本番開始前、気持ちを落ち着かせて


『始まりましたね。配信、問題なさそうですか?』


『こっちは大丈夫だよ。枢くんの方は平気?』


『同じく、問題ないみたい。う~、改めて大会の本配信とかコメントの雰囲気とか見てると緊張しちゃうな……』


 既に各自のチャンネルで自分たちの視点を見せるべく配信を開始していた3人は、本名ではなくVtuberとしての名前で呼び合いながら状況をチェックし合っていた。

 リスナーたちも彼らに協力してくれると共に、これから始まる大会本番に向けてのエールを送ってくれている。


【くるるん! ウオミー! 芽衣ちゃん、ファイト!! リラックスして、楽しんで!!】

【これまで色々大変だったけど、3人が頑張ってたのは間違いない! その努力を本番でぶつけてきな!】

【試合が始まったらコメント見れなくなっちゃうから今の内に……頑張れ! 負けるな! 全力で応援してるぞぉぉぉっ!!】


『ありがとうな。なんかもう、わくわくとドキドキが止まらねえや』


 自分たちへと寄せられる応援のコメントを目にしながら苦笑した零は、高鳴る胸の鼓動を静めるように胸に手を当ててから深呼吸をした。


 できる限り平静を保とうとしている零であるが、こういった大規模なイベントに参加するのは彼も初めてであり、少なからず緊張している。

 気持ちが昂り過ぎてもダメ、かといって固くなり過ぎるのはもっとダメという難しい状況の中、そういった心の乱れを表に出さないようにしながらメンタルコントロールを行っていた彼の耳に、落ち着いた陽彩の声が響く。


『芽衣ちゃんも枢くんも、リラックスしていこう。これまで練習してきたし、作戦会議も沢山してきたじゃない。ボクたちはボクたちの全力を尽くして、ぶつかっていければそれでいいんだよ』


『……うっす、そうっすね。これまでの練習で積み重ねてきたことを本番で出し切る、それだけでいいんですもんね』


『折角の大会だもん、まずは楽しまないとね! ありがとう、しずくちゃん。お陰で気持ちが楽になったよ!』


 先輩らしく、リーダーらしく、後輩でありチームのメンバーである零と有栖に優しく語り掛ける陽彩。

 結果や成績を気にするのではなく、これまでの努力を【ペガサスカップ】という最高の舞台で披露することを楽しもうという彼女の言葉に肩の力を抜いた2人は、気持ちを落ち着かせると共に感謝の言葉を述べる。


 およそ一か月前に出会った頃とは打って変わって、立派なリーダーへと成長した陽彩の姿に感心する零は、甜歌たちとの話し合いの翌日から大きく変わり始めた彼女のこれまでについて、振り返っていった。


(蓮池先輩、本当に凄いよな。なんていうか、一皮剥けたっていうか、壁を乗り越えたっていうか……)


 甜歌に自分の考えを否定された陽彩は、相当なショックを受けたはずだ。

 尊敬していた人物から勝利を目指さないなんてゲーマーとして失格だと言われたのだから、きっと陽彩は凹んでいるだろうと考えていた零であったが……翌日、彼女は傷心や迷いを感じさせないはっきりとした意思を抱いた状態で合同練習の場にやって来た。


 それは零にとっては予想だにしていなかった事態であり、同じく彼から【VGA】の代表として派遣された面々との会談の様子を聞いていた有栖もまた、どこか吹っ切れた様子の陽彩の雰囲気に驚きを隠せずにいたようだ。


 最初は甜歌に対して怒りや憎悪の感情を抱き、彼女を【ペガサスカップ】本番で打倒してみせると意気込んでいるのかと思った。

 尊敬していた人物から自分の心の根幹にある考えを否定されたことでその感情を反転させてアンチのような存在になってしまったのではないかと危惧した2人であったが、そんな心配は杞憂であったようだ。


 あの話し合いや、ゲームに関連する事件とそれが起因となって発生した炎上を目の当たりにして、陽彩が何を思ったのか?

 その上で、彼女は何を目指して【ペガサスカップ】に参加し、それを通して何を果たそうとしているのか?


 そういった話を裏で彼女の口から説明された零と有栖は、陽彩の変化の理由を理解すると共にそんな彼女の夢を叶えるために全力を尽くすと決めた。

 これまで以上に練習に励むことはもちろん、参加チームに関する情報を集めたり、自分たちが使うキャラクターたちのスキルやステータスについて学んだり、それ以外にも様々な面で努力を続け、その果てに今、彼らはこの舞台に立っている。


 本当に……自分たちの周囲では色んな事件が起き、騒動が絶えず、慌ただしい毎日を過ごしたものだ。

 だが、そんな中でも自分たちは最善の道を模索し、3人で協力して今日まで歩いてきた。


 これまで進んできた道を、後悔したことは1度だってない。

 例え間違っていたとしても、この仲間たちと共に歩んでこれた日々は零にとっての宝物だ。


 だから、自分たちはその想いを、これまで積み重ねてきた努力を、【ペガサスカップ】という最高の舞台で多くの観客たちの前で披露するだけでいい。

 1人でも多くのリスナーたちへと、ゲームの楽しさや素晴らしさを知ってもらうために、自分たちはこの舞台に立つ。

 そして、もう1つの目的を達成するために本気で勝負に臨むのだと……そう改めて自分たちの目標を確認していた零へと、本配信を視聴していた有栖が声をかけてきた。


『次、【VGA】チームの紹介みたい。同じVtuber代表だし、どんな風に紹介されるのか観てみようよ』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る