それが俺の夢なんだ


 今にも泣き出しそうな顔をしながら必死に自分へと叫ぶ有栖の言葉を受けた零は、その悲痛な姿に声を詰まらせて押し黙った。

 ここまで自分を心配し、本気で怒ってくれる彼女に対して申し訳なさや感謝が入り混じった、一言では言い表せない複雑な感情を抱きながら、静かに口を開く。


「……そんなんじゃないよ。確かに、有栖さんの言う通り、誰かのために一生懸命になる自分に酔ってた部分はあるかもしれない。ただ、なんて言えばいいのかはわからないけどさ……単純に、放っておけないんだよ」


「そんなの、おかしいよ。自分の身を削ってまで誰かを助けようと思うだなんて、おかしいよ……!!」


「そうなんだよなぁ……! なにせこういう風に思うのって初めてのことだからさ、自分でも歯止めが利かなくなってるんだろうなぁ」


 ベッドに深く座り直し、壁に背を預けながら天井を見上げた零が呟く。

 赤くなった目で自分を見つめる有栖と、苦しそうな表情を浮かべている薫子の前で、彼は自分の中にある想いを吐露し始めた。


「俺はこれまでの人生の中で、大事に想える人に巡り会えた記憶がないんだよ。馬鹿弟を贔屓する家族もそうだけど、学校の連中も外面はいい馬鹿弟の妄言に騙されて、俺とは距離を取ってたわけで……自分からそうなろうとしていた面があったってことも否定出来ねえけど、ずっと独りぼっちの人生で、誰を気にするわけでもなく、自分さえ良ければいいの精神で生きてきた。でも、Vtuberになって、蛇道枢になって、俺にもやっと大切なものが出来たんだよ」


 広げた掌を握り締め、その拳をじっと見つめる零。

 その中にある、自分自身が得た大切なものたちのことを想いながら、目には見えないが確かに自分の心の中にあるそれを感じながら、彼は話し続ける。


「最初はただ生きるための、金を稼ぐための手段だった。でも、色んなことで炎上して、事件に巻き込まれて、沢山の人と関わって……気が付いたんだ。【CRE8】ここにいるのは、俺とよく似た傷を抱えてる人たちなんだってことにさ。有栖さんも、喜屋武さんも、三瓶さんも秤屋さんも……みんな、何か抱えてる。他人には言えない色んな事情を抱えながら、それでもVtuberとして、新しい自分として、前に進もうとしてる。上手く言えないけど、俺はそういう人たちのことを愛しいって思えたんだ」


 Vtuberとしてデビューするまで、自分には居場所など何処にもなかった。

 家族も、親しい友人も、心の底から信じられる人もいなかった零は、蛇道枢という存在になることで【CRE8】という居場所を得ることが出来た。


 それは勿論喜ばしいことだし、零の人生においてとても大きな転機であることは間違いない。

 だが、彼が最も喜んでいるのは、が出来たことだった。


「俺は今まで、誰かから大切に想われることなんてなかった。誰かを大切に想うこともなかった。自分だけの世界で生きてて、外の世界をいくら見回してみても俺の居場所なんてなくって……誰も俺の存在を証明してくれない、空っぽの人間だったんだ。そんな俺が今、どんなにぼろぼろになってでも助けたいって思える人がいる、こんなに誇らしいことがあるか? そして、そんな俺のことを心の底から心配して、怒ってくれる人がいる。……こんなに嬉しいことは、他にないよ」


「零、くん……!」


 他人のことなんて考えず、ずっと独りで生きてきた自分に、必死に手を伸ばしてでも守りたいと思えるような存在が出来た。

 そして、そんな自分のことを真っ直ぐに見て、心配して、心の底から想ってくれる誰かが、数え切れないくらい出来た。


 誰かを想い、想われるようになった今、零は自分にも他の誰かにも胸を張って言えるのだ。

 もう自分は空っぽの人間ではない、と……。


「初めてのことばっかりでさ、慣れてないばっかりにこんなポカしちまうこともあるわけで。それでも、そんな時に胸の奥がぐっと熱くなるとさ、悪くないって思えるんだよ。俺は、俺の存在を証明する……きっと、その夢を叶える実感があるからこそ、そんな風に思えるんだなって……そう思うと、ついつい歯止めが利かなくなっちゃってさ。それで俺のことを想ってくれてる人に迷惑や心配かけちゃ世話ないよな。そのことに関しては滅茶苦茶反省してる。本当にごめんなさい」


 自分が誰かを本気で想うように、有栖や薫子も自分のことを本気で想ってくれているのだと理解した零は、自分を犠牲にしてしまった末に彼女たちを不安にさせたことに対して、心の底からの謝罪を行った。

 しかし、それと同時に自分自身の奥にあるについても触れた彼は、真っ直ぐに2人を見つめながらこう言った。


「あの日、あの時から、俺の想いはなにも変わってない。ただ、ほんのちょっとだけ我儘になっただけなんだ。有栖さんに言った通り、一生懸命に未来に突き進んでいる人や、その人が抱えている夢を、俺は尊いものだと思ってる。それを守ろうと思える時、俺は全部の迷いを振り払えるんだ。そして、薫子さんに言った通り……俺は、俺にしか出来ないことをやる。自分の中にある、夢の炎が生み出す熱に従ってな」


 どん、と左胸を叩いた零が、握り締めた拳をゆっくりと開く。

 その中にある、目には見えない大切な想いは、もう絶対に取りこぼすことなんてないから……自分の心の中に夢として刻み込まれた、己自身の想いを感じ取りながら、彼は静かな、しかし熱を帯びた声で言う。


「分不相応な願いかもしれない。でも、俺は守りたいよ。俺のこの手が届くのなら、俺と同じように苦しんでる人のことを、その夢を、守ってみたい。それが俺の……阿久津零が阿久津零として叶えたい、夢なんだ」


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