できないという。


 距離は分かるが、次元というのは何だ? 俺が理解できるのは三次元と時間を合わせた四次元くらいのものだ。但し、本当に四つ目の次元が時間なのかは分からない。


「その烏天使は、どんな存在だったの?」

「神の御使いというのは、本当なんだと思う。巨獣ベヒモスに等しい巨大なパワーを感じたんだ。但し、奥の部屋に居る神は、烏天使と比べても桁違いのパワーを感じた」


「巨獣ベヒモスと言われても、実際に見た事がないから」

「そうだった」

 この中で巨獣ベヒモスを見た事があるのは俺だけなので、巨獣ベヒモスに等しいと言われてもアリサは理解できなかったようだ。


「氷神ドラゴンと戦っただろ。氷神ドラゴンの十倍以上のパワーを巨獣ベヒモスは持っている」

「ごめんなさい。想像できない」

 アリサの想像力を超えたらしい。


『ところで、烏天使に追い返されたそうですけど、なぜです?』

「俺が三つの試練に合格した挑戦者じゃなかったからだ」

『三つの試練?』

「たぶん巨獣の事だと思う。俺は二つの試練しか打ち勝っていないと言われたからな」


『挑戦者という言葉が出ましたが、何に挑戦するのでしょう?』

「さっぱり分からない。巨獣を倒して挑戦するのだから、誰かと戦うのかとも思ったけど、神や烏天使と戦うというのは無理だしな」


 烏天使と巨獣ベヒモスの体積を比べるとベヒモスの方が四十倍ほど大きいだろう。それなのに内包するパワーは同程度だとすると、脅威度は烏天使の方が圧倒的に高いと思う。ましてや神と戦うなど考えられない。邪神ハスターも同程度に強いのだとすると人間が勝てる相手ではない。


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