地獄絵図、完成

「うお~いおいおいおい! 坊や~! こんなに弱って、可哀想に~! お~んおんおんおん!」


「……あの、加峰さん? お見舞いに来てくれたことは嬉しいんですけど、少し静かにしてくれません? 社員寮とはいえ、周りの住民に迷惑ですし、地味に頭に響くっす」


 有栖や天に先んじて玄関の扉を開けた零は、鼻水を垂らしながら号泣している梨子の姿を目にして、大きなため息を吐いた。

 できるだけ言葉を選び、彼女を傷付けないように窘めた零ががっくりと肩を落とす中、涙を拭いた梨子が大声で騒ぎだす。


「また坊やが倒れたと聞いて、もう自分は心配で心配で……! 前みたいに入院するような事態だったら! それ以上にヤバい状況だったらどうしようかと! 不安で不安で仕方がなかったんすよ~!」


「心配してくれてありがとうございます。でも、とりあえず声を落としてください」


「ひぐぅ……!! 大体零くんは何事も真面目過ぎるんすよ~! もっと自分のように適度にサボる癖をつけないと、いつかパンクしちゃうっすよ! もっとリラックスして、のんびり日々を過ごせるようにっすね~……」


「いや、あなたは真面目に仕事してください。じゃなきゃ、また薫子さんに怒られますよ?」


 自分の身を案じてくれていることに関しては有栖と同じなのに、彼女とはえらい差があるな……と、義理の母親にツッコミを入れながら零が思う。

 どうしてまた体調不良の時にツッコミ役を担わなくちゃならないんだとは思いつつも、腕に引っかけているビニール袋から梨子もまた自分のことを心配してお見舞いに来てくれたのだろうと察した彼は、これ以上何も言えなくなってしまった。


「あ、これ、ドラッグストアでポケリスウェット買ってきたんで、いっぱい飲んでくださいっす! 体調不良にはやっぱポケリっしょ!」


「……大変申し上げにくいんですけど、それって粉のやつじゃありません? そのままだと飲めないんですが?」


「え……? あっ、本当だ!! 坊やがぶっ倒れたって聞いて、大慌てで買ってきたから気付かなかったっす~! や、やっちまった~っ!!」


 やっぱりダメ人間はダメ人間だなと、そもそも通常の状態でもまともに振る舞えないのだから、慌てている時にやらかさないはずがないじゃないかと、梨子の大ボケに頭を抱える零。

 だがまあ、その背後にあるリビングで更にとんでもないやらかしをしでかした女がいることに気付いていない彼が、どうしたもんかと考えたその時だった。


「あ゛く゛つ゛さ~んっ! 死なねでぐださ~いっ!!」


「えっ? この津軽弁って……まさかっ!?」


 とても聞き覚えがある訛り交じりの泣き声を耳にした零が顔を上げれば、目の前に梨子にも負けないくらいの号泣っぷりを披露しているスイの姿があるではないか。

 完全に予想外の人物の登場に零が唖然とした表情を浮かべる中、子供のように泣きじゃくるスイがわんわんと声を上げながら叫ぶ。


「阿久津さ~ん! 死なねで~っ! わーにでぎるごどならなもかもすますはんで、元気になってけ~!」


「み、三瓶さん!? どうしてここに!?」


「偶々こっちに用事があって、事務所にお邪魔すちゃーんだ! そすたっきゃ加峰さんから「坊やの命が危なくて危険っす~!」ってしゃべらぃで……SNSでも体調不良ってしゃべっちゅす、まだ過労で倒れだんでねがってもう心配で心配で……!!」


