ゲームの、負の部分
ズシンと、薫子が言葉を発すると共に重苦しい沈黙が零たちへと圧し掛かってきた。
予想していた展開であったが、実際にこうして突きつけられると苦しいものがあり、その重圧に苦しむ3人は薫子からの問いかけに反応できずに押し黙ってしまう。
やがて、この沈黙を破るために口を開いたのは、やはり3人の中で最も冷静であろうとした零であった。
「……それは、大会参加を辞退しろっていう事務所からの命令ですか?」
「いいや、命令じゃあない。ただ、お前たちが現状をしっかりと理解した上で、それでも【ペガサスカップ】に参加したいと思ってるかどうかを聞きたいんだ。さっきも言った通り、緑縞穂香の炎上は所属事務所である【VGA】だけじゃなく、多かれ少なかれ大会参加者全員を巻き込む騒動になるだろう。その中でもお前たち3人は相当な注目を集めることになる。それを覚悟の上で、大会に参加するつもりかい?」
薫子が言いたいことは零にも理解できる。
彼女は今、純粋に3人のことを心配してくれているのだ。
今回の件で最も注目を集めるのは、緑縞穂香と同じ【VGA】所属の夕張ルピアチームの3人だろうが……零たちだって、彼女らと同等の注目を浴びる可能性はある。
『問題を起こした人物と同じVtuberであるから』という理由でアンチが集まり、謂れのないバッシングや面白おかしく茶化すようなことを言われたとしても、心を強く持ち続けることができるのか? そう、薫子は問いかけているのだ。
これまでの配信は陽彩の呼びかけやリスナーたちの協力、そして何よりFPS初心者向けの配信を行う【CRE8】とガチ勢向けの【VGA】という形での棲み分けができていたからこそいい雰囲気で行えていたわけで、今回の事件はそういった要素を全てぶち壊すだけの結果をもたらしてしまった。
初心者向けの、成績よりも楽しむことを優先した零たちの配信も、棲み分けを可能にしていた垣根が壊された今となってはその存続が危うい状態だ。
【VGA】側のリスナーがやってきて、生温い空気に物言いをつけてくるかもしれない。アンチがやってきて、配信を荒らすかもしれない。今回の一件に憤慨しているFPS民が穂香のやったことについてコメントを求めてくるかもしれない。
そういった扱いに、空気に、零たちが耐えられるだろうか?
特に気が弱い有栖や陽彩が酷いコメントを見て傷ついてしまう可能性が高く、薫子はそのことを心配しているのだ。
「……今ならまだ、事務所側から大会の出場を止められたって形で参加を辞退できる。この状況だ、ファンたちも【CRE8】を責めこそすれ、あんたたちの判断を責めることなんてしないはずさ」
撤退するなら今だと、そう薫子は言っている。
問題が噴出した今のタイミングなら、事務所が全ての泥を被ることで3人を守ることができると……零たちの身を案じている彼女は、そう言ってくれている。
これは命令ではなく、あくまで自分たち3人の意志を尊重した上で対処を決めようという提案をしてくれている彼女に、零は心の中で感謝をしていた。
だが、その上で……彼は、自分自身の意見を事務所の代表である薫子へと告げる。
「俺は、参加したいです。俺たちは何も悪いことなんかしてない、問題も起こしてない。なのに、他の事務所が起こした問題のせいで大会参加を辞退するなんて納得できないし、そんなことをしたら【VGA】への風当たりはもっと強くなると思います。Vtuber界隈のイメージがダウンしてるっていうなら、俺たちが大会で活躍することでその汚名を返上してみせますよ」
「私も……辞退はしたくないです。これまでずっと頑張ってきたのもそうだけど、大会に出るって言った私たちを応援し続けてくれたファンのみんなをがっかりさせたくないから……大変かもしれないけど、【ペガサスカップ】に参加したい、です……!」
自分たちは、何も悪いことをしていない。胸を張って、堂々と大会に参加したい。
これまで応援してくれたファンたちの声援に応え、立派に大会で活躍する姿を見せることこそでこの炎上を鎮火する助けになろうと、そう意見を述べた零に続くようにして、有栖もまた参加の意志を薫子へと告げる。
2人の言葉を黙って聞き続けた彼女は、小さく息を吐くと……視線をソファーの真ん中に座る陽彩へと向け、口を開いた。
「……陽彩、お前はどうなんだい? リーダーであるお前の意思を聞かせてくれ」
「……ボク、は……」
大会に出たいという意思を真っ先に明らかにし、零と有栖をチームに誘った張本人である陽彩の意志こそが全てを決める鍵であることは、この場にいる全員が理解していた。
このまま危険を承知で【ペガサスカップ】に参加するのか? それとも、自身やメンバーの安全のために今回は辞退するのか?
進退を決める陽彩の意思を問うべく、彼女に声をかけた薫子であったが、陽彩の口からはそれ以上の言葉が出てこない。
迷っているのだろう。戸惑っているのだろう。
突然、こんなことになって、炎上の危険にさらされて、しかも自分だけでなくこれまで協力し、仲良くなった零と有栖を巻き込んでしまうとなれば、即座に判断が下せなくて当然だ。
メンバーである零と有栖は、大会に参加する場合のリスクを承知した上でそれに臨む覚悟を決めている。
だがしかし、リーダーとして2人を巻き込んで燃え盛る炎の中に飛び込むという覚悟を決めることは、それを理解していたとしても相当なプレッシャーを乗り越えなければならないことであった。
「ぼ、ボクは、ボクは……」
そう簡単に決められるはずがない。弱気だからではなく、とても優しい性格をしているからこそ決断ができない。
きっと、陽彩だって心の中では【ペガサスカップ】に参加したいという意思があるのだろう。
だが、その我がままのせいで零と有栖を炎上に巻き込むことになってしまうという部分が、彼女の決断を鈍らせていた。
ここまで自分に協力してくれた恩人である零を、ゲームを通じて仲を深めることで友人になってくれた有栖を、そんな危険に巻き込んでいいのだろうか?
2人のことを大切な存在だと思っているからこそ、陽彩は最後の覚悟を決められないでいる。
そして、この炎上が自分がこれまで尊いものだと思い続けてきたゲームによるものであることもまた、彼女の心を傷つけていた。
沢山の人たちと楽しみを共有し、コミュニケーションツールとして絆を育んで……そうやって、自分に大切なものを与え続けてくれたゲームが今、陽彩自身の心に牙を剥いている。
正の面だけではない、ゲームの負の部分に直面してしまった彼女の心は、零たちが想像する以上に傷つき、乱れているのだ。
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