またこの男は、嫁に心配かけて……

「やっほー! 遊びに来たよ、ゆーくん!!」


「……君か。今はちょっと忙しいから、本当に遊びに来たなら帰って――」


 玄関のドアを開け、有栖たちの前に姿を現した優人が少しだけ疲れを感じさせる表情を浮かべながら口を開く。

 実際はそうじゃないんだろうけど、という前提を踏まえて話をしていた彼は、そこで訪れたのが澪だけでないことに気が付き、有栖の方を見た。


 そうして、二人が持っている差し入れが入ったビニール袋へと視線を落とした彼は、僅かに目を伏せてから大きく家のドアを開き、言う。


「……どうぞ。僕の家じゃあないんだけどね」


「あ、ありがとうございます……」


「おっじゃましま~っすっ!!」


 丁寧に挨拶してから家に上がる有栖と、元気いっぱいに上がり込む澪。

 この場に家主がいない状態で続けられるやり取りはなんとも面白おかしいものだが、それを全く気にしないでいる澪は早々にリビングに向かうと、持ってきたエナジードリンクを冷蔵庫の中に放り込んでいった。


「一人暮らしにしては大きめの冷蔵庫だね。お陰で楽々しまえて助かっちゃうよ!」


「仕方がないこととはいえ、勝手に人の家の冷蔵庫を開けるのはどうかと思うけどね、僕は。っていうか、どれだけ買ってきたのさ? 阿久津くんにエナジードリンク漬けの生活を送らせたくはないんだけど……」


「わかってるって! 美味しい手料理もごちそうしてあげるから、楽しみにしててよ! ねっ、有栖ちゃん!」


「あっ、は、はいっ!」


 急に話を振られた有栖は、びくんっと体を震わせながら大声で返事をした。

 そんな彼女へと視線を向けた優人は、初対面の挨拶よりなにより有栖が何を望んでいるかを理解し、彼女へとこう言う。


「……阿久津くんは向こうの部屋で作業をしてるよ。一緒に会いに行こうか」


 その申し出にこくりと頷きつつ、優人の後に続いて作業中の零の下へと向かう有栖。

 PCが置いてある部屋の中ではその零がぶつくさと何かを呟きながら、仕事と格闘している真っ最中だ。


「う~ん……狩栖さん、ここのシーンの効果音、こんな感じで大丈夫ですかね? 秒数とかもっと細かく調整します?」


「一旦作業を止めようか。お客さんが来ているよ」


「へ……?」


 どうやら彼は作業に熱中するあまり、有栖たちの来訪に気が付いていないようだ。

 優人の言葉に振り向いた零は、そこで二人の姿を目にして大いに驚いた表情を見せる。


「有栖さんに須藤先輩!? ど、どうしてここに!?」


「頑張ってる零くん&ゆーくんに差し入れを持ってきたのだ~! 有栖ちゃんがカレーの材料を用意してくれたから、愛情たっぷりの手料理も振る舞っちゃうぞ~っ!!」


「あ、そ、そうなんですね。ありがとうございます……うげっ!?」


 驚きながら発した自身の質問に対する澪の返答に、感謝の言葉を口にして頭を下げた零であったが、その顔を有栖に掴まれて素っ頓狂な声を上げてしまった。

 そのまま、じっと自分の顔を見つめてくる彼女の様子に彼が冷や汗を流す中、口を開いた有栖が小さな声で呟く。


「……目の下にクマができてるよ。ちゃんと寝てるの?」


「えっ!? ね、寝てるよ? うん、寝てる寝てる!」


「……本当に?」


「ほ、本当だって! きちんと作業の合間に仮眠を取って、休憩してるから! ねえ、狩栖さん!?」


「……私の言う寝てるっていうのは、ベッドに入って八時間ぐっすり睡眠を取ることを指すんだ。零くんのそれとは、全く意味が違うね」


 にこりと笑いながらそう言う有栖だが、零の目にはその笑顔がとても恐ろしいものに見えていた。

 降臨した黒羊さんに彼が怯える中、有栖の援護をするように澪と優人が口を開く。


「有栖ちゃんの言う通りだぞ~っ! そういう働き方はブラック体質のゆーくんだからこそできることであって、一般人がやったら体を壊しちゃうんだからね!」


「ほら、だから言っただろう? 根を詰め過ぎるのはよくないから、しっかり睡眠時間を取りなって。休むことも仕事の内だよ、阿久津くん」


「ちょっ!? 須藤先輩はまだしも、狩栖さんはフォローしてくださいよ!」


 一対三で一方的に責められる零が悲鳴に近しい叫びをあげる中、有栖がそんな彼の手をぎゅっと掴む。

 小さな手に力いっぱい込められた想いを感じ取った零がはっとして視線を彼女へと向ければ、涙目の有栖が声を震わせながら叱責の言葉を口にし始めた。


「……前にも言ったよね、無理しちゃだめだって。また忘れちゃった? 私を心配させることなんて、どうだっていいの?」


「そっ、そんなことないって! ただ今は本当に忙しいっていうか、急いで仕事を終わらせなきゃいけないから――」


「前に倒れた時もそうだったじゃない。嫌だよ、もう。私、あんな思いしたくないよ……」


 ぎゅうっと自分の手を握り締める有栖がこぼした言葉に、口を閉ざして何も言えなくなる零。

 初めて尽くしの作業が楽しくって、誰かに頼りにされることが嬉しくって、またしても気が付かない内に無茶をしてしまっていたことを反省した彼は、有栖の手を握り返して、口を開く。


「……ごめん。そんなつもりじゃなかった……っていうのは、言い訳だよね。心配かけて本当にごめん。謝るよ」


「……いいよ。こうなってると思ったから様子を見に来たわけだしさ。でも、もう今日はお仕事終わりにして、休んで。今後も無茶は禁止。それを約束してくれなかったら、泣くから」


 こくん、と有栖の言葉に頷いた零が彼女の願いを承諾する。

 しんみりとした空気の中、二人のことを見守っていた澪がこの雰囲気を吹き飛ばすような明るい声で話を締めにかかる。


「よし! じゃあ、今日のお仕事が終わりになったところで、ご飯にしよう! 有栖ちゃんと一緒に美味しいカレーを作ってあげるから、零くんとゆーくんはそれまでお休みね!!」

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