第52話「守れなかった人達」

「ただいま……ッ!?」


 カードをかざして、鍵を開けて家に入ると、蒼空は急に立ち止まる。

 何故ならば目の前には、可視化する程のどんよりとした冷たい空気が、玄関にまで漂っているのが確認できたからだ。

 これは妹の詩織の落ち込み度が、限界に達した時に展開される固有結界。


 その名を〈暗闇ダークネス領域リージョン〉。


 発動すると全てのカーテンが閉められて、家の全ての電気も消されて真っ暗になる。

 効果が切れて元通りになるのは、詩織の心が落ち着いた時だけだ。


 やれやれ、今度は一体何があったのだろうか。


 世話の焼ける妹殿の様子を見に、スリッパを雑に脱ぎ捨てると、外とは真逆の冷え込んだ家の中に上がる。

 するとリビングのソファーで、ホラー映画のワンシーンのように膝を抱えて落ち込む詩織の姿があった。


 正直に言って、少し怖い。


 これで首だけ振り返ったら間違いなく小便ちびるな、とあり得ないことを思いながら歩み寄り、彼女の隣に腰掛ける。

 膝を抱えて俯いているから、詩織の表情は分からない。

 彼女がこれだけ落ち込んでいるのは何故なのか、考えられる理由は一つしかなかった。


「精霊達の護送、失敗したらしいな」


 そう言うと、ビクッと詩織は身体を震わせて反応する。


 しかし、顔は上げてくれない。


 ……これは思っていた以上に深刻だ。


 となると、最終手段を使うか。

 蒼空は自分の膝に置いていた手を退かすと、詩織にこう言った。


「詩織さん、膝を貸しましょうか?」


「……ウン」


 彼女は消えそうな声で小さく頷き、蒼空の両膝に顔を埋めた。

 やはり泣いていたのか、じんわりとズボンに涙が染み込む。

 しばらくして、徐に詩織は語りだした。


「……最初の神殿のヴェルザンディさんって、話しをすると楽しそうに聞いてくれるの」


「ああ、あの金髪の綺麗な人か」


 アストラルオンラインで、魔王を除けばオレが二番目に遭遇したNPCだ。

 ちなみに一番目は門番の人である。

 二人共こちらの些細な行動にすら、丁寧に反応してくれていたのは、今でも強く印象に残っていた。


 でも、なんで今その話しを?


