第103話 喊声

「始まったようですね」


 黒アリスちゃんが、ダナン砦の方からわずかに聞こえてくる喊声かんせいときの声、剣撃の音に反応して振り返る。


「そうだね、予定していた時間通りに先陣が仕掛けたようだ」


 テリーもその場でダナン砦の方へと視線を巡らせる。


 これだけ離れていても聞こえてくるものなんだな。

 変なことに感心しながら、俺も、黒アリスちゃんに並んでダナン砦の方角へと視線を向ける。


 視線を向けたところで何か見えるわけじゃない。

 距離もさることながら、ようやく夜が明けようという時間だ。あたりはまだ薄暗い。


 今、この盆地にはカッパハゲとその部下、王国軍から抜粋した護衛兵とその従者というか小者、そして俺と黒アリスちゃん、テリー、マリエルとレーナが来ている。

 こちら側の他のメンバーは、盆地の南にある尾根の向こう側で、まだ眠っているはずだ。


「おいっ! 兵糧の引き渡しは終わったんだ。こいつらを連れて、さっさと持ち場へ戻れ」


 陣の設営を指示していたカッパハゲがこちらへ向き直り、俺たちを追い払うかのように、高圧的な態度で言い放った。


 先ほどからマリエルとレーナが、カッパハゲの周囲を飛び回っているのだが、どうやら、それがお気に召さないようだ。

 それもそうか。

 フェアリー嫌いだとのうわさは聞いている。どうやらうわさ通りのようだ。

 まぁ、フェアリー嫌いと聞いたので、わざわざマリエルとレーナを取り引き現場に連れてきたんだけどな。加えて、カッパハゲをからかったり、周囲を飛び回ったりするように指示を出している。


 カッパハゲのもの言いに頭にはきたが、まぁ、こちらとしてもカッパハゲの頭なんて見ていたくないので気持ちは一緒だ。


「持ち場に戻るのは良いですけど、支払いの方をお願いしますね。書類を頂いたら、皆のところへ戻ります。約束通り、王国軍の正式書類にこちらで員数を書き込むので、軍務顧問は金額を書き込んでください」


 カッパハゲに向かって、員数チェックが完了した用紙を右手でヒラヒラとはためかせる。


 王国軍の正式書類に販売側が員数を書き込む。その後、王国軍側が金額と支払期日を書き込み、軍務顧問の蝋印ろういんが押される。これを二通作成してお互いに所持し、期日以降に現金化する段取りだ。

 もちろん、カッパハゲが、正式書類によく似た偽物の書類を、用意していることは承知している。


 カッパハゲのヤツは、偽物の書類で支払いの書類を作り、知らぬ存ぜぬで踏み倒すつもりだ。場合によっては、国軍の書類を偽造したとして、逮捕も考えていることを、こちらは把握している。

 何しろ、用意した偽物の書類を目の前にして、高笑いしながら俺たちをめる段取りを、テントの中でつぶやいている姿を見ている。正確には、視覚と聴覚を飛ばして盗み聞きしている。


 もはや、こいつに同情すべき部分は微塵もない。

 精々、不幸になってもらおうか。


「まったく、これだからいやしいヤツラは――」


 カッパハゲが何やらつぶやきながら書類の準備を始めた。


 部下の一人が、準備しようとするのをわざわざ制止して、自分自身で準備をしている。

 なんとも慎重なことだ。


「ほら、書類だ。員数を書き込め。誤魔化したり間違えたりするなよ」


 テーブルの上に二通の書類を並べて、員数の記入を俺にうながした。


「はい、では書き込ませて頂きます」


 俺はカッパハゲの企みなど気付いていないかのように、満面の笑みで書類に員数を書き込む。


 カッパハゲは、俺が員数を書き込むのを見ながら、口元をいやらしくゆがめる。

 本人は見られていないつもりなのだろうが、左目の視覚をカッパハゲの正面に飛ばしてある。薄暗い中ではあるが、バッチリと確認できている。

 

「員数の書き込みが終わりました。記入ミスもありません。確認をしてください」


 員数を記載し終えた二通の書類を、カッパハゲの方へと差し出す。


「ふん、文字や数字を書き写すくらいはできるようだな」


 員数や誤字脱字などをチェックしているのだろうか? アラを探すようにこちらの書いた内容を細かく確認をしている。


 何時間か前、員数チェックに手間取るカッパハゲの部下一行を尻目に、俺たち三人が、暗算とそろばんを利用して短時間で計算をして見せた。

 どうやら、正確な数字の算出に時間をかけなかったのを、恥をかかされた、と受け止め根に持っているようだ。


 それにしても、支払う気もないのに内容のチェックをするんだな?

 普段の仕事の習慣からなのか、こちらのアラを探したいだけなのかは分からないが、ご苦労なことだ。


「ほら、金額とサインを入れた。持って行け」


 二枚の書類のうち、一枚を俺のほうへと乱暴に押しやる。


 俺は書類を受け取り、間違いがないことを確認する。

 書類を確認する俺の横で、レーナも書類を覗き込んでいる。書類に興味があるのか、或いは、単にカッパハゲをからかうのに飽きたのだろうか?


