心の欠片 5

 午前の授業の終わりを告げる予鈴の音が鳴り響き、騒がしさに染まりつつある教室に、各種の食べ物の匂いがぶつかり合っている。

 いつも通りの昼休み。だけど、あたしにとってはいつも通りじゃない。

「すーはー……すーはー」

 深呼吸をしながら、あたしは確かめるように長方形の箱を持っている指に力を入れる。

 視野の隅に成良と豊原が黒板消しを使って日直の仕事を果たせている。恐らく成良はあたしの方を見ていると思う。大丈夫、成良が教えてくれたし、上手く出来たはず。

 自分の席と相対する廊下側の後ろから3番目の席へ、あたしは向かう。

「茉緒……」

「……」

 綺麗に片付けられた机の前に立って、あたしは茉緒を呼びかけた。

 あたしの親友だった茉緒。もう一度親友になるために、あたしが謝り続けている茉緒。

 予想通り沈黙だけが返って来たけど、気のせいかな?上げた茉緒の顔は前より少し緩まっている。

「これを受け取って欲しい」

 恐る恐ると、あたしは茉緒の机に箱を置いた。正確に言うと、弁当箱だ。

 昨日の放課後、あたしはお弁当を作るために、成良に料理の指導をしてもらった。

「……」

 疑問が茉緒の瞳に掠れた。だけど、特に躊躇いもなく、茉緒は淡々と弁当箱の蓋を開ける。

 すると、驚いて口を開く。

「おにぎり……」

 ギリギリ三角型に見えるご飯の塊二つが弁当箱にある。これが、一夜漬けの結果だ。大きさが違って、形だって醜い。ノリでかわいい絵文字を貼るつもりだったけど、不器用な手で出来たのはただのちぎりノリ。

 料理経験はゼロに等しいとは言え、さすがにあたしも自分の下手さに驚いた。

 それでも、どうしても自分の手で作りたいのは……

「覚えてる?4年前のクリスマスイブ」

「……」

「あの日、階段で茉緒とお弁当を食べて、あたしたちは友達になった。成良に教えてもらって、あたしもおにぎりを作ってみた」

 この一ヶ月間、あたしはずっと悩んでいた。もしかしたら、こんな一方的に謝っても、茉緒にとっては迷惑しかないじゃないかなって。もし、本当に茉緒が2度とあたしの顔を見たくもないと思っているなら、あたしは……もう茉緒に近づかない方が良いではないかな?

 悩んで悩んで仕方なかった。だけどあたしは、やはり諦められない。

「食べて……くれないかな?」

 あの日、あの弁当で、あたしたちは繋がった。それがかけがえのない思い出だ。

 だからこのお弁当で伝えたい。

 いつも傍にいてくれて、ありがとうって。

 酷く傷つけて、本当にごめんなさいって。

 今までも、これからも、ずっと大好きだって。

 噓じゃない、偽りのない本音だから。

 だから……

「お願い……」

 届いて。

 わがままだと、分かっている。

 虫が良い話だって、百も承知。

 それでも、届いて。

「……」

 待っても返事が来ない。だけど、その代わりに、茉緒は一つのおにぎりを持ち上げた。

 そしてゆっくりと、一口、嚙みつく。

「……これ、唐揚げ」

 感想の前に、茉緒は中の具材に気づいて不思議な顔をした。

「じゃあ、これは……」

 唐揚げのおにぎりを一旦下して、今度はもう一つのおにぎりを味わう。

「……やっぱり、焼肉」

「うん、あの時、茉緒が作ったおにぎりもこの二つだったから、好みかもって思って……」

「わたしが好きなのは、ツナマヨと昆布」

「え⁉でも……」

「あれは、奈名がお肉好きだから、肉を入れたものを作ったの」

「そ、そうなんだ……ごめん」

 本当に、あたしは最低だ。あれはあたしの好みに合わせて作った弁当なんて、今になって知った。ずっと一緒にいたのに、親友だと名乗っていたのに、あたしは茉緒の好物さえちゃんと答えられない。一体、この目で今まで何を見ていた?

