第一章 一、牛すじカレーに人生を見失う③

「何じゃこりゃあっっっ!!??」

 絶叫が曇天を貫く。

 もはやオルコットに懐いてくれる猫など一匹もいない。やさぐれて旅にでも出てしまったのだろう。したがって、オルコットの心の声はだだ漏れである。

「おや、人相が悪くなっとるぞ」

 ヘムレンはこの光景を見ても動じる様子がない。涼しい顔でスケルトニオについて行く。

「騎士ヘムレン、あんたこれ見てなんとも思わんのかっ!?」

「ヘムさんとは呼んでもらえんのじゃろか」

 話が噛み合わない。わざとらしく、しょんぼりとした様を装ったヘムレンを慰めるよう、にスケルトニオは背中をさすってやっている。こちらもわざとらしい。二人してちらちらこちらを見てくるのがむかつく。

「これまで苦楽を共にしてきたというに、オルたん冷たいのう」

 調子に乗ったヘムレンが泣きまねを始めるに至って、わなわなと震えるオルコットの中で何かがぶっつりと切れる音がした。

「楽しかったのはあんただけだろがぁっ! 俺にしたこと全部忘れたとは言わさんぞ。それと、オルたん言うなとあれほど」

 積もり積もった鬱憤に言葉が詰まる。忘却砦に来たからといって、忘れられないこともあるのだ。

「賭場の借金のカタにされかけるわ寝床におばさんやらおっさんやらもぐり込んでくるわ湯浴みすりゃ覗かれるわっ、挙げ句の果てに俺を嫁にやろうなんてっ」

 言っているうちに、ばかばかしくなってきた。なんで今まで我慢してきたのだろう。

「なかなか刺激的だったじゃ炉?? 最後にはちゃんと助けたじゃろ?」

 オルコットを見せ金にし、美人局の片棒を担がせ、見世物にし、結納金目当ての結婚詐欺までやらかしかけた老人は、まったく悪びれない。

「それもこれも、オルたんがちっこくて可愛いからじゃ」

「ちっこいは余計だ。それとオルたんゆうなぁっ」

「まあまあオルたん、女の子みたいに可愛いのはほんとじゃぞい」

 エロじじいその二が、宥めるんだか煽るんだかわからないことをほざく。

 血が上った頭から、湯気まで出てきた。

 あーもう、やめだやめ。いい子でいるのも、他人の評価を気にするのも。生まれてこの方ずっと優秀で、よく「できた」子だと言われるために、剣術、学業、作法、ダンスと励んできた。母親の無茶振りの刺繍やレース編みの技術向上にも応えてきた。それもこれも、もうどうでもいい。

 もう我慢なんかしない。こんな地の果てまで来て、じじいの顔色見るかよ。これからは俺が好きな奴にだけに好かれればいい。嫌いな奴には嫌われてもいいし、どうでもいい奴はもっとどうでもいい。

 騎士になり、辺境の砦に赴任することになったときに、オルコットは密かに期待していた。実家の手が届かない土地で本当の自分を磨いてみたい、という志は高いものだった。

 それをじわりじわりとはぎ取ってくれたのが、他ならぬ「アマンラの戦神」ヘムレンである。思えばヘムレンがいい加減なくそじじいであることは、旅に出る前からわかってはいた。軍務大臣ハウヌーン伯爵に辞令を受けてからわずか一刻後、支給された支度金と旅費をきれいさっぱり使い果たしたヘムレンは、新米騎士のオルコットに集(たか)ってきたのだ。箱入り息子で騎士に叙任されるまで、火起こしひとつできなかったオルコットだが、金に関してだけは厳しく躾けられている。

 「身の丈に合わない散在は子々孫々まで祟。身を慎み家を保持せよ」。骨の髄まで母にたたき込まれた家訓は伝説の騎士に鼻で笑い飛ばされた。

 生きているうちにしか金は使えん、というのがヘムレンの言い分であった。

 結局旅費は俺の払い、その代わり野宿の世話はじじいになったんだよな。オルコットは念のため、多めに三十匹ほどの猫を被り、逃げられたり呼び戻したりしながらなんとかここまで己を失わずにきた。

 もう、猫なんかいないけどな。

「「オルたん」は気に入らんのかのう? 可愛いのに」

「そこじゃねえぞ。おいっ、スケじい。ここエンリカ砦の中なんだよな?」

 腕組みをしたオルコットが眉間にくっきりと皺を刻んでスケルトニオを見下ろした。実際には、ほとんど目の高さが変わらないので、いささか後ろに仰け反った形になっているが、機嫌が悪いことは伝わるはずだ。

「その通りじゃぞい」

「それじゃあ、この畑やら家畜やらは何なんだ!」

 両手をぶんぶんと振り回すオルコットの右手に「どどーん」と見渡す限りの畑。キャベツやら何やら様々な種類の野菜が延々と栽培されている。

 左手には「ばばーん」とこれまた見渡す限り、牧場。牛やら豚やら羊やら。様々な家畜がのんびりと草を食んでいる。

 正門を入ってすぐの厩を出て、本来の砦ならば大通りにあたる道はのどかな農村地帯の村道と化し、建物すら牛舎や豚舎らしきものしか見当たらない。

 槍や剣を握って鍛錬に励む猛者は?

 主人の武具を手入れして、光り輝く鎧や盾をさらに磨きあげる従者たちは?

 本当にここは、騎士団の常駐している砦なのか?

「兵站は軍略の初歩じゃぞい」

「言われんでもわかっとるわ」

 「これ」を兵站と呼ぶには、あまりにもナマだ。そもそも補給を必要とする騎士も従者もまったく見当たらない。

「あんた以外の騎士がいないじゃねえか」

 ふん、とオルコットは再びふんぞり返った。

「そうか、腹が減っとるのか。いや、気がつかんで悪かった」

 うんうんとスケルトニオは頷き、オルコットの肩をぽんと叩いた。

「まあ、飯でも食うて、この砦のことをゆっくり知るのもよかろうて」

 腹なんか減っとらん、と言いかけたオルコットの口より早く、腹のほうが返事をした。

「ま、まあ、俺も大人だから一回や二回メシ食わんでも…」

 言いかけて、慌てて口をつぐむ。事実、どうしようもないほど腹は減っている。

 一瞬の沈黙の後、ヘムレンとスケルトニオがまったく同じ表情でオルコットを見た。

「オルたんまだまだ育ち盛りじゃからな」

「オルたん、心配せんでも食えば育つぞい」

 可哀想な子どもを見る目に、再びオルコットの頭は沸騰した。ヘムレンはともかく、自分と同じ背丈のスケルトニオにまで憐れまれる覚えはない。

「そんな目で見るなぁっ! それとオルたんゆうなぁっ!」

 少し涙声になったかもしれない。

 砦の中身よりじじいの不埒より、自分の背丈が人生の大問題なのが男の子というものである。

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