第伍話 【 おまじない 】

 灰夢は氷麗が泣き止むまで、優しく包み込み、

 心を落ち着かせるよう、頭を撫でて慰めていた。





「ごめんなさい、お兄さん……」

「……何を謝ってんだ?」

「だって、大切な服を汚しちゃったから……」

「気にするな、服なんか洗えば綺麗になる」


 その言葉を聞いて、氷麗の表情に笑顔が戻る。


「お兄さん、凄く優しい……」

「こういうのに弱いんだよなぁ、俺……」

「ふふっ、自覚あるんですね」

「あっても治せねぇんだ。これが……」


「お兄さんの身体、凄く暖かいです」

「そりゃ、俺も生きてるからな」

「不死身なとこだけが、お兄さんの長所ですもんね」

「それしかねぇのかよ。俺の長所……」


 氷麗の顔に、小さな笑顔が戻ったのを確認すると、

 灰夢は胸を撫で下ろすように、静かに微笑んでいた。


「……まだ、怖いか?」

「はい、震えが止まらなくて……」


 灰夢が氷麗の震える手を見て、その上から優しく握る。


「えへへっ……。お兄さん、本当に優しいですね」

「今だけだ、今だけ……」

「いつもこうだったらいいのになぁ、お兄さん……」

「それは、お互い様だろ。いつもの無表情はどこに行った?」

「それは、その……。今は、お兄さんと二人なので……」

「はぁ……。ったく、不器用だな。お前は……」

「お兄さんほどじゃないと思います」

「俺は不器用ではなく、意図的にひねくれてるんだ」

「なお、タチが悪いですよ。もぅ、ふふっ……」

「膨れたり笑ったり、忙しいやつだなぁ……」


 氷麗はホッとした表情で、灰夢に抱きついていた。


「ったく。どんだけついてないんだ。お前……」

「私が知りたいですよ。本当に……」

「俺の呪いとは、別の意味で厄介だなぁ……」

「この先も、またこう言うことがあると思うと、凄く怖いです」

「…………」


 灰夢が怯える氷麗を見て、一人、その場で考え込む。


「私、いつか襲われちゃうのかな」

「こうなると、やむを得ないか」

「……?」

「お前も、祠に住むか? 氷麗……」

「……えっ!?」


 灰夢の予想外の提案に、氷麗が驚いた顔で目を丸くする。


「……どうだ?」

「お気持ちは、嬉しいです……」

「…………」

「でも、お父さんが許してくれないと思います。きっと……」

「……そうか」


 しょんぼりとした顔の氷麗を見て、灰夢が小さく溜め息をつく。。


「……はぁ、しょうがねぇか」

「……え?」

「代案だ……。少し、そのままじっとしとけ……」

「……?」



























     灰夢は小さな声で術を唱えると、氷麗のおでこにそっとキスをした。



























 その瞬間、氷麗が思考を停止させたまま固まる。


「…………」

「……おい?」

「──ハッ!? お、お兄さんっ!? な、何を……」

「二回も直接キスしといて、今更デコくらいで何を驚いてんだ?」

「だ、だって……。お兄さんからなんて……。始めてで、その……」


 氷麗は顔を真っ赤にしながら、パニックになっていた。


「今のは、ただのまじないだ……」

「……おまじない?」

「あぁ……。本当にヤバい時は、きっとが守ってくれる」

「……お兄さん」

「だから、もう大丈夫だ。それでも不安な時は、また祠に来ればいい」

「……はい」


 灰夢の言葉に、氷麗が小さな笑顔を返す。


「震え、止まったな……」

「あっ、えっと……」

「……帰るか?」

「も、もう少しだけ……」

「はぁ……」



























             「 あと少しだけ、だからな 」



























         灰夢は呆れながらも、氷麗を優しく抱きしめていた。



























 しばらくすると、灰夢と氷麗は祠に向かっていた。


「……雨、上がったな」

「そうですね。あっ、お兄さんっ! 見てください、虹ですっ!」

「夕焼けの虹か、いい景色だな」

「えへへっ……。ついてますね、お兄さん……」

「さっきまで、お前は絶望の中だったけどな」

「でも、お兄さんが助けに来てくれましたから……」

「まぁ、そんだけ元気になりゃ大丈夫そうだな」


「お兄さんはいつでも、私のヒーローですっ!」

「そうか。それなら、少しは爺に胸を張れそうだ」

「十分だと思いますよ。今の祠のみんなを見てると……」

「なら、そろそろお役御免する時も近ぇかな」

「それはダメです。私が死ぬまでは一緒です」


「冗談だろ。俺、それまだまだ死ねねぇじゃねぇか。勘弁してくれ……」

「だって、お兄さんが『 ずっとそばに居てやる 』って言ったんですよ?」

「言ってねぇよ。俺はただ、『 まじないが、お前を守る 』って言っただけな」

「でも、『 それでも不安なら、祠に来い 』って……」

「別に、祠には俺以外にも、たくさん守ってくれる奴らがいるだろ」

「それは、そうかもしれませんけど……」

「……不服なのか?」

「別に……。ただ守られるなら、お兄さんがいいなぁって……」

