決着、長い日々の終わり

【芽衣ちゃん? え? 本物?】

【芽衣ちゃん来るなんて聞いてないんだけど!?】

【事務所に話は通ってるの? 勝手にやって問題にならない?】


 この話題の中心人物であり、今最もその安否を気に掛けられている羊坂芽衣その人の唐突な登場に、コメント欄が全盛期の勢いを取り戻していく。

 そのどれもが困惑と驚きに満ちたものであり、そういったリスナーたち全員の代表として、マリが震える声で芽衣へと声をかけた。


「芽衣、ちゃん……? 今、入院してるはずじゃ……!?」


「はい、私は昨晩緊急搬送され、病院のお世話になっています。体調面に関してはほぼ回復し、こうしてお話出来るまでになりました。今回はマリさんと蛇道さんが私の入院や放送事故に関しての話し合いを行うと聞き、病院側に特別に許可を頂いて、医療器具、及び業務に支障が出ない場所で、通話をさせて頂いてます」


「なんで、どうして……? 回復したとはいえ、まだ万全じゃないんでしょ? だったら、もっとしっかり休みを取った方が――」


「……それは出来ません。今回の騒動と炎上は、自分自身の意見をはっきりと口に出せなかった私の弱さが招いた事態です。私がしっかりと疑惑を否定し、自分の口から語るべきことを語らなかったから、色んな人が傷付いたり、悲しんだりする事件が起きてしまいました。事態の収拾のために事務所のスタッフや同僚である蛇道さんが動いているというのに、私が黙って寝ているわけにはいきません。私は、この場に自らの責任を果たしに来ました」


 普段の弱々しく、おどおどとした雰囲気とは真逆の覚悟を決めた芽衣の、有栖の声に、マリもリスナーたちも息を飲んで彼女の様子を見守っている。

 完全に回復したわけでもなく、降りかかる重圧に心を押しつぶされそうになりながらも決意を固めた彼女は、深呼吸を行った後に、全ての事情を語り始めた。


「まず最初に、今から私が話す内容に関しては、【CRE8】側からの許可を得た内容になっているということを念頭に置いてください。事務所の機密に関する部分を除き、限界まで説明をさせていただきたいと思います」


 そんな前置きをした後で有栖が語った内容は、先の零の話を補強しつつ、そこで言及されていなかった部分を補足する内容であった。


 今回の騒動の元凶である事務所や蛇道枢からの圧力に関しては、一切存在していないということを断言すると共に、自分と枢、そしてスタッフ間の関係は非常に良好であるということを付け加える。

 事務所側から情報開示を許可された社員寮の存在にも言及し、配信中に零が駆けつけられたのはお互いにそこに住んでいるということと、自分の鍵のかけ忘れというミスのせいであったということもしっかりと話して、同棲疑惑や零が合鍵を有しているという疑惑を完全に払拭してみせた。


 マリとの間に事務所が入ったことに関しても、何度もメッセージを送って来る彼女に強く言えなかった自分が【CRE8】に相談した結果であったということもしっかりと説明する。

 ファンたちがマリから聞いていなかった情報に驚く中、マリは自分の口からではなく芽衣の口からその説明をさせてしまったことに関する羞恥と、自分自身が隠していた情報を暴かれたことに対する情けなさに俯き、完全に押し黙ってしまっていた。


 そして、最大のミステリーともいえるどうして芽衣は枢とのコラボを望んだのか? という部分に関しての話題になった時、芽衣は自分の持つ女性恐怖症という弱さを数万人の視聴者の前で告白した。

 過去のいじめや母親からの虐待といった、個人を特定されかねない情報にはぼかしを入れながらも、最も重要な部分の告白を行った彼女の言葉には、リスナーたちも様々な反応を見せている。


 自分の責任を果たすために、これから先の未来を自分の手で切り開いていくために、己の失態と弱さを全て視聴者たちに告げ、謝罪と説明を行った彼女は、十数分に及ぶ独白を終えると静かにこの場に集まった全員へと締めの挨拶を口にした。


「……以上が、私、羊坂芽衣と【CRE8】が公開出来る限りの今回の騒動に関する説明です。改めて……私の精神が脆弱であったせいで、リスナーをはじめとした多くの方々に迷惑をおかけしてしまったことを、深くお詫び申し上げます」


 しーんと、零が話を終えた時以上の静寂がこの場を包む。

 今度こそ、完全に全ての疑問に対しての答えが出され、何が原因であったのかも判明した今、リスナーたちの反応は配信が始まった時とは打って変わったお通夜のような状態になっていた。


【CRE8も蛇道も本当に何も悪くなかったんだな……なんかもう、本当にごめんなさいとしか言えないや】

【俺たちがデマに踊らされて芽衣ちゃんの配信に押し寄せたことが、今回の騒動の引き金だったんだね……】

【白状します。俺、Twitterとか掲示板とかに蛇道とCRE8の悪口書きまくりました。悪いのは全部あいつらだって思い込んでて、自分が何をしたのかをわかってませんでした。本当にごめんなさい。ごめんなさい……】


 冷静になって、一歩退いて……そうやって、自分たちの行動を顧みることが出来れば、真に悪かったのは誰だったのかなんて簡単に理解することが出来る。

 嫌いな相手を叩けるという喜びに、周囲の人間も騒いでいるから自分も乗ろうという熱狂に、全てを委ねていた彼らは、自らの過ちに気が付くと共に、謝罪のコメントを送り続けていた。