「茉緒、あたしは……」

「米が硬い」

「え?」

「炊飯の時に入れた水が足りなかったの。一日放置されたものでもこれよりマシだよ?」

「ご、ごめん……炊飯なんて始めてだから……」

「それに中身が少ない。これじゃあただ白ごはんを食べてるじゃない」

「それ以上詰めようとしたら、上手く包めなくなっちゃったから……」

「佐上くんに教えてもらったのに、何でこんなもの作ったの?」

「うぅ……」

「本当に、奈名の料理はダメダメだね」

 覚悟はしたけど、ここまで辛辣な評判だと思わなかった。始めて出来た料理だから、実はもしかして褒められると、ちょっとだけ期待した。

 やはり、こんなあたしは……

「だから、今度はわたしが奈名に教えてあげる」

「え……?」

 茉緒があたしに……教える……

「そ、それって……」

 信じがたく茉緒を見たら、その澄ました瞳とピッタリ合った。

「許して……くれるの?」

 茉緒の顔に笑顔が照る。

 氷雪まで溶けそうな、寒い真冬の中に、一番温かい笑顔。

「次こそ、美味しいおにぎり作りましょう。二人一緒に」

「……!」

 伝わった。届いた。

 許して……もらえた。

「ちょっと、奈名⁉」

「え……?」

 茉緒が意外そうな声を上げたから、あたしは始めて気づいた。

 自分が泣いていること。

「あれ……どうして……?」

 指で頬を触れたら、温かい液体を感じる。

 拭い去っても、すぐにまた涙に濡らされる。

「どうして……もう泣かないと……決めたのに……」

 塞がれた声が、段々と泣き声に変わる。

 止めようと止めようと手の甲で目を擦っても、涙は止まってくれない。

 ただただ、言うこと聞かずに流れ続いている。

「奈名……」

「あたしは……泣いちゃダメなのに……」

 大事な人を傷付けたあたしは泣く資格がない。

 だからずっと我慢して来た。4年前のあの夜から。

「許されないと思った……うあ……」

 お母さんのことを思い出した度に。

 お父さんに暴力を振るわれた度に。

 茉緒を傷付けたあと、自分をどうしようもなく嫌いになった度に。

 ずっとずっと、あたしは泣くのを我慢した。

「もう二度と、茉緒が構ってくれないと思った……わああ……」

 でももう、ダメだ。

 温かく何かが凍り付いた涙腺を溶かしている。

 見えるものがぼんやりとなって、止まない雨のように、涙はただただこぼれ続ける。

「ごめんなさい……ごねんなざい……うあああ……茉緒……ぼんどうに……ごねんなざい……ありがとう……うああああああああ……!」

 自分が何を言っているのか、涙と鼻水でよく分からなくなったと思う。

 それでも、あたしは泣き続けた。

 もう止めようともしない。悲しくて、そして嬉しくて、嬉しくて、あたしは泣きじゃくる。

 止まない雨のように泣いている。だけど、止まない雨のように見える雨もいつか止む。

 そしてきっと、空は晴れる。




「すげえ泣いるな」

「ああ」

 黒板消しを粉受けに置いて、俺は京陽と一緒に奈名と茉緒の方へ眺める。いや、俺たちだけではなく、教室にいる全員が見ている方が正しい表現だろう。誰もが驚きを隠せずにいる。

 理由はもちろん、教室の中で号泣している奈名だ。

 無理もない。クラスであまり人と関わらない、かつ校内有名の不良少女が、今は子供のように泣いている。そりゃあ驚くよな。

 奈名も周囲の視線を気にする余裕がなく、ただ大声で泣きながらも、茉緒にごめんなさいとありがとうを繰り返している。

 大丈夫、きっと、今は泣いてもいいんだ。

 奈名は頑張った。そして、許してもらった。

 だから、いいんだ。

「成良」

「京陽、何だ?」

「ラーメン奢って」

「は?何でだよ?」

「だって、僕の手柄だろう」

「は?わけわからん。ってか何でドヤ顔してんだよ?」

 こいつ、もしかして俺の知らないうちに何かをしたのか?

 疑う眼差しで京陽を睨んみ、結局詰めることを諦めて俺は肩をすくめる。

「……まあ、奢ってやってもいいけど」

「太っ腹だな」

「お前が言っただろう」

「それもそうだな」

 いつもの軽口を叩きながら、俺は口元を少し上げる。

「奈名と小野里、あと花玲先輩も誘おう」

 依然涙が止まらない奈名。

 だが、涙でぐちゃぐちゃになったその顔が、何故かすごく嬉しそうに見えている。

「今日は祝うべき日だから」

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