澪の、過去
……気が付けば、街には雨が降り出していた。
無言のまま、降りしきる雨の音だけを聞きながら、窓の外を見つめる零はずっと物思いに耽っている。
過去、【トランプキングダム】では何があったのだろうか? 澪はどうして、ハートのクイーンとしてデビューせずに【CRE8】に来たのだろうか?
その全ての答えは、これから向かう場所で待つ人物が明かしてくれるはずだ。
そうして、優人が運転する車に乗って沙織と共に社員寮へと帰ってきた零は、その前で待っていた人物の姿を見て、僅かに心臓を震わせた。
傘をさし、どこか切ない表情を浮かべている彼女は、止まった車へと歩み寄ると開いた窓から中にいる零たちへと声をかける。
「おかえり……色々とごめんね」
「……君が謝ることじゃない。むしろ、謝罪するのは僕の方だ。同僚たちの暴挙を止めることができなかったせいで、こんなことに――」
「ゆーくんが自分を責める必要なんてないよ。昔からずっと、あたしやトラキンのために一生懸命になってくれたじゃん」
ダイニングバーでのいざこざを報告されていた澪が、自分を責める優人を優しく励ます。
そうした後、小さく息を吐いた彼女は、視線を車に同乗している零と沙織へと向けると、悲しそうな表情を浮かべながら頭を下げた。
「零くんも沙織ちゃんも、本当にごめんなさい。あたしの元同僚がご迷惑をおかけしました」
「元同僚、ってことは……やっぱり、須藤先輩は……」
「うん。【トランプキングダム】に所属してた。デビューする前に辞めちゃったけどね」
全てを白状するように、力ない弱々しい笑みを浮かべながらそう言う澪。
その後、視線を再び優人へと向けた彼女は、彼の顔を見つめながら確認を取る。
「もう、全部話してもいいよね? 二人に納得してもらうためにも、あたしの口から全てを説明するよ……ゆーくんも、それでいい?」
「……ああ」
小さく、ぼそりと窓の外を見つめる優人がそう答えを返す。
明かされようとしている過去と真実の重みを感じ取った零は、この雰囲気に緊張感を高め、拳を強く握り締めるのであった。
「……もう二年か、それよりも前の話になるのかな。あたしとゆーくんが出会ったのは、【トランプキングダム】の現代表であり、スペードのキングとしても活動している剣山さん立ち合いの下だったんだ」
数分後、社員寮沙織の部屋。
そこに集まった零と沙織は、澪の口から彼女の過去と【トランプキングダム】所属時代に何があったのかを聞いていた。
すべきことがあると言っていた優人はこの場にはおらず、彼に変わって全てを説明する役目を担っている澪は、自分と優人との出会いから話を始める。
「あたしはオーディションを受けて、ゆーくんは剣山さん直々のスカウトを受けて、それぞれトラキンに所属することになったの。今日、沙織ちゃんに迷惑をかけた黒羽葉介くんと小森大也くんもスカウト組。他の子たちは多分だけど、あたしと同じオーディション組なんだと思う。って、その話はどうでもいっか」
ぺろりと舌を出しながらそう言う澪であったが、その表情にはいつものような無垢な明るさがない。
それだけ、この過去を語るのが彼女にとって苦しいことなのだろうと察する二人の前で、深呼吸をして心を落ち着かせた澪は話を再開する。
「あたしとゆーくんはすぐに仲良くなった。ゆーくんは今と同じで少しシャイだったけどあたしの話をきちんと聞いてくれたし、あたしも自分の作った物語とか、脚本とかをここまでしっかり聞いて、色んな意見を聞かせてくれるゆーくんのことを信頼して、大好きになって……いっぱい、色んなことを話したんだ」
懐かしい過去、幸せな思い出。もう戻ってはこない、されど確かに心の中にある美しい記憶。
それを振り返る澪の表情は幸せそうで、浮かべている笑みもまた優しさと明るさを取り戻していた。
「Vtuberだけの劇団を作りたいっていうあたしの夢のこと、その劇団で扱う脚本のこと、トラキンに所属してる同期たちに演じさせるなら、どんなボイス脚本にするか? ……楽しかったな、あのころは。毎日夜遅くまでゆーくんと話をして、いっぱい創作のことや夢の話で盛り上がって、本当に楽しかった……!」
同じ趣味を持つ者と、同じ目標と夢を抱く同志と、大好きな人と……毎日のように楽しく話をする日々。
それはきっと、澪だけでなく優人にとっても幸せで楽しい毎日だったのだろう。彼もまた、彼女と同じ想いを抱いていたはずだ。
これからもずっと、そんな日々が続くと二人は信じていた。疑いもしなかった。
しかし……その幸せが脆くも打ち砕かれる瞬間が、ある日唐突に訪れてしまう。
その日、【トランプキングダム】の代表である剣山一聖に呼び出された澪は、彼から一通の封書を手渡された。
その場でその封書の中身を確認した彼女は、驚きに愕然としながら目を見開く。
そこには、事務所側が澪がVtuberとして活動するために支給したPCなどの機材を用意するのにかかった代金、合計百万円近い金額の請求書が入っていたのである。
当然、彼女はこの暴挙に抗議した。契約書には、支給した機材の代金は毎月の給料から少しずつ差し引いて返済するという記載があったからだ。
しかし……一聖はそんな澪の抗議を鼻で笑うと、いけしゃあしゃあとこう抜かしたのである。
話が変わった。悪いが、今すぐに機材の代金を支払ってほしい……と。
これは明らかな契約違反で、こんなことが許されていいはずがない。
だが、一聖はその言葉に続けて澪にこんな脅し文句を投げかけてきたのである。
「もしもお前が代金を支払わないというのなら、ハートスート全体の扱いが悪くなることを覚悟しておけよ? お前が俺の言うことさえ聞いていれば、何もかもが上手くいくってことを忘れるんじゃないぞ」
……つまりは、そういうことだ。
一聖が澪と優人を引き合わせたのも、二人の親交を深めさせてお互いに信頼と好感を抱かせたのも、全てはこの関係を盾に澪を脅迫するためだった。
その脅しの効果はてきめんで、優人を人質に取られた澪は一聖に対して何も言えなくなってしまう。
そして、到底すぐに用意できるはずもない金額が記載されている請求書を見て顔を青ざめさせている彼女に対して、一聖はお決まりの取引を持ち掛けた。
「金が用意できないんだったら、代わりに体で支払ってもらっても構わないよ。それが今のお前に採れる、最善策だと思うけどなぁ……!」
一聖から欲望が籠った言葉を投げかけられながら無遠慮に胸を揉まれ、尻を撫でられた時のことを、澪は一生忘れることはできないだろう。
それほどまでに屈辱的で、恐ろしく、そして絶望的な瞬間だった。
もしかしたら、一聖は最初からこうするつもりで澪を【トランプキングダム】に引き入れたのかもしれない。
まんまと作戦通りに彼女を絡め取り、愛人関係を強要した一聖であったが……たった一つだけ、そんな彼にも予想できなかった事態が起きた。
それは、澪がこのやり取りを全て録音していたこと。
日々、脚本のネタを探し、構想していた彼女は、普段から小型のボイスレコーダーを常備しており、それを使って自分を脅して体を要求する一聖の声を録音していたのである。
これさえ使えば、彼の悪事を証明することができる。彼の愛人にもならず、脅しに屈する必要もなくなる。
しかし……澪はこの証拠を使って一聖に反撃することができなかった。
その理由もまた、優人の存在だったのである。
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