第2話 ミリアの推薦

ガシャン。

手から離れた高価な壺が、床に落ち激しい音を立てる。

主人から命令され、私ことレイリアは屋根裏で骨董品の掃除をしていたのだ。

ああ、終わった。長年この宿で働いてきたが、この壺は主人が一等大事にしていたものだ。

やがて、音を聞いた主人が屋根裏にやってきた。壺と私を交互に見比べると、その目にだんだんを怒りの感情が沸き上がるのが見える。

その日から、主人の私への当たりはさらに強くなっていった。

日が経つにつれ、ましになっていくかと思いきや、罵詈雑言や暴力はエスカレートしていくばかりで、思わず、耐えきれない、死んでしまった方がましだと考えるほど追いつめられた。

店の裏にある井戸の中をぼーっと見つめていると、そこにミリアがやってきた。


「レイリア、最近のご主人は目に余るようだわ。貴女、とってもやつれている」

「ミリア…。心配して来てくれたのね」

「当り前よ、食べ物はちゃんと食べてる?殴られてはいない?」

「…」


私はぐっと涙を堪えた。

人にやさしくされると、急に自分を憐れみたくなる。

このように悲惨な私とは裏腹に、世間は浮足立っている。もうすぐ歌人が選出されるのだ。ミリアは確実に4人の内1人に選ばれるだろう。美しく、慈悲深く、なにより素晴らしい歌声を持っている。

俯く私のそばにミリアが近寄って、白魚の手で私の荒れ切った手を取った。


「あのね、レイリア。よく聞いて、私は貴女を歌人に推薦しようと思っているの」

「…えっ!?」


驚きすぎて、頭が真っ白になる。

勢いよく顔を上げると、女神の顔が眉を下げて微笑んでいた。一体どうしたというのだろう?


「もうすぐ歌人が選出されるでしょう?自分で言うのも何だけれども、私は歌人に選ばれる自信があるわ」

「それは、そうでしょう。ミリアは素晴らしいもの」

「うふふ、ありがとう。―そして、歌人に選出されたら貴族と婚姻しても問題ない程の身分になる。だから、貴族の若君から求婚されたのだけど…」

ミリアの表情がふいに曇る。喜ばしい事のはずなのに、そうではないようだ。

「実はね、私には好き合っている殿方が居るの…」

「…!」


つまり、ミリアは歌人に選ばれたら、貴族の若君と結婚することになってしまう。貴族からの申し出を断ればその先がどうなるかなんて言わずともわかる。

しかし、歌人にさえならなければ、若君も身分違いだと諦めるはずだ。

ミリアは、歌人になりたかった夢を愛のために捨てる考えなのだ。


「でも、ただ歌人選出から身を引くだけではつまらないでしょう?今までの人生、すべてを歌人になるために捧げてきたのだから」

「だからって…」

「一目置かれている私があなたを推薦すれば、ここの主人も含めて誰も文句は言えないはずよ」

「ミリアが歌人になって、好きな人と結ばれる方法はないの?私、協力するよ」


はく、とミリアが美しい唇を震わせた。

海を閉じ込めた青い瞳から、透き通った涙が花のかんばせを伝って流れていく。

その様子のあまりの美しさに、私も言葉を失った。

ミリアは、とてもつらいのだ。幼いころから歌人を目指し研鑽を積んできたのに、その夢を愛のために手放そうとしている。


「その人の事が、とっても大事なんだね。歌人を諦めれるほどに」

「とっても愛しているわ、優しい人だもの。だから、レイリア、お願い。私の夢をどうか貴女が継いで欲しいの」

「私なんかじゃ、歌人になれっこないよ、もっと素晴らしい人がいる」

「いいえ。私はレイリアが良いの」

「…ミリアが簡単にこんな大事なことを頼むはずがないものね…。本当に私でいいのなら、歌人選出の儀に出るよ」

「まあ、まあ!」


ミリアは喜びを隠しきれない様子でその場でピョンピョンと跳ねた。

泣きながら笑顔になるなんてとっても美人なのに子供みたいな人。でもその様もかわいらしく思えるのだから、美人は得だ。

ミリアが推薦してくれるのなら、ひとときでも自由になれるという淡い希望を抱いてしまう自分が居た。ミリアは私を助けるために嘘をついているのでは?と一瞬よぎったが、彼女の歌人への情熱を疑うことになるので、すぐに考えを止める。