 ピュアにも程がある妹分の登場に唖然としながら、原因はお前かと梨子を見やる零。

 号泣する人間×二というどうしようもない状況にひくひくと口の端を吊り上げて苦笑していた彼の背後から、また別の人物が姿を現す。


「れ、零くん! ダメだよ、寝てなきゃ! お客さんの相手は私がするから、安静にしてて!!」


 リビングから天に派遣された有栖が、見るからに疲れる来客の相手をしている零を叱責する。

 言っていることは正しいのだが、この場面で登場してもむしろ大変な事態に発展していくだけじゃないかと思う零の予想通り、状況は混沌を深めていく。


「あ、有栖ちゃん!! 坊やの看病に来てくれたんすか! なんてできた嫁なんでしょう……! 自分はもう感動で前が見えないっす! ううう~……!!」


「入江さんが看病さ来るだなんて、ほんに危険な状況なんじゃ……!? 奥さんのだめにも、こごで死んだっきゃだめだよ、阿久津さん!」


「お二人とも、落ち着いて! 今は零くんのために、静かにしてあげてください!」


「うんうん、そうっすね……! 夫婦の時間を邪魔するわけにはいかないっすし、自分はこの粉のスポドリをどうにか液体にしてくるっす! キッチン、借りるっすよ! ちょっと待っててくださいね、坊や~!」


「あ、あの、加峰さん!? あなたが台所に立つと、とんでもない被害が出る気しかしないんですけど!? っていうか、秤屋さんと加峰さんが揃ったら相乗効果で破壊力が十倍くらいになる気が……!?」


「そいだばわっきゃ阿久津さんがぐっすり眠れるみでぐ子守唄歌います! いっぱい寝で、体力回復さへでけね!」


「三瓶さんの申し出は凄くありがたいんですけど、あの二人を放置してると一切安心できないっていうか、ぐっすり眠れないっていうか……ああ、有栖さん、引っ張らないで! 俺をリビングとキッチンに行かせて……!!」


 嫌な予感しかしない壊滅的家事能力コンビを放置した状況で寝室へと運ばれた零が、有栖とスイに強引にベッドに押し込まれる。

 二人の監視の下、子守唄を歌われて寝かしつけられる彼の耳には、スイの美しい歌声に紛れてリビングから聞こえてくる阿鼻叫喚の声が響いていた。


「ね~むれ~! ね~むれ~! よい子はね~むれ~!」


「この粉を水一リットルに溶かすんすね! ……で、一リットルってどんくらいっすか? どうやって計ればいいの?」


「とりあえずおかゆを温めるのに電子レンジは使えないってことはわかったわ! こいつを温めるには……湯せん? 湯せんって何?」


「阿久津さんは~、いい子だ~! ねんね~しな~……!」


「まあ、水はこんくらいで大丈夫っすよね! あとはこいつに粉を入れて……あんぎゃっ! 袋開けるのドジった! 粉がっ! 粉が散乱して~っ!!」


「お湯に袋ごとぶち込めばいいのね? まあ、そんくらいならなんとかなるでしょ……大丈夫よね? うっかり社員寮を火の海とかにしないわよね?」


「うとうと……ゆっくり~、ねむれ~……かくっ、ねんね~、しな~……」


「ほげ~っ! 水もこぼしちゃったっす~! 雑巾! 雑巾はどこっすか!? 誰か助けて、た~す~け~て~!!」


「よし、お湯が沸いた! この中にパウチを入れて……あれっ!? な、なんかお湯、黒くなってない!? あっ、さっきのレンジの爆発で袋が焦げてたのか! えっ、このままやって大丈夫なの!? お湯替えた方がいいわよね!? って、あっつ! 熱いっ! 水っ! 水を頂戴っ!!」


(……なんだこれ? なんだ、この状況?)


 自分の歌う子守唄でうとうとし始めているスイに、キッチンでとんでもない騒動を繰り広げている天と梨子、トドメに自分が身動きしないように力強い眼差しを向けて監視する有栖という、なんだかもうおかしいにも程がある状況に身を置く零がベッドに寝転がりながら冷や汗を流す。

 今すぐにキッチンの騒動を食い止めたいのだが、有栖はそれを許してくれないだろうな……だとか、遠出で疲れているであろうスイの方をベッドに寝かせてあげた方がいいんじゃないかな……と、地獄絵図の中で色々と考えている彼に向け、有栖がぐっと拳を握り締めながら言う。


「零くん、ゆっくり休んでね! 後のことは私がどうにかするから、安心して!」


 一生懸命自分を看病してくれようとする有栖には本当に感謝しているのだが……それでも限度というものがある。

 有栖に感謝しているが故に直接言葉に出すことはなかったが、どうしてもツッコまざるを得なかった零は、心の中で彼女へとこう告げた。


(この状況で、安心して休めるわけがないでしょうが!!)


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