第拾壱話【 同じ空の下で 】
灰夢は湖エリアを出ると、火山エリアへ行き、
サラに事情を説明して、匿ってもらっていた。
「あははっ! それで、ここに来たんだ……」
「あぁ……。もう、どこに行っても危険な気がしてな」
「やれやれ、モテる男は辛いねぇ……」
面倒くさそうな表情で寝そべる灰夢に、サラが呆れ顔を返す。
「さすがに火山エリアなら、そうそう人は来ねぇだろ?」
「まぁね、双子ちゃんがたまに来るくらいかな」
「そりゃ助かる。少しここにいさせてくれ」
「別にいいよ、ゆっくりしてって……」
「悪ぃな、礼を言うよ……」
サラは小さく微笑むと、寝転がる灰夢の横に座った。
「…………」
「…………」
「お兄さん、一つ聞いてもいい?」
「待て、その振りはディーネとやったぞ?」
「違う違う、ポッキーゲームなんかしないって……」
「……そ、そうか」
じーっと睨む灰夢を見て、サラが必死に弁解する。
「お兄さんってさ、アタシの火が怖かったりする?」
「いや、別に……」
「……えっ、怖くないの?」
「そりゃまぁ、当たりゃ熱ぃが……」
「……そ、そりゃそうだよね」
灰夢の回答を聞いたサラが、寂しそうに俯く。
「だが、その火を扱ってるのは、他でもないサラだからな」
「……ん?」
「むしろ最近は、お前の火は割と好きだったりする」
「……待って、どういうこと?」
寝そべったまま、謎の発言をする灰夢を見て、
サラが戸惑った表情のまま、頬を赤く染める。
すると、そんなサラの疑問に答えるように、
灰夢は目を瞑ったまま、静かに口を開いた。
「 お前、他の奴らを想ってか、常に熱を抑えてるだろ?
そんな優しいお前の炎が 、俺は結構好きなんだよ 」
核心を突く一言に、サラの表情が固まる。
「なんで、それを知って……」
「お前と初めに戦った時は、近づくだけで熱かったからな」
「そ、それは……」
「それを思えば、お前も頑張って仲間に合わせてることぐらい分かる」
「……おにーさん」
灰夢の真っ直ぐな言葉に、サラの肩の力がスッと抜ける。
「おにーさんは、本当に優しいね」
「……そうか?」
「みんな、アタシの火を怖がるのにさ」
「まぁ、俺は危機感がねぇからな」
「あははっ……。それもまた、不死身ならではだね」
「……だな」
互いの能力に呆れながらも、サラはどこか嬉しそうに微笑んでいた。
「そういや、聞いてみたいことがあったんだが……」
「……ん?」
「お前ら火の能力者は、気が強くなる傾向でもあるのか?」
「傾向かぁ、双子ちゃんもそうだったの?」
「まぁ、鈴音はそうだったか。あと、火恋もだな」
「もしかして、みんなボコって終わらせたの?」
「さすがに鈴音に手は出してねぇが、火恋はぶっ飛ばしたな」
「やれやれ、この喧嘩好きはどうしようも無いなぁ……」
「お前が言うなよ。それに、俺はだいたい自分からは仕掛けてない」
「まぁ、能力が性格に影響しやすいのは、多少あるのかもね」
「……そうなのか」
「ほら、おにーさんだって、何にでも躊躇なくに立ち向かうでしょ?」
「それはほら、俺は死なねぇから……」
「それと同じだよ。死なないが故に、恐れを知らない生き方になる」
「……?」
「炎や氷なんかの極度な温度変化をもたらす能力は、誤って触れるだけでも死に至る」
「……炎と氷、か」
「それ故に、周囲から危険視されやすいから、こっちの警戒心も高くなるのはあるね」
「まぁ、そうか。そう言われると納得できるな」
( 確かに……。サラの言う通り、氷麗も初めはそうだったな )
