第一章 二、鶏のはちみつショウガ焼きで飼い慣らしてみました ー 花②

(注 以下、しばらくトロニア語を『で表記します』)

「あ、来た」

 大きな気配が二つ。足音もなく入ってくるが、誰かはわかりきっている。ローヴとヘイワンの夜行性コンビだ。朝は弱いが、夜更かしは大得意。照と気が合うのもそこらへんかもしれない。

『ハナさーん、今日もかわぅいーねー。何か食わせてー。俺のなかのハナさん濃度がさがってんの』

『うむ、大盛りで頼む』

 チャラいのが虎人のヘイワン。硬いのが狼人のローヴ。照は密かに「チャラ虎」「狼侍」と名付けている。適当な呼び名は照の得意技だ。徳山くんを「トクポリン」、宮内さんを「ミャーゴ」と家で呼んでいるのを、本人に教えるべきか否か。ちなみに、トクポリンは二十代だが、ミャーゴは五十代。まだ獣人たちのほうが、特徴を捉えているだけマシかもしれない。

 もちろん、こちらも本人たちには内緒だが。

 ヘイワンは大陸系東洋人の偉丈夫。ローヴは東欧系のハンサムらしい。ファンタジーでよく見る、首から上が獣、というわけではなく、普通の人間に耳と尻尾がついている。

 この地域では、そこそこ混血が進んでいて、西洋風の顔立ちに虎の耳と尻尾とか、純和風の顔立ちに銀狐の耳と尻尾とか、色々だ。

 何割かは完全獣化ができるらしい。ローヴの灰銀色の滑らかな毛皮を撫でさせてもらったことがある。

 強(こわ)い背中、柔らかい耳、ふさふさの尻尾、もふもふの腹。大きさは大型犬よりかなり大きい。

 照の弁によると、どういうわけか獣化において、質量保存の法則は適用されないそうだ。他の物理法則はほぼ同じというから、まだまだ研究の余地がありそうである

『よう来たね、まあ座りんしゃい』

(*面倒くさくなったので、ここからは全部トロニア語でお送りいたします)

「お帰りなさいませ、ご主人様! 今日も萌萌歓迎だっちゃ」

 ああ、夫よ。なにゆえあなたはそんな特殊な言語センスをしているのだ。メイド喫茶か。だいたい「だっちゃ」って何だよ。年代がバレるだろうが。カウンターに移動しながら、内心でツッコミまくる。当野照は、上機嫌で食事を続行中である。

 花はじぶんのトロニア語が訛っていることは、百も承知で額を押さえる。もう十年にもなるのだから、なんとかならないものか。照も自覚はあるらしい。日本語だと饒舌なのにトロニア語になると途端に口数が減る。

「あー、テルさーん。こないだ滑車の修理してくれたじゃん? あれ、サイコー。お礼にじーさまばーさまが筍持ってけって」

 誰も夫の珍妙な言葉遣いを気にしてないから直らないんだな。納得のうえ、花はキッチンに向かった。

 西の岩山の麓、竹林の奥に住むヘイワンの一族が掘ってくる筍は、柔らかく香り高い。

 五百年前に大地震のため「ずれた」のは、家屋や水田だけにとどまらず、竹林や沼もある。竹林には筍。沼にはレンコン。他にも、里山のキノコや木の実などなど。お陰で花たち現代人はおいしい思いをさせてもらっている。