「……じゃあ、なに? 私が、芽衣ちゃんを守ろうとしてやってたことって、全部私の独りよがりだったってこと? 私が牧草農家たちを扇動したせいで、芽衣ちゃんが追い込まれて……私は芽衣ちゃんを守るどころか、逆に苦しめてたってことじゃん……!?」


 そして、ようやく全てを受け入れたマリもまた、後悔と絶望の呟きを漏らしていた。

 あるべき姿に、迎えるべき決着に、配信が始まった頃の強気な態度は何処に消えたのかと思わせる程のか弱さを見せた彼女は、涙交じりの声で謝罪の言葉を繰り返す。


「ごめんなさい……全部、私が悪かったんです。ネットで拾った情報を鵜呑みにして、事務所からコラボを断られたことでかっとなっちゃって、勢いのまま行動しちゃって……まさか、こんなことになるなんて思ってもみなかった! 私のやってることは正しくて、これで芽衣ちゃんを助けられるんだって、そう本気で信じ込んでたから……! 自分のせいで芽衣ちゃんが苦しんでるだなんて、気が付かなかったんだよ……」


「……わかっています、マリさん。本当は私も、こんな私のことを好きになってくれたあなたに感謝して、全てを許してあげたい……でも、どうしても1つだけ、私があなたを許せない点があります」


「……そう、だよね。うん、そうだ……多分、芽衣ちゃんが許せないって思ってるところ、私にもわかるよ。そうだね、そうだ……こればっかりは、擁護出来る部分じゃないもんね……」


 自分はあれだけのことをしたというのに、許せない点はたった1つだけなのかと、芽衣の優しさに驚きつつも、その唯一許せない悪行の答えに気付いてもいたマリは、PCの前で泣き笑いの表情を浮かべながら自分に言い聞かせるようにして呟く。

 そして、1度大きく息を吸い、肺から全ての空気を吐き出すと……自身が犯した最大の悪行について、詫びなければならない人物へと謝罪の言葉を口にした。


「蛇道枢さん、この度は本当に申し訳ありませんでした。私は、今回の騒動を利用して、あなたを【CRE8】から排除しようと思っていました。大好きだったはずの芽衣ちゃんを、私を応援してくれる牧草農家たちを、Vtuberが好きなみんなを利用して、嫌いなあなたを消してやろうって、そんな悪意に満ちた行動を取っていました……! 悪気が無かったなんて、口が裂けても言えません。許してくださいとも言うわけにはいきません。ただ、裏切って、利用して、傷つけて……その一番の被害者であるあなたに、まず謝罪させてください。本当にごめんなさい。ごめん、なさい……!!」


 嗚咽交じりのその言葉には、マリの本心が表れている。

 自分が好きであったはずの人を、自分を好きでいてくれる人たちを、何もかもを利用し、裏切って、蛇道枢を消そうとした自分の中にあった悪意を認めた彼女は、零と、有栖と、リスナーたち全員に謝罪の言葉を繰り返し続けた。


 そんな彼女に対して、零も有栖も何も言葉をかけることはしない。

 これはもう、自分たちが簡単に許すと言ってしまえるほど、小さな問題ではないから。

 ここで言葉だけの赦しを与えたところで、マリが救われることは決してない。

 彼女が本当に後悔し、自分の行いを反省しているというのなら、その姿勢を今後の活動で見せていくしかないのだ。


 結果は、自ずとついて来る。

 完全なるアウェーの状態から、全てを逆転させた零が真実を明るみにしてこの騒動に一応の決着をつけたように、本気の行動によって周囲を納得させていくしかない。


 それがどんなに困難な道かは、零も有栖も身を以て経験していた。

 だからこそ、この場では敢えて何も言わず、自分たちが乗り越えた苦難をマリもまた乗り越えることを期待して、ただ静観することに決めたのである。


「……今回の騒動は、Vtuberに限らず、インターネットに触れる全ての人々に何か気付きをもたらすことになったのではないでしょうか? 簡単に情報を受け取り、逆に発信することが出来るネットの世界だからこそ、自分の言葉がどういった形で相手に受け止められるのか? それがどんな顛末をもたらすのか? ということを、誰もが考えなければならないのではないでしょうか? ……この配信を観た皆さんが、何か1つでも教訓を得てくだされば、我々としてもこうして公の場に立った甲斐があったと思えます」


 憔悴しているマリと入院中である有栖を気遣った零が、2人に代わって配信の締めの挨拶を担当する。

 目の前に人が存在していないからこそ、簡単に特定の個人に対する誹謗中傷や悪質なデマを発信することが出来るインターネットの恐ろしさと、ネットに蔓延る情報の取捨選択に対する難しさが折り重なって起きたこの騒動についての感想を口にした零は、一呼吸置くと共にリスナーたちへと別れの言葉を口にした。


「……本日の配信はここまでとなります。長い時間、我々の話を聞いてくださって、ありがとうございました」


 PCの前で頭を下げたとしても、二次元の立ち絵である蛇道枢はその動きを読み取ることはない。

 それでも、様々な感情を入り混じらせた心を抱く零は、深々と頭を下げざるを得なかった。


 配信の管理を担当しているマリが動画を切ってからも、コメント欄には多くの人が残り続けたようだ。

 それから暫く経って、ようやく全てを終わらせた実感を覚え始めた零は、大きく溜息を吐きながら椅子の背もたれへと寄り掛かる。


 先日のコラボ提案から始まった、1週間にも満たない期間の騒動も、これで一応の決着がついたといえるだろう。

 零にとって、Vtuber蛇道枢にとって、大きな意味を持つ、この長い長い数日間の物語が、ようやく終わりを迎えようとしていた。

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