「……なんだって?」

「なんでもないですっ! お兄さんのバカ……」

「なんでキレてんだよ。お前……」

「べ〜っ! 知りません……」

「はぁ……。乙女心はよぅわからん……」


 氷麗が頬を膨らませながら、ぷいっとそっぽを向く。


「あっ、携帯がなってらぁ……」

「……ん? 誰からですか?」

「言ノ葉だな。『 ……氷麗ちゃんは、大丈夫ですか? 』だってよ」

「言ノ葉、無事に家まで帰れたんですね」

「まぁ、向こうには牙朧武がいるからな。とりあえず返信しとくか」


 灰夢がスマホを両手で持ちながら、ポチポチと打ち込む。


「お兄さん、スマホを打つの遅いですよね」

「うるせぇな。仕方ねぇだろ、こういうの苦手なんだよ」

「ふふっ……。なんか、不器用なところが面白いです」

「ほっとけ……」


 必死にスマホを打つ灰夢の姿に、氷麗がクスクスと笑う。


「帰ったら、言ノ葉にも謝らないと……」

「……何をだ?」

「お兄さんと帰るの、言ノ葉も楽しみにしてたので……」

「あぁ、そういう事か。仕方ねぇ……。今度、埋め合わせしてやるか」

「そうですね。必ずしてあげてください」


「なんだ、急に優しくなって……。お前、本物の氷麗か?」

「失礼ですね、本物ですよ。私のことを何だと思ってるんですか?」

「よく言うよ。いつもなら、『 ズルいです 』だの何だの言うくせに……」

「それはそうですけど、言ノ葉にも笑っていて欲しいので……」


「嫉妬と友情で葛藤とは、若者の思考は大変だな」

「言ノ葉は親友であり、ライバルですから……」

「そのライバル対決に、俺を巻き込まないでくれ」

「そもそも、お兄さんがいなかったらバトリませんけど……」

「ったく、俺が何したってんだ……」

「私たちを助けたのが、全ての始まりですね」

「はぁ……。無闇に人を助けるもんじゃねぇな」

「何を言ってるんですか? 今更……」


 ため息をつく灰夢に、氷麗が横目で冷めた視線を送る。


「俺の平穏は、どこに行っちまったんだか」

「誰にでも優しいのは、時に罪ですからね」

「取り合いの景品にされる、俺の身にもなってくれ」

「良かったじゃないですか。みんなの憧れ、『 私の為に争わないで展開 』ですよ?」

「それは少なくとも、男が求める展開じゃねぇよ」


 二人は虹を見ながら、真っ直ぐに帰り道を歩いていく。


「あの、お兄さん……」

「……ん?」

「……手、繋いでもいいですか?」

「それ、さっき言ノ葉にも言われたぞ」

「あぁ〜っ! 抜けがけですよ、それ……」

「お前だって、今、それをしようとしてただろ」

「まぁ、確かに……」

「それに少なくとも、俺は言ノ葉にまじないはしてねぇよ」

「えへへっ……。なら、許してあげますね」

「何を許されたんだ、俺は……」


 灰夢は呆れながらも、氷麗の冷えた手を優しく掴んだ。


「お兄さんの手、凄く暖かいです」

「もう冬だからな。帰ったらコタツでも出すか」

「いいですね、それ……」

「お前の家にも送ってやろうか? 満月が作ってくれっから……」

「いえ、それは大丈夫です」

「なんだ、要らないのか?」

「だって、それを貰ったら、お兄さんの部屋に行く理由が無くなるじゃないですか」

「そうか。なら、何がなんでも送るしかねぇな」

「お兄さん、しばらかしますよ?」

「勘弁してくれ。さすがに俺も冬は寒いんだ……」

「だって、お兄さんがイジワル言うんだもん」

「仕返しが生死を問われるレベルなんだよ。加減を知れ、加減を……」

「不死身が何を言ってるんですか、全く……」


 二人が互いに呆れながらも、掴んだ手を離さずに歩みを進める。


「お兄さん……。今日は、ありがとうございました……」

「なんだよ、急に改まって……」

「いえ、ちゃんとお礼を言っていなかったので……」

「別にいい。むしろ、もっと早く気づいてやればよかったな」

「そんなことないですよ。ちゃんと助けてくれましたから……」

「そうか。なら、よかった……」


「私のことを『 大切 』って言ってくれたの、嬉しかったです」

「まぁ、お前は言ノ葉の大切なダチだからな」

「えっ、そういう意味だったんですか?」

「さぁ、どうだろうな」

「もぅ〜っ! お兄さんのイジワル……」

「イジワルで結構だ。俺はお前が思うほど、優しい人間じゃねぇよ」


「はぁ……。助けてくれる時は、素直でカッコイイのになぁ……」

「ボロクソ言うじゃねぇか、小娘が……」

「まぁ、ピンチの子なら誰にでも言うところはアレですけど……」

「そこは目を瞑れよ。そういう危機的やつらに会っちまうんだから……」

「確かに、そこで救ってこなかったら、お兄さんらしくないですからね」

「敵なのか味方なのか分からねぇな。お前は……」

「たまに独り占めさせてくれれば、私だって許しますよ」

「はぁ……。乙女心ってのは、何度聞いても分からねぇや……」





 くだらない雑談を続けながらも、二人は並んで影を伸ばし、

 夕焼け色の空に染められながら、仲良く祠へと帰って行った。

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