 マリエルの方は、カッパハゲの頭上三十センチメートルほどのところで、空中ダンスを踊っている。

 カッパハゲが脊髄反射的に顔と頭を真っ赤にして、手を振り回したり、意味不明に喚き散らしたりすのが面白いらしい。


「フェアリーってのは本当にバカなんだな。字も読めないのに書類を覗き込んで。そんなに人間の真似がしたいのかね」


 小さく飛び跳ねるようにしてマリエルを追い払うと、忌々いまいましげにこちらを睨みつける。


「読めるもんっ。ちゃんと読めるよ」


 レーナが、俺の耳元で手足をバタつかせながら、激しく抗議をしている。どうやらレーナのプライドを傷つけたようだ。


「うちのフェアリーは優秀なんですよ。レーナもマリエルも文字が読めますし、簡単な足し算と引き算くらいならできますよ」


 テリーがこちらへ近づきながら、ジェスチャーでレーナを呼ぶ。

 レーナもそれに応えて、テリーのふところへと、もの凄いスピードで飛び込んでいった。


「はい、確認終わりましたよ」


 テリーに反論しかけたカッパハゲの目の前に――ちょうど視界を塞ぐようにして控えの書類を差し出す。


「これだから、探索者はっ! 礼儀もしらんのか? 書類を人の目の前に突き出すな」


 怒りの矛先を俺へと変更して、目の前に差し出された書類を乱暴に奪い取った。そして、ろくに確認もしないで傍らに控えた部下へと渡した。


 書類は部下の目の前に突き出されている。

 たった今、礼儀知らず呼ばわりしていたが、その原因となることを自分もやっている。

 気付いていないのだろうか? ちょっとあきれながらその様子を眺める。突っ込みたいところだが、さすがに言葉にはできないな。


「あーっ、自分でもやってるよ。書類を目の前に出しているよー、このハゲも礼儀知らずだよー」


 マリエルがカッパハゲの頭上一メートルほどのところで、カッパハゲの頭頂部を指差しながら大声で騒いでいる。


 さすがフェアリーだ。

 何の躊躇ちゅうちょも容赦もない。安全地帯からハゲ呼ばわりだ。


「この虫をつれて、さっさと失せろーっ!」


 今にも抜刀しそうな勢いで、真っ赤になっていた顔と頭を、さらに真っ赤にして俺のことを睨みつけている。


 視線で人を殺せるとしたら、俺はたった今、絶命していたかもしれない。

 いや、それ以前に、魔法障壁を展開していなかったら、カッパハゲのつばがひっかかるところだった。あぶない、あぶない。


「申し訳ありませんね。すぐに帰りますから」


 カッパハゲから距離を取りつつ、ジェスチャーでマリエルを呼ぶ。


 黒アリスちゃんとテリーに目配せをして、事が首尾よく運んだことを知らせる。

 二人の口元が緩む。


 俺たちはこの場を後にするため、待機させているワイバーンのところへと足を速めた。


「まだにらんでますよ」


 黒アリスちゃんが、ワイバーンのもとへとたどり着いたタイミングでカッパハゲのことを確認する。


「よっぽど頭にきたんだろうな。よくやったぞ」


 テリーが苦笑しながら、レーナの頭をなでている。


「マリエルもよくやった。お陰でカッパハゲのヤツ、冷静な判断ができなくなっていたよ。帰ったら蜂蜜をあげるよ」


 俺も思わず吹き出す。マリエルの頭をなでながら、アーマーの内側へと潜り込ませる。


「ハチミツー」


「ハチミツ、私もー」


 俺の言葉にマリエルだけでなく、レーナも反応を示す。本当に蜂蜜が好きなんだな。


「ああ、大丈夫だ。レーナにもあげるよ」


 テリーが騒ぐレーナをなだめ、ワイバーンへと飛び乗る。


「ミチナガさん、これはどうしますか?」


 黒アリスちゃんがアーマーの胸元をわずかにずらして俺に見せる。


 服の上からだが、魅力的な双丘の形が十分に想像できるくらいに見て取れる。

 良い眺めだ。

 いや、違った。双丘の谷間に丁寧に巻かれた書類が覗いている。カッパハゲが用意した偽物の王国軍の書類だ。

 あらかじめこちらで用意した、本物の王国軍の書類とすり替えたのでここにある。


 俺が員数を書き込むときに黒アリスちゃんの空間魔法で書類をすり替えた。

 単純なことこの上ない。

 辺りは薄暗い上、カッパハゲ本人は、嫌いなフェアリーに終始まとわり付かれて、碌に書類を気にしていなかった。

 もしかしたら、策士策に溺れるの典型で、自分の策に絶対の自信を持って成功を疑わなかったのかもしれない。

 いずれにしても、結果は期待通りだ。


「ありがとう。黒アリスちゃんの精密な空間魔法のお陰で上手くいったよ」


 黒アリスちゃんの白髪をなでながらお礼を言う。

 もちろん、お礼にはわずかに覗かせていた双丘の谷間が見えたことに対するお礼も含まれている。口には出せないが、気持ちは大切だ。


「いえ、この間一度やっているので緊張もなく簡単にできました。いつでも言ってくださいね」


 黒アリスちゃんがもの凄く嬉しそうにほほ笑みかけてくる。


「そうだな、何かの役にたつかもしれないし、アイテムボックスの中にしまっておいてくれ」


「はい」


 黒アリスちゃんが俺の言葉に、快活に返事をしてワイバーンへと飛び乗った。


 でも、何で最初からアイテムボックスにしまっておかなかったんだ?

 俺に見せるためか? 胸の方をだろうか? 書類の方をだろうか?

 期待と妄想を巡らせながら俺もワイバーンへと飛び乗った。

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