てんびん座と、おおいぬ座
「やっちゃった……また、失敗しちゃった……」
――電気の点いていない薄暗い部屋の中で、伊織は一人膝を抱えていた。
傍らに置かれているスマートフォンの画面が発する光が放つ煌々とした輝きを目にした彼女は、そこに表示されている数字を見て、苦悶に表情を歪ませる。
メグ・ハウンドのチャンネル……その登録者が日に日に減っていることに対して、伊織は強い焦燥感を抱いていた。
「なんで私ってばこうなのかなぁ……? どこで何をやってもダメダメじゃない……」
デビュー間もない新人である自分が、早々に先輩や所属事務所に迷惑をかける騒動を引き起こしてしまった。
そのことを悔やむ伊織は、同時に自分自身のダメさ加減に絶望してもいるようだ。
思い出すのは前職での失敗。一生懸命に働いてもやらかすばかりで、周囲に迷惑をかけっぱなしだった。
Vtuberとして新しいスタートを切ってからはそんなことはないようにしようと意識していたはずなのに、自分の迂闊な行動のせいでこの有様だ。
何をやってもダメな奴なのだろう。自分はそういう人間だとしか思えない。
伊織が先輩、スタッフ、そして同期たちにも多大なる迷惑をかけてしまったことを心の底から後悔する中、そんな彼女の暗い心境に反したピンポ~ンという軽いチャイムの音が部屋に響いた。
「あっ、えっ……?」
驚いて飛び上がりながらインターホンを確認した伊織は、玄関前に立っている人物が自分が尊敬する先輩こと秤屋天であることに気付くと、その驚きの感情を更に強める。
社員寮に住んでいない彼女がどうしてここに? と一瞬思ったがその答えは一つしかない。
天はわざわざ、自分の様子を見るためにやって来てくれたのだ。
「あっ、あのっ、は、秤屋先輩、ど、どうも……!」
「ああ、出た出た。居留守されたらどうしようかって心配しちゃったわよ」
「すすす、すいませんっ! え、えっと……」
先輩、それも自分がこの世界に飛び込むきっかけを作ってくれた憧れの人がわざわざ自分を訪ねてくれたのだ、どんなに凹んでいようとも、それを無視することなんてできるわけがない。
慌ててインターホン越しに天に声をかけた伊織がその慌てのせいで二の句が継げぬにいる中、天は呆れたように笑いながら彼女を落ち着かせるような優しい声で言った。
「とりあえず、中に入れてよ。色々と話したいこともあるしさ」
「……炎上のことについて、ですよね……?」
「まあ、そんな感じ。大丈夫よ、あんたを責めるつもりなんてこれっぽっちもないから。私も似たようなもの……っていうか、私の方が何倍もヤバいことしたことあるし、説教できるような立場の人間じゃないもの」
最初から天が自分を叱りに来たとは思っていなかったが、改めて彼女自身の口からそう言ってもらえると安心する。
少しずつ落ち着きを取り戻し始めた伊織は、深呼吸をしてからインターホンの画面に映る天へとこう返した。
「……玄関の扉、開けますね。いつまでも先輩を玄関に立たせ続けるだなんて、申し訳ないですし……」
「ありがと。私もそうしてもらいたかったから、助かるわ」
緩く笑みを浮かべて自分に感謝する天の態度に、少しだけ胸を痛める伊織。
助かっているのも感謝すべきなのも自分の方なのに……と思いながら玄関のドアを開けた彼女は、そこに立っていた小柄で大きな先輩を自宅へと招き入れる。
「どうぞ、大したおもてなしもできませんが……」
「急に来ちゃってごめんなさいね。でも、手ぶらで来たわけじゃあないから、安心して」
家に上がって早々、そう言いながらニヤついた天が持っていたビニール袋を掲げて伊織へと見せつける。
いくつかの紙袋に分けて入れられた焼き鳥たちと、銀色に輝くロング缶たちを取り出した彼女は、後輩へといたずらっぽく微笑みながらこう言った。
「あんた、成人済みだったわよね? つまみも買ってきたし、軽~く何杯か付き合いなさいよ!」
「えっ!? ええっ!? あ、あの、秤屋先輩って禁酒してるんじゃ……!?」
「まあね。だからこれは絶対に表に出すんじゃないわよ! うっかり口を滑らせてみなさい。私が燃えるだけじゃなくて、怖い黒羊先輩が降臨する羽目になるからね!? あんたは知らないでしょうけど、マジで怖いんだから気を付けなさいよ!!」
テーブルの上にビール缶を並べ、電子レンジで買ってきた焼き鳥を温め直しながらの天の言葉に唖然とする伊織であったが、彼女が自分を励ますためにこうしていることを理解して口を閉ざした。
自身への誓いよりも後輩である自分のことを優先してくれている彼女に何を言えばいいのかわからずに押し黙る伊織へと、カシュッと音を響かせながらビール缶のプルタブを開けた天が言う。
「まあ、色々と思うところはあるでしょうけど……酒の勢いに任せて、全部吐き出しちゃいなさいよ。先輩として、私が聞いてあげるからさ。自分で言うのもなんだけど、裏垢に書き込むよりずっとマシな形だと思うわよ」
「……はい、ありがとうございます」
先輩からの気遣いに感謝しながら、差し出されたビールを受け取る伊織。
椅子を使うでもなく、そのまま二人して壁に背を預けた状態で床に座り込んだ彼女たちは、焼き鳥を肴にしながら晩酌を始める。
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