緊張、有栖
「く、くりゅりゅきゅん、オソクナッテゴメンネー……あぅ、駄目ですよね? もう1回、お願いします……」
盛大に台詞を噛み、かつ棒読みでのお芝居を披露してがっくりと収録ブースの中で肩を落としている有栖がそれだ。
既に20分近くはああして1つの台詞に手古摺っている彼女の姿を心配そうに見つめた零は、振り返ると共に同じような表情を浮かべて苦戦する有栖を見守る薫子へと声をかける。
「一度休憩を挟んだ方がいいんじゃないかな? 有栖さん、ドツボに嵌ってるような感じだし……」
「ああ、そうだね……有栖、一旦休憩を入れよう。落ち着いて、改めて収録に臨もうじゃないか」
「は、はい……あうぅ……」
ブース外からマイクを通じての薫子からの指示を受けた有栖がしょぼんと分かり易く落ち込む。
スタッフたちの手を煩わせ、まともにアニメに必要な音声の収録を進められない自分の不甲斐なさに大きな溜息を吐きながらブースから出てきた彼女を、零が暖かく迎え入れた。
「そんなに凹むことないって。まだまだ時間はあるんだし、もっと気持ちに余裕を持ってやってみようよ」
「うん……」
零からの励ましを受けてもしょんぼりとしている有栖は、結構本気で凹んでいるようだ。
無理もない、と思いつつ、零と薫子は目下最大の難題である、有栖の収録について考えていく。
元々が気弱で、プレッシャーに弱い有栖は、多くのファンたちから期待を寄せられているこの状況に必要以上に気負ってしまっていた。
肩に余計な力が入り、緊張で頭が上手く回らなくなり、声に感情を乗せることも舌の呂律を回すこともままならなくなっている彼女は、1つの台詞を録るだけでもかなりの時間を要する状態まで追い込まれている。
そして、自分が収録の予定を遅らせているという焦燥が更に有栖の心を追い詰め、彼女に更なるプレッシャーを与え……といった感じで、負の無限ループが完成してしまっているのだ。
「……すいません。私が駄目なせいで、脚を引っ張っちゃって……」
「気にし過ぎだよ、有栖。零も言ってた通り、もう少し気持ちに余裕を持って演じれば大丈夫さ。深呼吸して、心を落ち着かせてみな」
デビューしてから現在に至るまでの活動で、有栖は随分と成長したと薫子は思っている。
今の彼女なら、零の支えを受ければこの重大な役目もこなせるはずだ……そう確信している薫子であったが、それは有栖の実力が十全に引き出されることが前提の話だ。
ここまで緊張でガチガチになり、プレッシャーで動揺し続けるとは、完全に予想外であった。
零がそつなく収録をこなしていることも有栖が自身の不甲斐なさを感じる大きな要因になっているのだろうなと考えた薫子は、なにか彼女の気持ちを切り替える方法はないかと考えを巡らせていると――
「はいた~い! お疲れ様で~すっ! クリアニの収録はどう? 順調かな~?」
「あっ、喜屋武さん。どもっす」
ガチャッ、とドアが開き、向こう側から太陽のように明るい笑顔を浮かべた沙織が元気いっぱいの挨拶を口にしながら姿を現した。
差し入れが入っていると思わしき紙袋を手に収録スタジオへとやって来た彼女は、ベコベコに凹んでいる有栖の様子に気が付くと、目を丸くしながら彼女の身を案じた言葉を吐く。
「あ、有栖ちゃん、どうかしたの? なんか、すごく落ち込んでるみたいだけど……?」
「うぅ、すいません……ダメな子ですいません……」
「あ~……喜屋武さん、実はですね――」
純粋な沙織からの心配の言葉が胸に突き刺さったのか、あるいは彼女が放つ陽気なオーラに刺激を受けてしまったのか、有栖はいっそう気持ちを凹ませるとがっくりと項垂れてしまった。
そんな有栖に代わり、現在の状況を沙織へと説明した零は、続けて彼女にこんな質問を投げかける。
「喜屋武さん、なんかこう……お芝居が上手くなるようなコツとかってないっすかね? 元アイドルの喜屋武さんなら、そういうことにも知識があるんじゃないっすか?」
「う~ん……ないこともないけど、私も別にドラマやお芝居に出演した経験があるわけじゃあないからね~……それに、有栖ちゃんの場合は技術っていうよりも、心の方の問題だと思うさ~。空気に慣れさえすれば、問題ないと思うんだけどな~……」
腕を組み、その上に豊満な2つの果実を乗せながら、沙織がそう呟く。
確かに彼女の言う通り、今の有栖に必要なのは小手先の技術ではなくメンタルを強く持つ方法だなと思い直した零が頷く中、今度は薫子が沙織へとこんな問いかけを発した。
「沙織、なんかないのかい? 緊張を吹き飛ばして、演技に集中出来るようになるテクニックみたいなもんがさぁ」
「あるにはある、けど……すぐに出来るようなものじゃあないですよ? 少なくとも、今日の収録は諦めなくちゃならなくなると思いますけど、それでも大丈夫です?」
「構わない。まだ時間的な猶予はあるし、『CRE8Animation』は不定期投稿だから、多少は予定をオーバーしてもなんとかなるさ。それで? その方法ってなんなんだい?」
このままではにっちもさっちもいかないと判断した薫子は、迅速に収録を行うことよりも、時間をかけてでも確実に収録を終わらせる選択肢を取った。
事務所の最高責任者である彼女からの許可を受け、有栖に落ち着いて収録を行わせる方法を問われた沙織は、一瞬だけ視線を上に泳がせた後、薫子の質問に対する答えを口にする。
「え~っとですねぇ……簡単に言っちゃえば、実際にそのシチュエーションを経験してみる、ってことになるのかなぁ……?」
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