第弐話 【 癒夜神 雨音 】
オムライス騒動を終えた次の日の昼、雨の滴る秋空の元、
灰夢はカウンターで珈琲を飲みながら、梟月と話をしていた。
「氷麗くんと言ノ葉に、ストーカーの気配か」
「まぁ、実際に見たわけじゃないらしいけどな」
梟月が静かにしゃがみこみ、棚の下からショットガンを取り出す。
「……おい。なんだ、その物騒なもんは……」
「だって、わたしの娘にちょっかいをだしているんだろう?」
「いや、だから、確定じゃねぇって言ってんだろ」
「大丈夫さ。痛みは一瞬だ、苦しめるつもりは無い」
「……んなこと気にしてねぇよ」
「もしもの事があってからでは、遅いからね」
「そんなんだから、お前に相談しねぇんだよ。言ノ葉は……」
「…………」
梟月はしょぼんと落ち込むと、静かにショットガンをしまった。
「では、わたしはどうしたら……」
「娘のこととなるとこれだ、いつもの判断力はどこにいったんだよ。月影の参謀さん……」
「父が大切な娘を心配するのは、当然だろう?」
「心配の度が過ぎるだろ。夏祭りの時、お前がいなくて心底良かった」
「そうだね。目の前で言ノ葉が襲われていたら、わたし自身何をしでかすか分からない」
「俺も俺でやり過ぎた気もするが、お前がいたら血の惨劇は間違いねぇな」
灰夢が苦笑いをしながら、珈琲に砂糖を入れる。
「とりあえず、後で言ノ葉たちを迎えに行ってくる」
「そうか、ありがとう。娘たちを、よろしくお願いするよ」
「あぁ……」
そんな二人の空間に、店の扉の開く音が響く。
「お邪魔しますえ……」
「おぉ、神楽じゃねぇか。……どうした?」
「おや、灰夢はん。ちょうどええ所に……」
「……ん?」
そう告げる神楽が、後ろにクイクイッと手招きをすると、
くノ一の格好をした、見知らぬ小柄な少女が姿を見せた。
「あっ、本当に居た。──お兄さんっ!」
「……ん? ……誰だ?」
「……忘れちゃいましたか? 前に助けていただいたのですが……」
その言葉を聞いて、灰夢がじーっと少女を見つめる。
「…………」
「…………」
「灰夢はん、見つめすぎや……」
「いや、あと少しで思い出せる気がするんだが……」
ゼロ距離で見つめる灰夢から、少女が気まずそうに目を逸らす。
その瞬間、灰夢はポンッと手を叩くと、納得したように呟いた。
「あっ……。あの、木から降りられなくなってた嬢ちゃんかっ!」
「──そ、そこは言わなくていいんですよぉ〜っ!」
少女が両手をブンブンと振りながら、照れ隠しをする。
その少女は、言ノ葉と体育祭の走る練習をしていた時に、
猫を助けて、木から降りられなくなっていた少女だった。
「なんだ、神楽ん所のチビだったのか」
「せや……。この子は雨音、うちの六女の仕事人や」
「なるほど……。前に言ってた、次女の世話役ってのは、この子か」
「そうなんや。この子は、本当に面倒見が良くってなぁ……」
雨音が灰夢と梟月に、礼儀正しくペコリと頭を下げる。
「
「俺は不死月 灰夢だ。ここでは運び屋をしてる、よろしくな」
「私は不動 梟月、月影のまとめ役だ。ようこそ、月影の隠れ家へ……」
雨音は二人に向かって、何度もペコペコとお辞儀をしていた。
「それで……。なんで、今日はこの子を連れてきたんだ?」
「なんでも、灰夢はんに会いたいっちゅうからやわ」
「……俺に? なんでまた……」
雨音が手に持っていた袋から、折りたたまれた羽織を取り出す。
「お借りしていた羽織の話を神楽さまにしたら、もしかしてと言われまして……」
「あぁ……。そういや羽織を貸したな、忘れてた……」
「あの時は、本当にありがとうございました」
「気にしなくていい。届けてくれてありがとな」
「いえいえ……。助けられたのは、ワタシの方ですから……」
灰夢は羽織を広げると、その状態を確認していた。
「なんか、すげぇ綺麗になってるな。神楽が直してくれたのか?」
「……いや、わてやないで?」
「……違うのか?」
二人の会話を聞きながら、雨音がモジモジと表情を赤らめる。
「えっと、その……。実は、ワタシが……」
「……えっ、嬢ちゃんが直したのか?」
「実は元々、その羽織を作ったのはワタシなんです」
「……マジ?」
「わてがこの子に、織物や裁縫を教えたんや……」
「そうなのか、これだけ出来んなら大したもんだな」
「い、いえいえっ! そんな、自分なんてまだまだで……」
「そんなことねぇよ。言われるまでは、神楽の作ったものだと思ってたからな」
