もう一度、その手を


 ざわざわと、雑踏から人々の話す声が聞こえる。

 少しずつ大きくなり、響く声の数が増えていくことを感じながら、パレードが通る道の最前列を確保した零は、自分の横に並ぶ有栖へと視線を向けると周囲の声に負けない声量で彼女へと言う。


「早めに動いてよかったね。ここならパレードもよく見えるはずだよ」


「私、背が低いから最前列を取れてよかった。後ろの方だったら、何にも見えなかったかもしれないし……」


 くるりと後ろを振り返り、そこにできている人の列を目にした有栖がぼそりと呟く。

 確かにこの人の壁を前にしたら、背が高い零ならまだしも背が低い彼女では前の景色が何も見えなかったかもしれない。


 そういうことも考えて、少し早めに場所取りをしてよかったと自分の判断が正しかったことに安堵しながら、零はパンフレットの地図を見て自分たちの位置とパレードの通る方向を確認していった。


「俺たちがいる場所がここら辺で、パレードはこう移動して、こんな感じで通ってくるみたい。中間の位置くらいだから、やって来るまで少しだけ時間がかかっちゃうかな?」


「そっか……でも、楽しみだよ。昼のショーみたいなパレードとはまた違う、キャラクターたちが乗り物に乗って歌ったり踊ったりするやつだもんね」


 ふわりと、小さく微笑みを浮かべた有栖が期待を込めた感想を呟く。

 初めてのパレード観覧を楽しみにしているであろう彼女の様子に零もまた笑みを浮かべると、時間を確認して口を開いた。


「もうそろそろスタートだ。花火が上がるみたいだから、それも見逃さないようにしないとね」


「ふふっ、冬の花火ってなんだか新鮮だなあ……! 零くんもわくわくしてる?」


「まあね。有栖さんと一緒で、俺もパレードを見るの初めてだしさ。期待してないって言ったら嘘になるかな」


「じゃあ、私たち期待してる同士だ! えへへへへ……! くしゅんっ!!」


 楽しそうに話していた有栖が、不意に大きなくしゃみをする。

 寒そうにぶるりと体を震わせた彼女の様子に驚きながら、零はその身を案じて声をかけた。


「有栖さん、大丈夫?」


「あ、うん……大丈夫だよ。ただ、ちょっとだけ寒いかな……」


 盛大にくしゃみをしてしまった有栖が恥ずかしそうにはにかみながら零へと答える。

 もう季節は冬、夜は随分と冷え込む季節だ。Vtuberという職業柄、あまり夜間に外出しなかった有栖は、冬の夜の寒さに耐性がないのかもしれない。


(マズったな。このタイミングじゃあ何か飲み物を買いに行くこともできないし、かといってこれ以上の寒さ対策ができるわけでもねえし……)


 パレードが始まりそうになっているこの状態では、最前列から離れて温かい飲み物を買いに行くということもできない。

 他に何かできそうなことといえば、自分が着ている上着を貸すことくらいだろうが……それをしたら零の方が寒さに震えると言って、有栖は遠慮するだろう。


 それでもやはり、有栖が寒がるくらいならば自分が我慢した方がいいと思いつつ上着を脱ごうとした零は、横目で彼女の様子をちらりと窺ってその動きを止めた。


 両手を顔の前で重ね、はぁはぁと息を吹きかけている有栖の小さな手は、微かな震えを見せている。

 口から吐き出す白い息が宙に舞って消えていく中、かじかんだ手が随分とつらそうだなと思った零は……僅かに息を飲んだ後、彼女へとこう声をかけた。


「有栖さん、左手貸して」


「えっ……? ひ、左手? こ、こう、かな……?」


 不意にそんなことを言われた有栖が、いまいち意味を理解できないままその言葉に従って零へと自身の左手を差し出す。

 自分の前に伸びてきた彼女の小さな手を少しだけ見つめた零は、そっと右手を重ねると、優しく有栖の手を包み込んでみせた。


「あっ……!?」


 冷え切った自分の左手が、温かい零の右手の中に包まれる感覚。

 思わず声を漏らした有栖の頭の中には、昼のパレードの際に彼と手を繋いだ時の記憶が蘇っていた。


 優しく、強く……自分の手を握り締めてくれた零が、自身の右手ごと寒さにかじかむそれを上着のポケットの中に突っ込む。

 温かい彼の手の感触と、冷えている冬の外気から遮断されたポケットの中の温もりを感じる有栖の心臓は、どくんどくんと早鐘を打ち始めていた。


「……ごめん、寒そうだったからさ。嫌だったら、すぐに止めるけど――」


「……ううん、嫌じゃないよ。零くんの手、すごく温かい……!」


 確認のために声をかけてきた零へとそう答えながら、幸せそうな笑みを浮かべる有栖。

 少しずつ、左手から感じられる温もりが全身へと広がっていくことを感じる中、星々が光る冬の夜空に花火が打ち上がる。


 パレードの始まりを告げる花火たちがどんっ、どんっ……という音と共に次々と花開いていく様を目にした有栖が視線を零へと向ければ、彼もまたこちらを見つめていることに気が付いた。

 数秒間、お互いに何も言わずに見つめ合った後、小さく息を吐いた零の唇が動き、静かな言葉が紡がれる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る