第87話 由里香の家で③
「気になることがあるんなら全部吐き出しちゃった方がいいわよ? 桜子はいっつも一人で全部抱え込んじゃうところあるから。思ったことは言っちゃわないと」
「ええ、ありがとうございます」
由里香の優しい言葉に、桜子が微笑んだ。
由里香がもし野球部に入ったら、きっと今日みたいに放課後ゆっくりと由里香と共に話せる機会も減ってしまうのだろう。
そして華菜がキャッチャーをするのだとしたら、由里香の眼中はまた華菜だけになるのだろう。
由里香の目の前にいるのは桜子のはずなのに、心の中にいるのは華菜だった中学3年の夏頃のように……
そんなことを考えてしまい、否定するために桜子は思いきり頭を振ってしまった。桜子の突然の行為を、由里香が驚いた表情で見ていた。
「突然どうしたのよ?」
「なんでもありません!」
桜子はおもむろに立ち上がった。今日はこれ以上いても仕方がないから帰ろうと、由里香の部屋のドアを開けようとしたときに桜子は腕を掴まれた。
「ねえ、ほんとに大丈夫なの?」
振り返ると、由里香と目が合った。長身の由里香に見つめられていると、安心感に包まれる。同じ長身でも棘があって威圧的な怜とは大違いだ。
そして、桜子は由里香の瞳に見つめられると隠しごとなんてできなくなってしまう。本当にずるい人だ、と桜子は思う。
「私、今日は由里香に聞きたいことがあって来たのです」
「なんでも言ってくれたらいいわよ。私たちそんな隠しごとするような仲じゃないでしょ?」
「もし……」
桜子は次の言葉を発してもいいのかためらった。
由里香は中学3年の秋以来、華菜の名前を口にすることは一度も無かった。
そんな由里香に対して、桜子からその名前を出してしまうことは、墓穴を掘ることに他ならないのかもしれない。結果として、由里香が華菜のことを再び意識してしまう、後押しになってしまうかもしれない。
だけど、つい聞いてしまう。今、由里香の心はどこにあるのか確かめておきたい気持ちが勝ってしまう。
「もし、あの子……小峰華菜に野球部に入らないかと誘われたらどう答えますか?」
由里香の優しそうな笑顔が引きつった。やはり聞くべきではなかったのだ。桜子は、迂闊な事をきいてしまったことへの後悔の気持ちが強くなる。
桜子は、たった一言『もう野球はやらないって言ったじゃないの』と笑って言ってくれることを期待しただけなのに。
由里香はどれだけ待っても口を開こうとしなかった。
時間が空くと冷静になり、次第に答えを聞くことが怖くなってくる。桜子は由里香に再び背を向けた。
「変なことを聞いてごめんなさい。私帰りますから。また明日!」
早口で言って去ろうとする。そんな桜子の姿を引き留めるみたいに、由里香は慌てて口を開いた。
「わからない……私にはわからないの。華菜が私のことを許してくれてるんだったら、私は――」
桜子は聞こえないふりをして由里香の部屋を出た。由里香が出した結論を最後まで聞く度胸は、とてもなかった。
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