第178話 独り相撲①
「いやや、やっぱりうち投げたくない!」
守備につく準備をしていると、凄美恋が駄々っ子みたいに首を振っていて、頑なにマウンドに向かおうとしない様子が目に入った。綺麗に手入れされた凄美恋の髪が、規則正しく揺れている。
すでにピッチャーの由里香とライトの凄美恋の守備位置の交代の連絡は審判にしているので、今更やめることはできない。そもそも、華菜に言わせれば、監督が投げろと言っているのだから、そこに拒否権なんてないと言いたいところである。
みんな守備についているのに、本来ならマウンドで投球練習をしていなければならないはずの凄美恋と、それを説得する華菜はまだベンチにいた。
「凄美恋、早くしなさいよ! 審判の人が早く守備に就くように言ってるから!」
「いやや! 絶対投げへん!」
華菜が無理に引っ張ろうとするも、凄美恋がベンチにしがみついて動こうとしない。
「わがまま言わないの!」
凄美恋がものすごい勢いで首を横に振っている。歯医者に無理やり連れていかれる子どもの方が、もう少し聞く耳を持ってくれるのではないだろうかと華菜はため息をついた。
「雲ヶ丘、わがまま言うな。もう主審に交代って言ってんだから、少なくとも1人投げるまではお前が投げねえと棄権負けだぞ」
富瀬の声を聞いて、凄美恋がバツの悪そうな顔をする。
「せやけど、うちが投げたら打たれてまうし。みんなに迷惑かけてまうし……」
「投げてくれない方が迷惑なんだけど!」
「そうだぞ、小峰の言う通りだ。だいたいな、野球はお前ひとりでやるスポーツじゃねえんだぞ。後ろに小峰含めてみんなが守ってくれてんだから、思いっきり投げりゃいいんだよ」
「そうよ。私たちが守るから、あんたは思いっきり打たせなさい!」
華菜と富瀬に言われて、凄美恋が「うぅ……」と小さく声を出す。
「もし打たれたってお前だけの責任じゃねえんだから、思い切って投げりゃいいんだよ」
「……打たれても知らんからな!」
捨て台詞を吐いた後に渋々凄美恋がマウンドへと向かう。重い足取りはこれからマウンドにあがる投手のものとはとても思えなかった。
監督からの指示だから凄美恋がマウンドに向かうように後押ししたものの、自分が監督だったらとてもマウンドに上げる勇気はない。
強打者若狭美江の打席が先程の回に済んでいてよかったと華菜は内心ホッとしていた。
もっとも、凄美恋の投球は美江と当たるかどうかとか、そういう問題以前の話ではあったのだが……。
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