サラが火山のマグマを見つめながら、灰夢に言葉を返していく。
「こうやって心を許せる相手が、
「まぁ、世の中的にはそんなもんか」
「炎に真っ直ぐ突っ込んでくる奴なんて、普通はいないからね」
「そう思うと、やっぱリリィは強いんだな」
「そうだね。マスターも、アタシを打ち倒した一人だし……」
その言葉を聞いて、灰夢はスッと体を起こした。
「なぁ、サラ……」
「……ん?」
「リリィって、どうやってサラに勝ったんだ?」
「それは、ほら……。マスターってさ、精霊術を組み合わせられるでしょ?」
「……おう」
「それで、バカでかい
「ははっ、そりゃ必勝法だな」
「アタシもビックリしたよ。ドリュアスたちでも、そんなこと出来ないもん」
サラの呆れた表情に、灰夢が小さく笑い返す。
「あれもまた、みんなを守る為に努力した結果なんだろうな」
「うん、そうだと思うよ」
火山の暖かい地面と、高い標高の風が二人を包み込む。
そんな自然の猛威の中で、二人は静かに青空を眺めていた。
「ねぇ、おにーさん……。その、えっと……やっぱり、アタシとも……」
「…………」
「……おにーさん?」
「…………」
「ね、寝てるし……」
警戒の欠片も無い様子で爆睡する灰夢に、サラが言葉を失う。
「ふふっ……。普段は寝ないくせに、こういう時は寝るんだね」
「…………」
「ほんと、おかしな人だなぁ……。アタシ、最も危険な火の大精霊なんだけど……」
「…………」
安心しきったまま、無防備な顔でぐっすりと眠る灰夢を見て、
火の化身と呼ばれていたサラの心に、別の温もりが広がっていた。
☆☆☆
晩御飯の時間になり、サラがユサユサと灰夢を揺らして起こす。
「おにーさん、時間だよ……」
「……ん? あっ、やべ。寝てた……」
「ふふっ……。どんだけ危機感ないのよ、ここ火山だよ?」
「いや、なんかこう、程よく暖かくてな」
寝ぼけ眼を擦る灰夢を見て、サラは笑っていた。
「まぁ、おにーさんが落ち着けるなら、またいつでも来てよ」
「あぁ、ほんとに助かった。礼を言うよ、サラ……」
「ううん、気にしないで……」
灰夢が固まった体を解すように、大きく背伸びをする。
「そんじゃ、そろそろ戻るかな」
「うん、またね」
「ありがとな、また来る」
一人、去っていく灰夢の背中を、サラは笑って見送った。
「 はぁ……。本当にアタシ、意気地ないなぁ…… 」
そう呟きながら、サラはポ○キーを一人で食べていた。
店に戻り、家族との晩御飯を終えた灰夢が、
牙朧武と共に、静かな露天風呂へと足を運ぶ。
「今日は、客はいないようじゃな」
「当たり前だろ。その為に、深夜まで隠れてたんだから……」
「晩飯の時も、
「あいつらのあぁいう時の目、本気で怖ぇんだよ。あと、ガキの教育に悪い」
「帰ったら、また襲われるのでは無いのか?」
「大丈夫だ。今日は寝るまで、メスガキ共を言ノ葉が見張ってるってよ」
「そうかそうか、頼れる妹を持ってよかったのぉ……」
「あぁ……。風呂くらいはゆっくりしたいもんだな」
二人は月明かりをそっと見上げ、ぐったりしていた。
「増えたのぉ、家族……」
「……だな」
「何じゃろうなぁ……。なんかこう、一つのイベントで綴る人数が多すぎじゃ……」
「おい、急にメタ発言すんのはやめろ」
「じゃがまぁ、毎日見ているだけでも飽きないのぉ……」
「……そうだな」
「灰夢が自ら、命を懸けて助けた甲斐があったではないか」
「俺は別に、命は懸けてねぇよ」
「ははっ、そうじゃったな」
子供たちの日常を思い返しながら、二人が静かに笑みを交わす。
