後悔は、止まらない
「……スイ、あんたが責任を感じる必要はないよ。これは事務所側の判断ミスが原因で起きてしまったことなんだから」
「………」
昼過ぎの時間帯、そこそこに車の通りが多い道を【CRE8】の社用車が走っていく。
その助手席に座るスイは、運転しながらそんな言葉を投げかける薫子に対して、何も言えないまま俯いていた。
ぼんやりとしているような、それでいて胸の内に重い鉛が圧し掛かっているような、不可思議な感覚が昨日からずっと離れない。
夏の暑さも、ギラつく太陽の日差しも、全てが何処か遠くのものであるかのように、彼女の心は凍え切っていた。
(阿久津、さん……)
零が倒れたという話を聞いたのは、昨日の昼過ぎだった。
愛鈴こと天の炎上に巻き込まれ、焦りと動揺でせわしなく部屋の中でばたばたと動いていたスイであったが、その報せを耳にした瞬間、自身の全てが凍り付いたかのような感覚を味わい、ぴくりとも動けなくなったことだけは覚えている。
零の身に何があったのか? 命に別状はないのか?
そんな疑問を覚え、不安に苛まれながら、大恩ある同期の無事を願っていたスイは、その後に詳しい話を聞くと共に愕然としてしまった。
SNSへの誤爆で大炎上した天の身を案じた零は、沙織と共に彼女の下に駆け付け、話をしようとしていたらしい。
だが、そこで急に倒れ、沙織の通報で駆け付けた救急車に緊急搬送されたそうだ。
そして、搬送先の病院で診断された結果、零が倒れた原因は過労であることがわかった。
不規則な睡眠時間と多岐に渡る上に長時間に及ぶ作業内容、更に心労も重ねていたであろう零の容態を聞いた薫子が顔を真っ青にする中、医師から手厳しい指摘を突き付けられる。
「命に別状はありません。ですが、明らかに未成年が……いえ、普通の人間が請け負える仕事量をオーバーしています。場合によっては、私は然るべき機関にあなたとあなたの会社のことを報告しなければならないでしょう」
医者にそこまで言わせるまでに零を追い込んでしまったことを、それだけの疲労を抱えたまま必死に働く零の不調に気が付けなかったことを、薫子は心の底から後悔した。
あの時、やはり自分が天に会いに行っていれば……という後悔を抱いた彼女であったが、問題はそのずっと前から生み出されていたのだと、自分自身を叱責しながら医師の報告を聞き続ける。
先に言った通り、零の容態は安定しており、命に関わるような状況ではないが……意識がいつ戻るかは病院側にもわからないとのことだ。
それだけ零の体と心に蓄積していた疲労が凄まじかったということであり、その報告を受けた2期生全員は尋常ならざる衝撃を覚えると共に、それぞれが薫子同様の後悔を抱えることとなった。
その中でも特に、零に最も負担をかけていたであろうスイが受けたショックは大きかったようだ。
彼が過労で倒れたという話を聞いた瞬間、彼女は指先の感覚がなくなるような寒気と急速に込み上げてきた吐き気に立っていられなくなり、その場にへたり込んでしまった。
暫くその場で呆然と座り込んでいた彼女であったが……改めて、自分のこれまでの生活とVtuber活動を振り返った彼女は、両の瞳から大粒の涙を流しながら、自分自身を責め始める。
(わーの、せいだ……阿久津さんが倒れだのは、わーのせいだ……!)
まともに話すことが出来ない自分のフォローをしつつ、それを逆手に取った配信企画の考案をしてくれていた零は、きっと自分が思っていた以上に疲れを抱えていたことだろう。
配信後の夜遅い時間帯からは自分の標準語の練習に付き合ってくれていたが、それが彼の睡眠時間を奪っていたことは明らかだ。
そして、自分と絡むことで生み出された多くのファンたちからの反感は、殆ど彼の下へと投げ入れられていた。
零が肉体的にも精神的にも疲弊してしまったのも、それを回復させるための時間すら取れなかったのも、全ては自分が我儘を貫き通そうとしたからだと……自分の行動が彼に多大なる負担をかけていたということを思い知ったスイは、それからずっと凍えた感覚が肉体から離れずにいる。
これが恐怖なのか、後悔なのか、はたまた罪悪感なのかは彼女にはわからない。
ただ1ついえることは、自分がとんでもない愚か者で、自分の我儘のせいで零が犠牲になったのだという、絶対的な現実が目の前に聳え立っているということだった。
(わー寝でら間も、阿久津さんは一生懸命わーのために仕事すてぐれぢゃーんだ……わーの秘密守るだめに、わーの我儘聞ぎ入れるだめに、身削って仕事すて、そえで……)
自分が呑気に寝息を立てている間、零はPCと向かい合って頭を悩ませてくれていた。
自分がチャンネル登録者数の伸びに歓喜している間、零はその裏で生まれた厄介なファンたちの相手をしてくれていた。
自分の成功は全て、零の犠牲の上に成り立っていることを自覚したスイの目頭に熱いものが込み上げ、胸を震わせる強い罪悪感に口を真一文字に結んだ彼女は、必死に溢れそうになる涙を堪える。
自分に泣く資格なんかない。泣きたいのは零の方で、自分は加害者の1人なのだ。
ゆるゆるとスピードを落とし、駐車場に止まった車から降りたスイは、自分自身にそう言い聞かせながら薫子と共に零が眠っている病室へと向かった。
エレベーターに乗り、無言のまま上階へと向かい、目的地である個室の前までやって来た彼女は、そこでソファーに座る2人の女性たちの姿を目にして、はっと息を飲んだ。
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