第155話 才能無しのドール少女⑦
次の練習のとき、美江は少し休憩しようと、防具も外して、グラブも持たず、完全無防備の状態で歩いていた。そのときをちょうど狙いすまされた。
「ねえ、美江!」
ミレーヌに話しかけられて後ろを振り向いたその瞬間だった。すでにミレーヌは投球動作に入っていて、美江が振り向いた時にミレーヌの手からボールが放たれた。
避けたほうが良かったのだろうけど、捕手の習慣として、咄嗟にグラブを持つ左手が出てしまった。ふいに本気で投げられた球を素手でとるなんて怪我に繋がる危険があるんだから、絶対にやってはいけない。
練習しているみんなの空気が止まったのがわかる。ミレーヌの行為は明らかにチームに対してマイナスに繋がることだった。
「何やってんのよ菜畑! うちの美江に何やってくれてんの!」
一瞬の沈黙の後、上級生のチームメイトがかなり語気を荒げてミレーヌに言う。
ミレーヌは戦力として認められていないことが周知の事実だからか、“うちの美江”というまるでチームの部外者にするみたいな言い方で注意された。さすがのポジティブドールの菜畑ミレーヌもこれには少しくらい凹むかと思って期待した。
美江としては、ミレーヌには早くうちのチームでレギュラーを取るのを諦めて欲しかった。だけどミレーヌは先輩の注意なんてどこ吹く風で、ケロッとした様子をしていた。
「ふふん。美江にわたしの球を捕らせたわ!」
周りの空気を読まず緊張感のある雰囲気をぶち壊してミレーヌが勝ち誇ったように鼻を鳴らして、腰に手を当てて喜んでいる。
確かに美江は結果的にミレーヌの投げた球を捕球させられることになった。
「空気読みなよ、チビ! 美江大丈夫?」
チームメイトが慌てて美江の方へと駆け寄る。ミレーヌに向けた軽蔑するような視線とは違い、美江に向けられたのは心の底から心配するような温かい視線だった。
不動の正捕手である美江が欠けてしまったら、全国優勝を目指すチームにとって致命傷となる。
「いえ、大丈夫です。痛みも何もありません」
周りに集まってきているチームメイトは安堵した。
ただ、美江はなんだか悲しい気分になってきた。この間の持久走に限らず、誰よりも早く来て練習して、誰よりも遅くまで残って、エースになれることを信じて必死に練習するミレーヌの球が、グラブ越しに受け止めたうちの5番手くらいのピッチャーの球よりも重さを感じなかったのだから。
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