第68話壊れた日常

 

「……あー……ね、ねえ」


 バス停に到着すると、ちょうど後十分ほどでバスが来るようだった。


 だが、バスが来るまで適当に休んでいようと近くの柵に寄りかかって飴を取り出したところで、浅田がなんだかおかしな調子で声をかけてきた。なんだ?


「そう言えばさ、あのニーナはあんたの彼女じゃないんでしょ?」


 そう聞かれた瞬間、俺は取り出した飴を落としてしまった。


 なんでこいつがそんなことを聞いてきたのかわからんが、こいつの様子がおかしかったのはそれを聞きたかったからか。

 あいつのことを聞くんだったら、おかしな様子になっても不思議じゃないか。


「……ああ。それがどうした?」


 俺はできる限り平静を装いながら落とした飴を拾う。


「いや、どうってわけじゃないんだけど……どうして?」


 どうしてって言われてもな……。


 ついこの間まで俺はあいつのことをまともに『見て』いなかった。

 いつ危険になるか分からないのにひっついて来る厄介な奴。


 俺のニーナに対する思いとしてはそんなもんだった。我ながらクソみたいだけどな。


 だから俺はニーナのことを恋愛対象として見ていなかった。


 だが、それは今も変わらない。

 あいつのことを『女の子』として認識するようになった今の俺でも、恋愛の相手としては見ていない。


「あいつは俺しかまともに接してくれる相手がいないからそう思ってるだけだ。心の底から俺を好きになってるわけじゃない。父親代わりみたいなもんだな」


 あいつが俺にかまうのは、俺が唯一あいつに説教をした人間だからだろう。


 俺に愛情を向けてはいるが、それは恋愛系のあれこれではなく、親愛の情みたいなもんだ。

 多分、兄とか父親みたいなもんだと思う。

 兄って言うには離れすぎてるから、やっぱり父親が妥当なところか?


 ……そもそもの話だ。俺はニーナのことをどうこうって以前に、恋人を作る気はない。


 だって、俺は『あいつ』のことが——


「私はそうは思わないけど……じ、じゃあさ、あんたのことが本気で、す、好きな子がいたらどうすんの?」


 ——っと、だめだ。このことについてはもう何度も考えてきただろ。


 俺もいいかげん『あいつ』に囚われてばっかってのはダメだろ。


「そうだなぁ……」


 でも、そうわかっていてもすぐに割り切れるもんでもない。


 やっぱり、まだしばらくは考えを変えることはできそうもない。

 こればっかりはどうにかしようと思って自力でどうにかできることでもないからな。仕方ないと言えば仕方ない。


 ……いや、その理由も逃げてるだけか。


 それでも、しばらくは恋人だとか考えられない。考えたくない。


「そもそもさ、なんであんた彼女作んないのよ。あんたは、その、性格悪いってわけじゃないし、顔もそこそこ良い……悪くないし、恋人ができないってことはないと思うんだけど……」


 ……なんだ? 今日はやけに突っかかってくるな。


 俺にとって、恋人云々って話はあまりされたくないことだ。


 多少の雑談で軽く話題に上がる程度なら、まだ耐えられる。

 だが、明確に恋人を作れだとか、結婚しろだとか、付き合っている奴はいないのか、なんて踏み込んだ話をされると、結構つらい。


 なんて言うかな……頭の中で見たくないものがチラついて、それが誰に対してのものかわからないが……無性にイラつくんだ。


「……まあ、色々あるんだよ」


 そういっていつものように肩を竦めて誤魔化したのだが、今日はなんでかいつもと違った。


「色々ってなんなの? もしかして前に付き合ってた彼女のことが忘れられないとか?」

「……」


 その言葉を聞いた瞬間、俺は自分の体が強張るのが理解できた。


 頭の中にいろんな情景が鮮明に流れていき、言いようのない気持ち悪さが胸の中で渦巻いている。

 そのせいで心臓が強く、そして速く脈打ち、握る拳は痛みを感じているのに緩めることができない。


「あ、あの。伊上さん?」


 宮野が心配そうな表情で俺を呼んでいる。

 だが頭ではそのことを認識していても、俺はそれに返事をすることができなかった。


 やめろ。聞くな。なんでそんなことを聞くんだ。


 頼むから——それ以上聞かないでくれ。


 だが俺のそんな気持ちは通じることなく、浅田は普段よりも速い口調で言葉を紡いでいく。


「たしかもう何年も前の話なんでしょ? いい加減忘れてさ、次の相手を見つけた方が——」


 ガンッ! と何か硬いものを叩きつける音が聞こえた。

 いや、聞こえたってか、俺がやったのか。


 どうやら俺は無意識のうちに自分が寄りかかっていた柵を殴っていたらしい。


「うっせえよ」

「え……」

「なんでそんなことお前らに話さなきゃなんねえんだ? ああ? 忘れろって? そんなのは俺自身わかってんだよっ」


 そうだ。忘れなきゃいけないなんてのは、俺自身分かってる。

 今まで何度もそう思ってきた。考えてきた。

 あいつはもういないんだ。だから囚われてちゃいけない。忘れなくちゃいけないって。


 だが、できないんだ。どうしても、俺は『あいつ』のことを忘れることができないんだよっ!


