39、モモ、保護者様と再会する~嬉しい涙もしょっぱいもの~前編

 お姉さんに引きずられるように連れてこられたのは祭壇の部屋だった。傷だらけの身体は痛すぎて、一歩あるくごとにズキズキする。


 扉の前で一度止まると、お姉さんがコンコンとノックした。


「この忙しい時に、誰だっ?」


「軍神様のお世話を任されたシュリンです」


 初めて名前を知った。可愛い名前なのに中身は可愛くないよ! 人の物を盗んで売りさばくわ、子供に手を上げるわ。散々な目に合った。あんまり人の好き嫌いが激しくない桃子だって、このお姉さんは嫌いだ。天罰が下るといい!


 この世界に居る神様達に祈る。もうそれしか出来ないから、後は運を天に任せる。せめて気持ちだけは、最後の最後まで諦めないでいよう。


「入れ!」


 おじさんの許可が出た。いよいよ審判が下されるらしい。諦めないけど、ちょっと怖い。これ以上痛い思いをするのは嫌だなぁ。


「なんだね、その恰好は? 軍神様はいかがされたのだ?」


「逃げ出したんです。私が捕まえましたけど、抵抗されたのでこのような状態に。見てください、わたしの服もボロボロにされてしまったんですよ?」


「なに、逃げ出しただと? こんな幼い子供がか?」


「えぇ、そうです。もう少しで門までたどり着かれる所でしたわ」


「ふっ、はっはっはっ! いやはや、こんな幼子に逃げられかけるとは。随分と賢い子供のようだ。あの男がおかしなほど気にかけていたのは、これが理由か……だが、その賢さは私にとっては邪魔だな」


 あの男ってバル様のことだよね? つまり今回の件には、桃子を攫うことでバル様に対する意趣返しも含んでいたのだ。不穏な気配が漂う。けれど桃子はムカムカしていた。バル様を馬鹿にする奴の言うことなんて絶対に聞かない! 私だってやられっぱなしじゃないんだかんね! 


 ログアウトを意識していた桃子だったが、大事にしてくれた人に対する悪意に気付いて、火が付いた。大きく口を開けると、大神官に意識を向けているシュリンの腕に噛みつく。


「きゃあっ! 痛いっ、なにするのよ!」


 手首をつかんでいる力が抜けた隙を逃がさず、痛む左足を無視してたったか逃げ出す。神殿内は広くて席や柱があるからうろちょろするのに最適だ。これぞ、最後の抵抗である。


「こらっ、逃げるんじゃない! シュリン、何をしている。捕まえろ!」


「はっ、はい!! 待ちなさい!」


「やだ!」


 ひたすらネズミのように動き回る。だが、すぐに息が上がる。喉に風が通るとヒューヒューする。苦しい。最初の逃亡でほぼ体力を使い切ったからね。それでも必死に足を動かす。しかし必死の抵抗もむなしく、ものの三分ほどで再びシュリンに捕まった。


「はぁ……はぁ……っ」


「もう、逃がさないわよ。ほらっ、こっち来なさい!」


 神官服の首根っこを掴まれてズルズル引きずられる。ぐふっ、首締まってるって! 桃子は首元に両手を入れて、緩めるように小さな努力をした。そうしてるうちに、大神官の前に投げだされた。いたたたっ。


「まったく、ただでさえ、神殿の裏で破裂音なぞというわけのわからんことがあったというのに、お前のような子供にも時間を割かねばならんとは────なんだ?」


 桃子達が入って来た側の廊下が騒がしくなった。複数の走る足音が聞こえてくる。そして、その時はやってきた。


 扉が外側から開かれて、ずっと会いたかったバル様が姿を現したのだ。その後ろには知った顔がいる。カイとキルマとディーだ。それから十数人の団員が付き従っている。


「バル様! みんなぁ!!」


「……遅くなってすまない。迎えに来たぞ、モモ」


 嬉しさのあまりにボロボロと涙が出て来た。久しぶりに五歳児が目を覚ます。迷子の幼児が親に会えた時のように、安心感と嬉しさで涙が止まらない。本能に従って走り寄ろうとしたら、後ろからでっぷりした腕に捕まえられた。


「どこに行く気だ? お前が居るべき場所はここだろう?」


「違う! 私はバル様のとこに帰るの!」


 めちゃくちゃに暴れてやる。おじさんの顔を手で押しのけて背中をのけぞらせて抵抗する。うーんっ、放してよ!


「──風の精霊よ、助力を」


 突如神殿内で暴風が吹き込んだ。次の瞬間、桃子はバル様の腕の中に居た。バル様の周囲で暴風の名残が柔らかく靡き、緑の精霊がキラキラ光っている。後ろを向くと、おじさんが吹っ飛んで伸びていた。え? 何が起こったの?