歌人選出の儀に出れれば、数々の歌を聴けるし、期間中は宿の酷い仕打ちから逃れられる。

最初から選ばれることはないと諦めてしまっている自分もいたが、推薦してくれる彼女のためにできるだけ頑張ろう、と思った。






宿の主人は当たり前に、面白い顔をしなかった。

だが、かのミリアの推薦となると、無碍にすることも出来なかったのだろう。私は無事に歌人選出の儀を迎えることとなった。

選出の儀は一週間に渡り行われ、1日100名程が審査を受ける。

となると、約700人のうち4人が選ばれるのだから、物凄い倍率だ。

身分は関係なく、才あるものが選べれるため、皆が夢を追い求めこの儀に参加する。


会場は宿から歩いて2時間離れた場所だ。

商家のもの、家庭が裕福なもの、貴族は馬車で参上するため、その行き交いだけでも賑わいが凄まじい。

多くの人の声、露天の食べ物のにおい、馬の蹄の音…。

辺り一帯はお祭り騒ぎで、数えきれない程の人でごった返していた。

私はたった1人だったため、どうやって参加するかもわからず途方に暮れた。

本当はミリアに来てほしかったが、この会場にはミリアに求婚している貴族も居るため、来ることが出来なかったのだ。

心細くて、人通りが少ない木の陰にそっと隠れるようにして、息をついた。



「レイリア」


声がして、私は振り返った。


「レイ、貴方もいたんだね」

「ああ。さっきお前を見かけて…。姉さんの代わりに参加するんだな」

「うん、でもこんなに人が居るし圧倒されちゃった」

「この煩雑さ、うんざりする」


心から鬱陶しそうな表情を浮かべて、レイが木陰に入った。

会う時はいつもミリアの傍で睨まれているだけだったので、なんだか2人で話すのは新鮮だ。


「姉さんの事情に巻き込んですまなかった」

「えっ、そんなことないよ。私は助かることばかり」

「…だが、お前の歌が世に出るのは良かったと思う。歌人に選ばれるのは難しいだろうが、雇ってくれるところもあるかもしれないし」

「レイ…」


驚いた。今まで冷たいような雰囲気を漂わせてたレイが、こんな風に私の身の上を気遣ってくれるなんて物凄く意外だったのだ。


「ミリアのためにも頑張るつもりだけど、あまり希望を持っていたら行けないと思ってしまうわ」

「自信を持て。お前の歌は…綺麗だ」


そっとレイが目配せしてきたので、私はあわてて下を向いた。

ミリア以外に褒められる事なんてなかったし、ましてや普段クールなレイに綺麗だなんて言われて、じわじわ赤面してしまう。

何も言うことが出来なくて、レイをちらりとみたら同じように、どうしたらいいのか分からないといった表情だったので、なんだか可笑しくなって少し笑ってしまった。


「なんだ」

「ううん、励ましてくれてありがとう」

「…いいや。そろそろ受付に行こう」


ミリアがレイに私の案内を頼んだのだろう。

彼女の事を思うと胸が温かくなるのを感じた。

だから、私はレイの後を追い、会場へ足を運ぶ。







近くで見ると、会場はこの国の栄華を誇るため、大きな存在感を放って人々に威厳を感じさせていた。円形の会場は、左右対称の中心に入り口がある。

そこからまっすぐ道が伸び、その恩恵に預かる様に様々な露店が並んでいる。

入り口に余すことなく大理石で作られた柱は、一流の職人によって華美な装飾が施されている。

所々に妖精のモチーフが象られ、それらは見る人々の心を高揚させた。

だれもが浮足立ち、自らが選ばれることを望んでいる。

そして、参加するものしか入れない会場の周りにこのように人が集まるのには理由があった。

もちろん、会場から聴こえる歌を聴きに来る者、そして、「妖精王」を一目見たいと望む者が多く居るのだ。

妖精王がここまで人々に注目されるのは、彼の美しさにあるらしい。

見た者は目がつぶれる、だとか、魂を抜かれるほどの美しさだとか…。

妖精王はこの国の2人の王の内の1人。

この国は2人の王によって治められているという。

妖精の王と人間の王。

ふたつの種族が手を取り合う事で、その平和を精霊が愛し、祝福するのだ。

だから、この国は守られ、発展しているとか。

何から守られているのかは、私のような庶民は知らされていないが、悪魔だ、魔物だと噂する者もいる。


レイの後ろに隠れるようにして着いていくと、大きな門が見えた。

高さは私の身長10人分はあるだろう。

その前に沢山の神官が立っているのが見えた。参加者の選別だ。

一気に緊張が高まり、じわりと手に汗をかくのが分かった。

いくらミリアの推薦とは言え、あまりにこの場に不相応なのではないか―。

その不安を感じ取るかのように、レイが振り向いた。


「俺も一緒に居るのだから大丈夫だ」

「レイ、本当にありがとう。心強いよ」

「そうか」


それだけ言うとレイはふいっとまた前を向いた。

そっけないが、彼の平常と変わらない姿に少し緊張が落ち着く。

入り口に着いてしまい、神官たちが私たちを見て、その手にある巻物に目を遣る。


「お前たち、名前は」

「レイ・アズールと姉ミリア・アズールの推薦者であるレイリアだ」

「ふむ…。あのミリアが辞退して別の者を推薦するとはな」


やはりミリアは有力な歌人候補だけあって、神官たちにも名が知れているようだった。

なんだか悪いことをしている気持ちになって、私は下を向いた。


「良いだろう、入れ」

「ありがとうございます」

「あっ、ありがとうございます…!」


お前ごときが、と一言位言われそうなものだったが、神官はあっさりと私たちを通した。

沢山人が居てそれどころじゃないのだなと思うと、ほっと息をつけた。


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