「そう言っていただけると嬉しいです。ありがとうございます」
雨音はペコペコと頭を下げると、嬉しそうにニッコリと笑った。
「服の礼だ、飯でも食ってくか?」
「せやな。せっかくやから、ご馳走にならせて頂きます」
「雨音っつったか? 何か食いたいもんはあるか?」
「……え? そんな、とんでもない……」
「ええんや、好きなもんを頼みなはれ……」
そんな神楽の言葉に、雨音の頬が再びポッと赤くなる。
「で、では……」
「……ん?」
「お肉が、食べたいです」
「肉か、わかった。なら、そこに座って待ってな」
「はい、ありがとうございますっ!」
灰夢はそう告げると、店の厨房へと一人で歩いていった。
☆☆☆
戻ってきた灰夢が、雨音の目の前に肉の丼飯を置く。
「うわぁ〜っ! 見てください、神楽さまっ! 凄く美味しそうですっ!」
「オシャレな盛り付けやなぁ……。これは、なんて料理や?」
「ただの【 ローストビーフ丼 】だ。そんな凝ったもんじゃねぇよ」
「凄いなぁ、灰夢はんは。レパートリーが豊富や……」
「これは、氷麗に言われて作ったんだ。『 最近、人気だから…… 』って言われてな」
箸を持つ雨音が、目を輝かせながらヨダレを垂らす。
「あまり外でご飯は食べないので、とても嬉しいですっ!」
「そうか、好きなだけ食え……。足りなきゃオカワリもあっから……」
「はい、ありがとうございますっ! 運び屋さまっ!」
雨音は礼儀正しく両手を合わせると、黙々とご飯を食べ始めた。
「今日はいいのか? 次女の方は……」
「今はルミアが見とるさかい、大丈夫や……」
「最近はどうなんだ? 容態は……」
「せやなぁ……。原因はわからへんけど、また体調を崩してはる」
「……そうか」
神楽の落ち込む表情を見て、梟月と灰夢が目を合わせる。
「治ってもまたなると言うのは、実に厄介だね」
「そんな症状は、俺も聞いたことがねぇ……」
「呪いとかならまだしも、ただの病なんやけどなぁ……」
「元々体が弱いんだろうが、そんなに立て続けに起こるもんか?」
「前は、こんなに弱くなかったんやけど……」
「いつ頃からなんだ? そうなったのは……」
「半年前くらいからやなぁ、急に崩し出したんは……」
「もしかしたら、怪異が原因かもしれないね」
「ほんなら、蒼月はんやったら分かるんかいな?」
「確証はないが、蒼月には人間に見えないものが見える。可能性はあるだろう」
「そうかい。なら、今度頼んでみるやさかい」
「帰ってきたら、わたしから蒼月に伝えておくよ」
「……ほんまに助かります」
「気にする事はない。子供の笑顔が戻るなら、お易い御用さ……」
そんな話を灰夢たちがしていると、不意に雨音が灰夢の袖を掴んだ。
「あの、運び屋さま……」
「……ん?」
「オカワリを頂いても、よろしいでしょうか?」
「……は? ……もう食ったのか?」
「はい、美味しくて……。つい、ペロッと……」
雨音が綺麗に平らげられた丼で顔を隠しながら、灰夢の顔を見つめる。
「そうか、まだまだ食えそうか?」
「はい、まだ腹一文目にも足りません」
「……マジかよ」
さも当然のように答える雨音に、灰夢が目を丸くする。
「この子、とんでもなく食べるんや……」
「まさか、資金不足ってのは、この娘が原因か?」
「さすがに、いつもは抑えてますよぉ〜っ!」
「……本当か?」
「い、一応……」
「まぁそれでも、かなりの量は食べるんやけどな」
「……ダメじゃねぇか」
「す、すいません。神楽さま……」
顔を赤くして丸くなる雨音の頭に、灰夢は優しく手を置いた。
「なら、今ぐらいは、たらふく食わねぇとな」
「……え?」
「ちょっと待ってな、オカワリ持ってくっから……」
「……は、はい」
キョトンとする雨音を置いて、灰夢が店の奥に再び消える。
そして、灰夢は再び姿を見せると、特盛チャレンジのような、
バカでかいサイズの特大ローストビーフ丼を手に抱えていた。
「ほら、これならどうだ……」
「ほわぁ〜っ! す、凄いです。見てください、神楽さま……」
「灰夢はん、これは……」
「うちの
特大サイズの丼に、雨音の目がキラキラと輝きを増す。
「……こ、こんなに食べていいんですかっ!?」
「あぁ、好きなだけ食え……。残されても困るから、遠慮はいらん……」
「ありがとうございますっ! 運び屋さまっ!」
「ほんまにありがとうなぁ、灰夢はん……」
「飯ならまた炊きゃいい、気にすんな」