「……聞かれたくないことなんて人にはいくらでもある」


 そんなこと、口にするつもりじゃない。頭の冷静な部分ではそれがまずいことだってわかってる。


 だがそれでも動き出した口は止まらない。


「例えば安倍、魔法の性質と本人の性格はある程度共通点があるが、お前は炎を使うわりに大人しい性格だよな? それは元々の性格を押し殺してるんじゃないのか? そうなった理由はなんだ? 自分を殺してる理由、それはこいつらには話したのか?」


 ああだめだ。言うな。それ以上言うな。


「北原は、争いを拒む性格だから治癒の力が発現した。だが、本当にそれだけか? それにしちゃあお前の様子はどこかおかしい気がするんだがな。治したい。それ以外の感情があるんじゃないのか?」


 俺はこいつらの心を暴きたいわけでも、チームを壊したいわけでもない。


「宮野だって、その心の内になにを隠してる? ニーナとあって以来、時々〝らしくない〟様子があるが、なにを考えてる?」


 だからダメなんだ。これは言っちゃあいけないんだ。


「なあ、浅田。お前は今俺が言ったことを一つでも気づけてたか? 話してもらったか? 誰だって聞かれたくない事、知られたくないことがあんだよ。誰も彼もがお前みたいに、能天気に考えなしに過ごしてられると思ってんじゃねえぞ」


 だがそれでも俺は勝手に動く口を止めることはできずに、最後まで言い切ってしまった。


「……くそっ。ああ違う。そうじゃない……悪い、変なこと言ったな」


 感情のままに吐き出ししたことで目の前の少女達は驚きに目を丸くし、震え、顔を顰めた。

 そんな光景を見て、俺はやっと自分を止めることができた。


 ——だが、もう遅い。


 改めて浅田達を見回してみると、その表情は明らかに普段とは違っている。


「ただ、聞かれたくないことがあるってのは本当だ。だから、これ以上聞くな。どうせあと一月で今の学年が終わる。そうしたら俺はチームから抜けるんだ。変におかしな関係になるより、今まで通りでいかないか?」

「「「「……」」」」


 俺はもう平気だと示すために、自分でも不恰好になっているとわかるような笑みを浮かべながら話したのだが、四人は誰一人として返事をしない。それどころか、なんの反応もしなかった。


 ……まあ、そうだろうな。


「しばらくは試験で冒険には出ないんだろ? 試験の最終日には俺も参加するが、それまでは会わない方がいいだろ。それがお互いのためだ」


 元々試験中はダンジョンや訓練はなしの予定だったんだ。なんの問題もないだろ。


「……試験、頑張れよ」


 俺はそれだけ言うと、バスには乗ることはせずに自分の家がある方向へと歩き出した。


「……あぁ、くそがっ。どうしてあんなことを言った。あいつらは悪気があって言ったわけじゃないだろ。俺はあのチームを壊したいわけじゃねえだろうがっ」


 浅田達から離れてしばらくすると、俺はそれまでの自分の言動を改めて思い出して拳を握りしめた。


 後ろを振り返ってみるが、結構歩いたのでもう浅田達の姿は見えない。


「前に付き合ってた彼女が忘れられない、か……。ああ、その通りだよ。俺は、いまだにあいつのことが忘れられない」


 恋人の話が出てくる度にあいつの顔が頭に浮かぶ。

 だが、もう死んだ恋人のことなんて忘れるべきなんだ。


「いい加減割り切らないといけないってのはわかってるさ。もう八年近く経つんだ。もう忘れてもいい頃だろ」


 自分に言い聞かせるように呟くが、それでも心は渦巻いたまま落ち着かない。


 そして、俺は深呼吸をするとケータイを取り出して電話をかけた。


「……ああ、すまん。……あー、今暇か? いや、ちょっと飲みにでも行かないかと思ってな。時間的にもうすぐ夕飯の時間だし突然だからダメならダメでいいんだが……え? いいのか? ああいや、ならありがたいが……ああ。じゃあ駅前で。どうせそこくらいしかまともな飲み屋なんてないしな。ああ、悪いな」


 軽く話をして通話を終えると、今度は保存してあった恋人の画像を開いた。


 だがすぐにその画面をホームに戻すと電源を消してポケットにしまい、待ち合わせ場所へと歩き出した。

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