「大丈夫か、モモ?」


「バル様ぁぁ!!」


 懐かしの美声と、美しい顔が傍にあることに、桃子はバル様の腕の中に帰ってことをようやく実感して、ひしっとその胸元にしがみ付く。


「うえぇぇぇっ! こわかったよぉぉぉっ!」


 桃子の中で五歳児の涙腺も決壊した。号泣である。駄目だって、バル様の団服が汚れちゃうよ! そう理性の十六歳が言っても、ここ三日のストレスが大爆発しているかのように、嬉しさやら怖さやらが混ぜられた感情が溢れて止まらない。


「一人でよく頑張ったな」


「うっ、ひっく、うん、わたしね、バル様達が迎えに来てくれるって信じきれなくて、でも、信じたくて、必死で五歳児の振りしてたの」


「約束しよう。どんなことがあろうと、オレはモモを見捨てない。必ず助けに行こう」


「うん、うん。バル様、助けてくれてありがとう」


 耳元で囁くバル様の優しさに、胸がいっぱいになった。そして、あやすように抱きしめ返されて、厚い胸元にしがみ付く力を強くする。本気で助けてくれると、今は信じられた。だって、この世界の人間でもなく、この国の人間でもないのに、なんの得にもならない桃子のためにここまで来てくれたのだから。


「体温がいつもより高い。顔を見せてくれ。これは、叩かれたな? 頬が腫れてる。擦り傷も多い。手が酷いな、皮がむけて真っ赤だ」


「全部逃げようとした時に出来たの。あの、でも、バル様こそ大丈夫なの? おじさんをやっつけちゃったけど」


「問題ない。モモがここに居ることが人攫いの証拠だ。後ろ暗いことが多い男だからな、他にもいろいろと出てくるだろう」

 

 涙も落ち着いたので、だっこされたままキルマ達の元に運ばれる。シュリンが驚いて目を見開いているのが視界の端にちらりと見えた。バル様達に会えたのが嬉し過ぎて、忘れてたよ。


「こんなに傷だらけになって! さぁ、手当てをしましょうね?」


「頼む。──四番隊、神殿内から一人も出すな! これより本件の関係者から事情を聞く。ディー、以後の指揮を任せる」


「了解。チビッコ、また後でな」


 ディーが頭を撫でて祭壇部屋から出て行く。優しい仕草に再び涙が溢れる。こんないい人達に恵まれて幸せだ。桃子はカイが持ってきてくれた椅子に下ろされて、手当てを受けることになった。


「お姫様は少し会わない内に泣き虫になったのかな?」


「ひっく、ひっ、だって、嬉しかったんだもん」


「よしよし、もう大丈夫だよ。モモには落ちついてから、後日詳しい話を聞くことになると思う。元から小さかったけど、少し痩せてしまったね? 熱があるようだし、顔色も悪い。ご飯は食べられていたの?」


「ううん。野菜だけ」


「なっ!? あの外道、食事もまともに与えなかったんですか!?」


「ち、違うの。最初は出されていたんだけど、味が濃すぎて食べられなくて、仕方ないから野菜だけ食べることにしてたの」


「それにしても配慮が足りなさすぎますよ!」


 美しい人が怒ると恐ろしい。灰色の瞳が怒りに色彩を増している。美しいだけに迫力が並大抵のものじゃない。自分が怒られているわけでもないのに、思わずごめんなさいと土下座したくなった。


「あの男は私が直々に尋問して差し上げましょう。えぇ、そうしましょう!」


「……終わったな、あの男」


「うるさいですよ、カイ。貴方はモモの足元を確認してください。さぁ、モモ、ちょっと痛いですけど、まずは傷口を拭きますからね?」


 いつの間にか、団員の人が治療道具を持ってくれたようだ。並べた椅子の上に置かれた器には並々と水が入っていた。

 キルマが白い布に水をしみ込ませてモモの頬や手の平を拭う。


「ひぅっ!」


「ごめんね、もうちょっとだけ我慢してくださいね?」


 水が沁みて、痛くて涙が滲む。堪らない痛みだ。なんだか、幼児になってから痛みの感じ方が強くなったみたい。痛みが涙に直結してくる。口をぐっと閉じて耐える。桃子の中で五歳児泣き喚いている。我慢、我慢、十六歳だからね!


「最後に、消毒です。これが終わればもう痛い思いはしませんからね?」


「……ぐぅっ……うっ……!」


 消毒液を吸い込ませた綿でポンポンされて悲鳴を堪える。でも、心の中では叫ぶ。ふぎゃーっ、いだい!! 堪えていた涙が落ちていく。痛みで身体が震えた。ひーっ、辛い!


「さぁ、もう終わりです。よく我慢しましたね、偉かったですよ」


「ひぐっ、きうま、かい、ありがと……」


 鼻声でお礼を言う。痛かったけど、こればっかりは仕方ないもん。新しい濡れタオルで涙を拭われて、頬の腫れにも塗り薬とガーゼが当てられた。左足首は包帯で動かさないように固定されて痛みが軽くなった気がする。さすが騎士団と言うべきか、手当ても手慣れた様子だった。


 椅子から眺めていると、バル様がシュリンに話を聞いているようだった。するとどうしたことか、シュリンが突然バル様に抱き着いたのだ。


「ダメ!」


「危ないですよ、モモ!」


 頭がかっと沸騰した。桃子は痛みも忘れて走り出す。キルマの制止の声を聞かずに、バル様とシュリンの間に入る。引き離す前にバル様自身が両手でシュリンの肩を引き離していたので、割って入る必要はなかったが、桃子は目をつり上げてシュリンと睨んだ。


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