第9話 説話の裏側
素面で話すのもあれだからと、益材は酒を用意させた。昨日、あまり酒が得意でないことがバレている泰久には、
「甘い。これ、美味しいですね」
初めて食べた唐菓子に、泰久は目を丸くする。揚げせんべいのような見た目だが、砂糖がまぶされていて甘かった。顔がふにゃんとなってしまう。
「それはよかった。これに免じて、晴明がやっていることに関しては許してやってくれ。というより、俺のせいだから、俺を恨んでくれ」
益材は酒を飲みながら、何でもないようにそんなことを言う。しかし、泰久は戸惑うばかりだ。
「あ、あの。益材殿のせいというのは?」
ということで、直球に訊ねてみる。すると、これは八百年後に伝わっていないのかなと苦笑した。
「晴明の母親のことだよ」
「あっ」
そのせい、というのは解らないが、晴明の母が謎に包まれた人物であることは間違いない。そして、その母のことを知っているのは、当然ながら父である益材だ。
とはいえ、さすがに歌舞伎の題材にされているように、母が狐ということはないだろうと思う泰久だ。というか、それを認めてしまったら、自分は狐の子孫ということになってしまう。それは複雑だ。
「あれと出会ったのは、友人の公達と連れ立って大坂に行った時のことだ」
「大坂。とすると、やっぱり
「ううん。どうだったかな。まあ、あれこれ遊びをした帰り、若気の至りもあって女の人がいるところに行っちゃってね」
「・・・・・・なるほど」
遊郭か。と泰久は唐菓子を食べながら遠い目をしてしまう。もごもごと誤魔化して言っているが、要するに女を買ったというわけである。それにしても、益材はしっかりした身分を持つ貴族だ。何をやっているんだと呆れてしまう。
「そこに晴明の母となる、まあ、惚気るのもあれだけど、美人の娘がいてね」
「ぶっ」
泰久は思いきり飲んでいたお茶を噴き出してしまった。ええっと、ああ、そういうことですか。泰久は慌てて袖で零したお茶を拭きつつ、益材を凝視してしまう。
「いやあ、もう、一目惚れだよ。情けないことに、それまで付き合っても本気になれなかった奥手の俺が、本気で口説いていた」
「はあ。それは」
それはそれは。言うべき言葉が出て来ない泰久だ。
「こうしてまあ懇ろになったはいいが、彼女は頑なに大坂からは動きたくないと言った。そして、出来た子どもも大坂で育てると、そう主張したんだ」
そこで、惚気ていた益材の顔が険しいものになる。
「普通、益材殿が引き取るもんじゃないんですか?」
遊郭については詳しくないが、子がいても困るだけだろう。そう思って訊くと、遊郭というのは表向きだったんだよと言う。
「ええっと。ああ、そうか。つまり、晴明様の母上は」
今日、晴明がやって見せたようなことを請け負う人だったわけか。そしてその遊郭は、そういう仕事を引き受ける場でもあったと。
「そう。それに跡継ぎが丁度欲しかったらしい。ほとほと困ったよ。俺としては、子どもに責任を持ちたいと、そう思っていたし。何より安倍家だって跡継ぎは必要だ」
「まあ、そうでしょうねえ」
まだ十七の泰久には解らないが、父親としての責任があると考えたのだなというのは解る。それに惚れた相手との間に生まれた子どもだ。手元に置きたいというのも当然だろう。自分の地位を上げたいと思うのも当然だった。
「そこで間に入ってくれたのが、陰陽頭様なんだ」
「賀茂の」
「ああ。彼らもまた、似たような商いを都で始めようとしていたという。そこで、晴明にも同じ職業を継がせるから、都で仕事をすることで納得してくれと説得してくれたんだよ。安倍家は昔から
ううむ。不思議に彩られた説話が、素晴らしく現実的なものに置き換えられてしまった。つまり、忠行が見抜いたのは
しかし、賀茂家と安倍家が陰陽家としていきなり歴史上に名前が出て来た理由が、そういう裏事情があったとするとすんなり理解出来るところではある。そして、それには世の中の理を学ぶ陰陽寮がいい隠れ蓑になったというわけか。
「賀茂家って、どうしてそういうことをやっているんです? 晴明様がそちらの仕事をしていたのは母上の仕事を継いだからとして、賀茂家って」
何なんだろうと泰久は首を傾げる。
「ああ。それは記紀神話の頃の話が絡んでくるそうだよ。賀茂家の祖先は
「えっ」
そう言えば、祖先云々と保憲が言っていたか。って、そんな昔からああいう裏稼業をやっていたということになるのか。
「まあ、都が大和からこの山城に移った時に、そういう仕事を請け負っていたという歴史も途絶えていたようだね。しかし、それを陰陽頭様は利用できると気づいたということさ。実際、今、頭の地位にいるのだから、それが成功したというのは解るよね」
「はあ」
凄く戦略的にやって来たというわけか。忠行の人の良さそうな笑みを思い出し、実は怖い人だったんだなと認識を変更させられる。
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