「いつもありがとね。明日は筍ご飯と木の芽和え、それから鶏肉と煮ちゃろうかね。樹(いつき)ちゃんが来たら、天ぷらにしてもらおかね」

 じゅるり。例えではなく、実際に舌なめずりの音がした。照が含み笑いをしながら指摘する。

「むふふふふふふヘイワン、ローヴ、尻尾ふりふり、きゃぴりん萌っちゃ」

 そうかそうか、そんなに嬉しいか。花は虎と狼の尻尾が並んで、ゆらゆらふさふさ揺れているのを想像して、幸せな気分になる。

 中途失明は困ることも多いが、映像や色をイメージしやすいのはありがたいところだ。

「茶碗蒸しと筍ハンバーグ。それからがめ煮」

 砦で照の次ぐらいに口の重いローヴが、控えめにリクエストした。

「追々作っちゃるけん」

 こうしたおねだりも、花の楽しみだ。リクエストの品を、皆が幸せそうに食べるとき、何とも言えないじんわりと温かいものが胸に広がってくる。

 とりあえず、今はカレーだ。

 花の手はゆっくりと、いろいろな物の位置を確かめながら動く。目の代わりをするのは主に手であることも、見えなくなってから知った。

 巨大な深皿二枚に飯の残りをすべて盛り付ける。そこに温めたカレーをかける。これは重い。どれだけの量を作ろうとも、残飯がまったく出ないのは、彼らの胃袋のお陰だ。

 ただし、量が足りないと世にも悲しい声で唸るし遠吠えするので、多めに作るのが常になっている。

 さらにいつでも使える食材を備蓄してもいる。

 花は自分の体調に自信が無い。ポンコツな心臓は、たまに働くのを嫌がる。だからそういう時のために、焼くだけ揚げるだけ温めるだけ、の保存食品を暇ひまに作り貯めしている。

「カレーって聞いてたからさあ。やべーうれしすぎるって、無駄に草っぱら走り回っちゃったよお。いやあ、腹減ったぁ。ハナさーん何とかしてぇ」

 カウンターでごろごろ喉を鳴らすヘイワンは、チャラいおねだりモードに入っている。遠回しすぎて面倒なので全力でスルー…と思ったところでど真ん中どストレートの剛速球が来た。

「肉が足りぬ。肉を所望する」

「ローヴ、おまいさんねえ、もうニホンジンと付き合い長いんだからさあ。何かこう、ニホン的な気遣いっちゅーか、奥ゆかしさっちゅーか…」

「知らぬ。ハナ殿は常に要求を簡潔かつ明瞭に言えと仰せだ」

「ああ、そのほうがよか」

 花は冷凍庫から肉の塊を取り出した。鶏のもも肉を四枚。これを解凍する。

「すぐに作っちゃるけん。牛すじカレーと甘酢レンコン食べながら待っちょりよ」

 照のテーブルについたらしき二人は、小さく吠えたりうなったりしながらカレーを攻略し始めた。

「うう、うまい」

「あおぉん」

 なかなかいい反応だ。鼻唄まじりに花は、解凍した鶏肉から漬け汁をこそぎ落とす。熱したフライパンに皮目を下にして並べ、皮に焦げ目がついたあたりでひっくり返し、ちょっと焼いたら酒を振りかけて蓋をする。蒸し焼きして終了。

 キャベツの千切りを添えたそれは、なんともいい色に焼き上がっているはずだ。

「ハナさん、これ何?」

 すかさず皿を取りに来たヘイワンが尋ねた。

「鶏肉をおろしショウガと蜂蜜、醤油、酒に漬けちょったと」

「ああ、ローヴんとこの蜂蜜ね」

 狼人の一族には森の外れで養蜂業を営んでいるものたちがいる。草原の至る所に自生しているロムラという黄色の花の蜜を集めているのだが、濃くて上質なので、貴重な収入源のひとつだ。

「また持参する「

 ローヴの声が弾んだ。きっとまた尻尾振ってるな。花はほくそ笑んだ。

 ヘイワンの運んだ皿を前に、二人は再びじゅるりと舌なめずりした。

「よう食べり」

 お行儀良く、二人は肉にナイフを入れて食べ始めた。途端に肉食獣のうなりが漏れる。

「ぐうう、これはただの照り焼きじゃないねえ」

「常よりも肉が軟らかい。それにこの香りは」

 はちみつには、肉を軟らかくする効能がある。漬け込む前によく揉み込んだ肉は、ジューシーかつ柔らかくしあがっている。焼きすぎないのもコツのひとつ。

「ローヴ、一口あーんだっちゃ」

 レンコンをつまんでいた夫が味見をしたくなったらしく、隣のローヴにねだった。

 狼男が中年男に「あーん」をしているところを想像し、花は噴き出した。ヘイワンも吠えるように笑っている。

 これだから賄いはやめられない。花の一日はおおむね、こうしてのったりまったり暮れていく。

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