第618話 虎徹と魔法レベル

 途切れた意識が元に戻った時、チサトは草の上に倒れていた。イブキの手を握っているはずの左手を見る。その中に小さな手があった。上半身を起こしイブキの様子を調べる。イブキは気を失っているだけのようだ。


「起きて」

 イブキを揺すると、目を擦りながら起き上がる。

「……ここ、どこ?」

 キョロキョロと見回すイブキ。チサトも見回す。紅葉ダンジョンの一層とは明らかに違う。立ち上がったチサトは、広大な草原が広がっているのを目にした。


「クソッ、何が起きたんだ?」

 近くの草むらから、あの宝箱を開けたカップルの男性が起き上がった。続いて女性がブツブツ言いながら起き上がる。


 チサトは何が起きたのか気付いた。バタリオンのメンバーからダンジョンの罠について、いろいろ聞いていたからだ。


「転送系の罠、そうすると二層」

 紅葉ダンジョンは二層までしかないと聞いていた。紅葉している森が見えない事から考えると、二層だと推測できる。チサトは弟を怖がらせないために必死に冷静であるかのように装った。


 イブキは涙目になって姉の腰にしがみついている。

「お姉ちゃん、僕たちはどうなるの?」

「冒険者の人たちが助けに来てくれるから、大丈夫」


 罠に捕らえられたのは、チサトとイブキ、それにカップルだけらしい。宝箱の近くに居たのが、この四人だったからだろう。


 チサトは棍棒を捜し、倒れていた場所の近くに落ちているのを見付けて拾い上げた。イブキの棍棒も拾ってイブキに渡す。


「ヒロ、怖い。ここはどこなの?」

 カップルの男性は『ヒロ』と呼ばれているらしい。

「映画で見た事があるだろう。ここはたぶん二層だ。宝箱には罠が仕掛けられていたんだ」

 そんな予備知識があるなら、不用意に宝箱を開けるな! そう思ったチサトはヒロを睨んだ。


 その視線にも気付かないヒロは、女性の手を握った。

「ナナミ、階段を探そう」

「でも、魔物が出てきたら、どうするの?」

「大丈夫、初級ダンジョンの魔物くらい棍棒で倒してやるよ」

 ヒロの手には棍棒が握られていた。ナナミは棍棒を失くしたようだ。ヒロがチサトたちに目を向ける。


「助かりたければ、おれに付いて来い」

 チサトはヒロを値踏みするように見てから断った。

「遠慮します。あなたたちも動かない方がいいですよ」

「何でだよ。……分かった。魔物が怖いんだな」


 ヒロはチサトを説得したが、絶対に行かないと言ったチサトに腹を立てた。

「もういい、勝手にしろ」

 ヒロとナナミは、チサトたちから離れて行った。

「お姉ちゃん、一緒に行った方が良かったんじゃないの?」

「グリム先生となら一緒に行ったけど、あの人は信用できない。それにゴブリンの居る方向に行ったのよ」


 イブキが首を傾げた。

「ゴブリンなんて、見えなかったよ」

「バタリオンでD粒子センサーというのを習ったの。だから、あの二人が行った方向にはゴブリンが居ると分かるの。あたしたちは向こうに行こう」


 チサトは草原に生えている一本の木を指差し、イブキに言った。本当ならここで助けを待ちたかったのだけど、ヒロたちの後ろ姿を見ているとここに居てはダメだという予感がしたのだ。


 ちなみに、ヒロたちにゴブリンが居ると伝えなかったのは、どうせ信じてもらえないと思ったからだ。D粒子センサーで感知したと伝えても、あの二人は信じないという自信があった。チサト自身が一杯一杯なのだ。他人の面倒を見る余裕などない。


 少しだけ進んだところで、後ろから叫び声が聞こえた。

「イブキ、姿勢を低くして」

 チサトたちは草の中に身を隠して後ろを確認した。ヒロたちが一匹のゴブリンに追い掛けられている。『初級ダンジョンの魔物くらい棍棒で倒してやる』と言っていたのに。


「お姉ちゃんの言う通りだ。あのお兄ちゃんはダメだね」

 ヒロが本気で戦えば、ゴブリンくらいなら倒せるのではないかとチサトは思った。ゴブリンの武器も棍棒だったので、武器は互角なのだ。


 そのゴブリンの後ろをナナミが追い掛けているようだ。正確にはゴブリンを追い掛けているのではなく、ヒロを追い掛けているのだろう。


 チサトたちはヒロたちが離れていくのを見送ってから、また歩き出す。途中、蝶の魔物と遭遇した。それも三匹である。チサトは『ロール』を発動し、五十センチほどの蝶の魔物を回転させて地面に落とす。


