第172話 投げたくない③

「か、肩作れってどういうことやねん!」


相変わらず凄美恋は監督の富瀬相手にも敬語を使う気はさらさらないようだったが、富瀬はその点については特に気にすることなく話を続ける。


「そのままだよ。次の回からマウンドに上がれってことだよ」


「ひっ……」


先程まで元気だった凄美恋が打って変わって喉の奥から怯えた声を出した。


「無理! 無理やって! うちピッチャーなんてできへんもん!」


「湊はもう無理だ。さっきの回は気力とお前の強肩のおかげで1失点で済んだけど、これ以上マウンドに立たせたら、間違いなく失点するし、場合によっては怪我にもつながりかねない」


「う、うちが投げても失点してまうもん! やから絶対に無理!」


「お前以外にピッチャー経験のあるやつがいねえんだから、しょうがねえだろ」


「うちも全然体力ないねんけど! ずっと受験勉強で家に閉じ込められてたから外に行く時間とかなかったし! それに実戦では中1の時以来投げてへんし!」


「さっきから機敏な動きしてるし、どうせお前のことだから勉強サボってこっそり抜け出して練習しに行ってたんだろ? あたしも気持ちはわかるし、経験もある」


図星を突かれたのか少し凄美恋は動揺していた。


「か、監督と一緒にせんといて! うちみたいなお上品な子の気持ちが監督みたいな乱暴な人にわかるわけないやん」


「お前一回“お上品”の意味を辞書で調べた方がいいぞ……。ま、なんでもいいけど、実際勉強サボってちょっとは練習はしてたんだろ?」


「いや、まあ、そりゃ、ちょっとはやっとったけど……けど、野手としての練習ばっかりやったし、ピッチャーは中1の終わりの頃の大会で投げて大炎上してからやってへんし……」


「大会で投げた事あるならお前が一番マシなんだよ。雲ヶ丘が投げなかったらここで棄権負けになっちまうけどいいのか?」


その言葉を聞いて、凄美恋が不本意そうに富瀬を睨んだ後、不貞腐れながらもグローブを手にする。


「大量失点してもしらんからな!」


凄美恋が捨て台詞を吐きながら投球練習へと向かった。その間に8番打者の真希が三振していて1アウト。


次の打者は9番の咲希なので、1番打者である千早がネクストバッターズサークルへと向かう準備をしている。華菜は打席に行く前の千早に声を掛けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る