第70話呪いと逃避

「でもさ、あんたがいつまでもそれを引きずってんのは違う。私はそう思うよ」


 美夏が死んだのはダンジョン内だったせいで死体を回収することはできなかった。

 そのため、俺は空っぽの棺桶を見ながらあいつが死んだことを認めなくちゃいけなかった。


 実感なんて何もなかった。

 別れも何も言えなかった。

 手向けなんて何もできなかった。


 想いを告げる相手も、恨みを向ける相手も、誰も何もいない。


 俺はただ、独りぼっちで取り残されただけだった。


「自分が死んでも自分を想い続けて人生を捧げてほしいだなんて、そんなのは呪いだ。あの子はそんな事願わないし、望まない」


 呪い。

 その言葉は正しい。俺の胸の中で渦巻く『これ』は、まさに呪いだ。


 ただし、美夏が俺にかけたものではなく、俺が俺自身にかけた自縄自縛のバカなもの。


 胸の奥がぐちゃぐちゃで何年経っても落ち着くことはなく、薄れることはあっても、消えてくれることはなかった。

 できたことと言ったら『それ』を直視しないように心の隅へと追いやったことだけだ。


 そんな想いを引きずって、俺は今までやってきた。

 俺が覚醒して冒険者になった時だって、死んでたまるか、と、殺されてやるものか、と必死になって鍛えた。


 だって、悔しかったから。


 大事なものを殺されて黙ってられるか。もう一度お前らに奪われてたまるか、って自分にできる限りのことをした。


 そして、自分だけじゃなくて目の前で死んでいく誰かを助けてきた。

 できる限り多くの人を、ダンジョンなんて訳のわからないものに殺されないようにするために。


 その結果が、『生還者』なんでたいそうな呼び名だ。

 一番大事な人の時には何もできなかった無能な雑魚の名前。


「……わかってますよ、そんなこと。俺は目を背けてるだけなんだって」


 それが逃げだってのは俺自身よくわかってる。それこそ、嫌ってほどにな。


 誰かを助けたところであいつは甦らないし、浅田達を突き放したところでそれは変わらない。


「それがわかってるならまだましだけど……ちゃんと向き合ってあげなよ。否定されるよりも、拒絶されるよりも……見てもらえないことの方が、よっぽど辛いんだから」


 実の所、俺はあいつの……浅田佳奈の気持ちになんとなく気がついていた。


 それが自意識過剰の可能性もあったが、まあそれなりに好意を向けられているだろうとは思っていた。

 夏休みが終わった頃には明確に俺に対する態度も変わっていたし、違和感はあったのだ。


 だがそれでも、恋愛感情としての好意は気のせいだろうと、無視してきた。


 だって俺は……今でもあいつのことが忘れられないから。

 気づいたら、あいつのことを忘れてしまいそうで怖かったから。


 忘れたいけど忘れたくない。そんな矛盾。


「でも俺は、あいつらの事をそんな目で見られないですよ。あいつのことだけじゃなく、歳が違いすぎますって……」

「女と男では価値観が違うかもしんないけど、女の私から言わせてもらうなら、恋に歳なんて関係ないだろって感じかな。それに……」


 だが、小春さんは持っていた箸を置くと、真剣な表情で真っ直ぐと俺を見つめてきた。

 その様子は、なんだか怒っているようにすら思える。


 ……いや、実際彼女は怒っていた。


「あんたが逃げる理由に妹を使うな」


 そして、小春さんは静かに、だがその声に怒気を乗せて言った。


「あの子の生も死も、あの子だけのものだ。それを理由にして誰かが何かのために利用するなんて、それこそ私は許さない。たとえそれが、あんたでもね」

「……っ」

「向き合え、逃げるな」


 鋭く放たれたその言葉に、俺はただグッと拳を握ることしかできない。


「……誰かと関われば別れなんてのは無くしようがない。冒険者なんて命懸けの死事をしてればなおさらその機会は多い。でも、そこでその別れから逃げちゃいけない。しっかり向き合わないと。それは、残された者の義務なんだからさ」

「……はい」


 優しく諭すようなその言葉に、俺は何とか返事をすることができたが、それだけだった。


「……まあ飲め。飲みに来たんだろ。真剣な話は必要だが、小春もあんまし言いすぎると変な方向に捩れるぞ」

「……そーね」


 暗くなった空気を変えるように、それまで黙って話を聞いているだけだったヒロが話し、小春さんもそれまでと雰囲気を変えて小さく笑うと手元のビールを飲み干して追加を頼んだ。


「ああそうだ、コウ。お前今年度いっぱいで教導官辞めるんだろ?」

「……ああ」


 せっかく飲みにきたんだ。後でもう一度考えることになるんだろうが、ヒロが気を使って話を逸らしてくれたんだし、今は俺も気持ちを入れ替えよう。


 話を聞いてもらって、助言までしてもらったんだ。考えるのは、後で一人ですればいい。

 そのための助けは、もうもらったんだから。


「だったら冒険者組合の新部署に行かないか?」

「新部署?」

「ああ。来年度からいくつか新部署ができるって話があったんだよ。今時の職員は冒険者が増えてきたが、冒険者以外も多い。だから新部署の一つが、その教育のためにそれなりに実績のある冒険者を雇って『冒険者』って奴らについて教えることになってんだ」


 ゲートは年々発生率が上がっているが、その分覚醒するやつの率も上がってる。


 とはいえ、大多数の人間が非覚醒者であることには違いない。


 冒険をするって言っても、冒険者が何をしているのかわからないだろうし、冒険者のサポートをするって言ってもどうすればいいのかわからない奴も多いだろうな。


 これが冒険者あがりのやつだったら適切な対応や相談にも乗れるんだけど、一般人だとな……。


「んでまあ他にもいくつか新部署ができるんだが、その中にお前をねじ込もうと思ってな」

「ねじ込むって……できんのか? というか、大丈夫なのか?」

「できるし大丈夫だ。俺だって、これでもそれなりに『上』の方に入ることができたんで、コネはあるからな」


『上』ってのは、冒険者を管理している組合の上層部って意味だろう。

 いや? コネって言うくらいだし、もしかしたらもっと上……冒険省とかそっちに行ったのかもしれないな。


 そういやあその辺はよく聞いてなかったな。こいつはどこに入ったんだろうか?


 でもまあ、やってくれるってんなら頼んでおいた方がいいか。

 冒険者を辞める場合、冒険者関係の組織には入りやすいとは言え、すんなり決まるんだったらそれに越したことはないからな。


「なら、頼んでもいいか?」

「おう、俺から話を持ちかけたんだから任せとけっ!」


 そうして俺は次の仕事を手に入れ、食事は進んでいき、それなりにいい時間になったところでところで解散することになった。


「受け入れるにしろ拒否するにしろ、仲直りするなら早い方がいいよー!」


 そんな小春さんの言葉を受けて、俺たちは別れた。


「……次会ったら、もう少しちゃんと謝んないとな」


 それに……


「少しづつでも変わらないとな」


 そう心に決め、俺は帰路についた。

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