 三匹とも地面に落とすと棍棒で叩いた。イブキも棍棒で叩き始める。二匹の蝶を仕留めた時、身体の中でドクンという音がした。魔法レベルが上がったのだ。


 最後の蝶をイブキが仕留める。その時、変な顔をした。

「どうしたの?」

「何か、ドクンという音がした」

「それは魔法レベルが上がった時の音よ。イブキは何の魔法が上がったのかな」


 調べる方法がないのが残念である。

「あっ、虎徹こてつを出すのを忘れてた」

 しっかりしているように見えるチサトだったが、心の中は混乱していたようだ。影から犬型シャドウパペットの虎徹を出す。真っ白な毛に覆われた可愛い犬で、体重は四十キロほどある。


 それからは魔物との戦いが楽になった。虎徹が魔物を足で押さえ付け、それをチサトとイブキが棍棒で殴るという方法にしたのだ。


 大型バッタを五匹ほど倒して木の近くまで来た時、木の後ろ側にゴブリンが居る事に気付いた。

「イブキ、お姉ちゃんと虎徹でゴブリンを倒してくるから、ここで待っててね」

「分かった」


 D粒子センサーで周りを確かめたが、ゴブリン以外の魔物は居ないようだ。虎徹が走り出し、ゴブリンに襲い掛かった。


 虎徹が体当りすると、ゴブリンが弾き飛ばされて地面を転がる。それを見たチサトが、駆け寄って二重起動の『コーンアロー』を発動し、D粒子コーンをゴブリンの胸に飛ばす。


 D粒子コーンがゴブリンの胸に突き刺さり、ゴブリンが地面で苦しんだ後に力尽きて消えた。チサトがホッとした時、後ろから叫び声が聞こえてきた。


 ヒロとナナミだった。二匹のゴブリンに追われて走ってくる。チサトはイブキを呼び寄せ、二人の様子を見守る。その二人がチサトたちに気付いて、こちらに逃げてくる。


「あれはダメなんだよね?」

 イブキが質問した。魔物に追われている状況で子供に向かって逃げてくるというのは、やっちゃいけない事だと小さなイブキでも分かるのだ。


 二人の顔を見ると、涙や泥でぐちゃぐちゃになっている。ゴブリンが二匹、何で増えているの? チサトは虎徹に二人を助けるように命じた。虎徹が砲弾のような勢いで飛び出し、ゴブリンに向かって跳躍する。


 空中で身体を捻った虎徹は、後ろ足をゴブリンの顔にめり込ませる。それで終わりではなく、足の爪で引っ掻きながらゴブリンを弾き飛ばした。タイチが教えた『ドロップキック』という技である。


 チサトは駆け寄って、二重起動の『コーンアロー』でトドメを刺した。残った一匹がチサトに襲い掛かろうとしたが、虎徹がゴブリンの足首に噛みついた。そして、ゴブリンを引きずり倒しぐるぐると回し始める。虎徹のパワーは、平均的な成人男性の三倍から四倍だ。


「凄い」

 イブキが虎徹のパワーに驚いたようだ。虎徹が振り回したゴブリンを放すと、ゴブリンが草の上を転がる。ふらふらしながら起き上がったゴブリンに、チサトが二重起動の『コーンアロー』を放ちトドメを刺した。その時、また体内でドクンという音を聞いた。魔法レベルが『3』になったという音だ。


 チサトがヒロとナナミの方へ目を向けると、地面に座り込んでいた。そして、肩で息をしながら、虎徹を見ている。


「はあはあ……その犬はどうしたんだ?」

「シャドウパペットの虎徹よ」

 ヒロが不機嫌な顔になる。そんなものを所有しているなら早く言え、というような顔である。それを見たチサトは溜息を吐いた。


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