「うちではあまり、贅沢させてあげられへんから……」
「食いたきゃいつでもこい。こんぐらいなら、いくらでも食わしてやっから……」
「えへへっ、運び屋さま……。ワタシ、今、とても幸せです」
「そうか、そりゃよかった……」
そういうと、雨音は幸せそうな表情を浮かべながら、
特大サイズのローストビーフ丼に、かぶりついていた。
「それにしても、よく降るな。雨……」
「せやなぁ、今日は大荒れの天気や……」
「これは、少し早めに言ノ葉たちを迎えに行くかな」
「うん、その方が良いかもしれないね」
荒れる灰色の空模様に、梟月が心配そうな表情を見せる。
そんな折に、不意に灰夢が、足元に光る何かを見つけた。
「……なんだ? これ……硝子?」
「あぁ……。昨日、桜夢くんがグラスを落としたんだ」
「なるほど、そういうことか。ったく、痛っ……」
「おぉ、大丈夫かい?」
硝子の破片を持っていた灰夢の手から、一筋の血が滴る。
「平気だ。すぐなおr……」
「あっ! いけませんっ!」
「……え? ちょちょちょっ!?」
すると、傷を見た雨音が、突然、慌てて灰夢の指を舐め始めた。
「おいおい、どうした……?」
「ごめんなさい。少しだけ、このままで……」
「灰夢はん、少しじっとしておいておくれやす」
「……は?」
神楽に言われるがまま、灰夢は動かずにじっと見つめる。
「ぷはぁ……。えへへ、治りました……」
「お、おぅ……」
雨音が指を舐め終えると、灰夢が指の傷跡は無くなっていた。
「はぁ、よかった……」
「えっと、何がしたかったんだ?」
雨音の後ろで微笑む神楽に、灰夢が困惑した表情で尋ねる。
「雨音は傷を舐めることで、相手の傷を癒せるんよ」
「なんだ、それ……。それが、この子の忌能力ってことか?」
「せや……。だから、灰夢はんの傷を見て、急に飛びついたんやわ」
「なるほどな。そりゃ、礼を言う……」
「いえ、ごめんなさい……。ワタシこそ、慌てちゃって……」
「ただ、悪ぃな……。俺、自分でも治せるんだ……」
「……へ?」
雨音が目をパチパチしながら、灰夢から神楽へと視線を移す。
「灰夢はんは不死身やさかい。何もしなくても治るえ……」
「……ふ、不死身? どういうこと、ですか……?」
「死にたくても死ねない不死身の死術師。それが、不死月 灰夢はんや……」
「……えっ、ええぇぇぇえええぇぇっ!?」
灰夢がわざと別の指に傷をつけ、修復するところまでを見せる。
それを見た雨音は口を開けたまま、真っ白になって固まっていた。
「いや、マジで悪ぃ。……先に言っときゃ良かったな」
「いえ、その……。本当に余計なお節介を、ごめんなさいっ!」
何度も頭を下げながら、雨音が申し訳なさそうに謝罪を繰り返す。
「気にすんな。気遣ってくれたのは、素直に嬉しかったから……」
「で、でも……。その、唾液を……付けてしまって、えっと……」
「それ以上言うな、墓穴を掘るぞ……」
「……は、はい」
雨音は顔を真っ赤に染めながら、小さく
「にしても、随分と変わった忌能力だな」
「ワタシの力は、【 チャクラ治癒術 】というものです」
「……チャクラ治癒?」
「はい。要は、相手の体に自分の『 気 』を流すことで相手を癒すんです」
「チャクラなんて、相手の体に流せるのか?」
「チャクラは元々、頭、胸部、腹部の三箇所に集まりやすいんです」
「……ほぅ?」
「そして、頭のチャクラは、唾液から相手の傷に流すことが出来ます」
「なるほど、あとは……?」
「えっと、その……。こう、肌を密着させて……」
頬を赤く染め、胸を隠すようにしながら自分の服を脱ぐ雨音を見て、
灰夢がバッと雨音の服を掴み、答えようとしていた雨音の話を遮る。
「分かった、もう言わなくていい」
「セクハラやで、灰夢はん……」
「悪かったな。こんな忌能力、見たこと無かったんだよ」
「このくらいしか、ワタシには取り柄がありませんので……」
「そう卑下するな。誰にも出来ねぇことが出来るってのは、すげぇんだぞ?」
「えへへっ……。そう言っていただけますと、ワタシも嬉しいですっ!」
「人助けする為にも、ちゃんとエネルギーを蓄えねぇとな」
「そうですね。その為にも、たくさん食べておきますねっ!」
雨音は嬉しそうに、満面の笑みを浮かべて答えると、
特大のローストビーフ丼を、何事もなく平らげていた。
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