 疑問に思うと、詩織は続けてこう言った。


「仲良くなるとね、僧侶のスキルレベル10で、司祭プリーストにジョブチェンジしてくれるのよ」


「マジか」


 ということは、アリアの祭司ドルイドや謎のキャラクター、ハルトの暗黒騎士とかも、特定のNPCの好感度を上げる事で入手できる特殊職業という事になる。

 ベルザンディは大司祭ハイプリーストだった。

 司祭という職業があるという事は、彼女の職業は上級職だと推測ができる。

 つまりは、他の職業──付与魔術師にも上級職業がある可能性が高い。

 今の話から、蒼空は思う。


 アストラルオンラインのNPCとの会話って、実はメチャクチャ重要なのではなかろうか。


 アリアは特殊なクエストを始めるキーキャラクターだし、防具店の女性は話しをする事でレア装備をタダでくれた。

 今後はそういうNPCとの会話を意識した方が良いな、と蒼空が思案していると。


 詩織は、意を決して口を開いた。


「お兄ちゃん、私の話しを聞いてくれる……?」


「ああ、どんな事でも聞いてやるぞ」


「あのね、私……」


 と言って妹は、オレの服を強く握って、胸の内に抱えている悲しみを吐露する。


「私、守れなかったの……」


「詩織……」


「みんな、良い人たちだったの。話しをしたら直ぐに打ち解けて、美味しいお菓子までくれて、子供達だって……」


 手に込められる力が、より強くなる。


 蒼空の膝に顔を埋める詩織は、嗚咽をもらしながら、振り絞るように呟いた。




「あんなに、良い子たちだったのに……」




 その呟きを聞いて、蒼空はスマートフォンを手に取り、親友の二人に“具体的に何があったのか”メッセージを飛ばす。

 返事は、直ぐに帰ってきた。

 内容に目を通すと、詩織達はあと一歩というところで1体のリヴァイアサン・ジェネラルと、10体のアーミー達の奇襲を受けて、防衛ラインを保てなくなったとの事。

 アーミーは何とか対処できたのだが、詩織達の奮闘も空しく、精霊の村を目前としたところでジェネラルに防衛ラインを突破された。

 そして精霊達は、


 一人残らず、ジェネラルの大剣で殺されてしまった。


 教えてくれた親友達にお礼のメッセージを送ると、蒼空はスマートフォンをテーブルの上に置いた。


 ……ふぅ。


 胸中で、深いため息をはく。

 なんというか、大体の事はコンビニで盗み聞きした通りだが、言葉にならないくらいに酷い顛末だった。


 脳裏に浮かんだのは、拠点内で遊んでいた子供達の姿。


 みんな良い子たちで、オレとクロとアリアが側を通ると、必ず笑顔で挨拶をしてくれる。

 大人達だってそうだ。

 彼等は必ず挨拶をして、蒼空達に労いの言葉をかけてくれる。

 中には手作りのお菓子をくれる精霊達もいて、そのクッキーがこれまた絶品なのだ。

 詩織達が護送していたのは、オレの知っている精霊達ではないが、きっとみんな優しい人達だったのだろう。

 そんな彼等を、眼の前で守り切ることが出来なかったのだ。


 辛い、なんて言葉では、とうてい片付けられない。


 かなり情が移っていたのか。

 頭を撫でてあげると詩織は小さな声で、


「みんなさ、NPCなんだから気にするなって言うけど、私には無理だよぉ……」


 と心の底から、嘆きを口にする。


 ジェネラルから守れなかった事が悲しく、そして悔しい。


 その気持ちは、オレも痛いほどに理解できた。

 もしも昨日の戦いでアリア達を守れなかったら、きっと自分も詩織みたいに落ち込んでいたと思うから。

 蒼空は悲しみに暮れる妹の頭を撫でながら、天井を見上げた。


「なんていうかさ、他のVRゲームにも人間っぽいNPCは沢山いるんだけど、このアストラルオンラインのNPCは、何ていうか……全くの別物だとオレは思うんだ」


 こんなにも感情豊かで、こちらと違和感なく会話ができるNPCなんて聞いたことがない。

 高性能AIを利用したVR恋愛シュミレーションゲームを、一度だけプレイした事はあるが、それでもやはり違和感はある。


 妹のクランの人達が言うように、NPCの死を気にする必要はないという意見は分かる。

 彼等は所詮、データ上の存在なのだから。


 しかし、オレは思う。

 このゲームでNPCの死を嘆くことも、けして間違いではないと。


「詩織、今は泣け。それで立ち上がって、明日は絶対に守り通せ。その時までには、オレが毒と結界の問題は、必ず解決しといてやるから」


「おにいちゃん……ッ」


 そう言って、詩織はオレのお腹辺りに顔を埋めて、思いっきり声を上げて泣いた。


 オレは頭を撫でてあげながら、再度スマートフォンを手に取り、アストラルオンラインのサイトにログインする。

 そこで確認できるクエスト名は〈解毒薬の製法〉。

 内容はまだ不明だが、報酬だけは掲載されていた。


 【クリア報酬】全道具屋にて解毒薬が販売される。


 後はユニーク・クエストの結界の方だが、こちらは果たしてどれだけの効果があるのかは不明。

 ただ精霊王いわく、10人の兵を派遣して全滅している辺り、何らかのモンスターは出てくるのだろう。


 ぼんやりと考えながら、詩織の頭を優しく撫でて、一時間位が経過した頃か。


 不意に、間近でアラームが鳴った。


 いつの間にか寝ていた詩織は、急にガバッと起き上がると、涙を拭い自身のスマートフォンを取り出す。

 ちらりと画面が見えると、そこにはリヴァイアサンの出現時間が表記されていた。


 彼女は頬を軽く叩き、気合を入れ直す。 


 そこには、先程まで精霊達の死を悲しむ少女の姿は、どこにも無かった。

 詩織は、オレを真っ直ぐに見つめると、


「ありがとう、お兄ちゃん。私、行ってくるね!」


 ぼろぼろな顔で、精一杯の笑顔を浮かべて立ち上がる詩織。

 背を向けると、勢いよく二階の自室に向かって駆け上がって行った。

 暗い部屋で一人になった蒼空は、その後ろ姿を見送った後に苦笑した。

 妹だけではない、オレも頑張らなければ。


 恐らくは今日中に、神殿に突入する事になるのだから。


 蒼空も詩織と同様に気を引き締めると、先ずは可愛い妹の為に、掃除、風呂の準備、夕食の準備などの家事をやる事にした。


 

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