「明日は、どんな一日になっかな」
「なんか、似合わぬ言葉じゃなぁ……」
「……そうか?」
「お主が未来を考えるなど、前はなかったからのぉ……」
そんな牙朧武の何気ない一言に、灰夢の目が大きく開く。
「そう、かもしれねぇな」
「少しずつ、変わりつつある所もあるんじゃな」
「あぁ……」
自分の思わぬ心境の変化に、灰夢が小さく息を吐きながら、
満天の星空を見上げ、安らぎの一時を堪能していた時だった。
「 残念ながら、吾輩はここまでのようじゃな 」
「 ……は? 」
謎の呟きをした牙朧武の方へと、灰夢が視線を向ける。
だが、そこにいたはずの牙朧武は、既に姿が消えていた。
「……待て、何で影に帰った?」
嫌な予感がしながらも、灰夢が恐る恐る後ろを振り返る。
すると、入口が開く音が響き、湯気に隠れた男湯の入口から、
大きな竜の尾を生やし、白いタオルを巻いた少女が姿を見せた。
「……お、お邪魔致します」
「…………」
何故か、
「あの、何していらっしゃるので? 姫さん……」
「えっと、その……裸の、付き合い? というものを……」
「ちょっと待て、お前にそれを教えた輩について、詳しく……」
「えっとえっと、その……乙女の秘密? と、言えと……」
「くっそ……。当てはまる
眉間にシワを寄せながら、灰夢は頭を抱えていた。
「ワタクシ、お邪魔だったでしょうか?」
「いや、邪魔とか以前の問題だろ」
「申し訳ありません。ワタクシ、作法がわからず……」
ミーアが顔を赤く染め、ペコペコと頭を下げる。
「ミーアのせいじゃねぇのは分かってるから、別に気にすんな」
「一度、出直した方がよろしいでしょうか?」
「出直すっつぅか、出来れば来ない選択肢が欲しいんだが……」
「ですが、それでは裸の付き合いが……」
「お前、その意味を理解して言ってんのか?」
「そうですね。まだ、そこまでしっかりとは……はっ、まさかっ!?」
「……ん?」
何かを閃いたかのように、ミーアは自分のタオルに手をかけると、
顔を真っ赤に染め、ビクビクと震えながら、自らの手で外し始めた。
「こ、ここここ……この、タオルまで取るのが……さささ、作法……でしょうか?」
「待て待て待てっ! それは違う、その
灰夢が慌ててミーアの手を押え、十八禁になるのを防ぐ。
「わ、分かりました……」
「はぁ……。頼むから、勘弁してくれ……」
モジモジとしながら、じーっと顔を見つめるミーアに、
灰夢は何かを諦めたような様子で、クイクイッと手招いた。
「分かったから、入るなら入れ……」
「……よろしいのですか?」
「よろしくはねぇが、風邪を引かれても困る」
「ふふっ……。お兄さまは、お優しいですね。では、お言葉に甘えて……」
そういって、ミーアが湯船に入り、灰夢の横にそっと座る。
「ミーアが来て、もう一週間くらいか」
「そうですね。時が過ぎるのはあっという間です」
「ここの生活も、少しは慣れたか?」
「はい。皆様、分け隔てなく接してくださって、とても安心致します」
「そうか、そりゃよかった……」
夜空に浮かぶ星々が、一面に広がる水面に反射し、
二人だけの空間を作り出すように、光が周囲を包む。
「王族という身分を捨てたワタクシを、こんなに暖かく迎えてくださるなんて……」
「ここには人に嫌われて、色んなものを捨ててきた奴がいるからな」
「そうですね。一般的な方からすれば、そうなのかもしれません」
「でも、みんな悪いやつじゃなかっただろ?」
「はいっ! それはもう、とても毎日が楽しいですっ!」
「そう思えるなら、お前をここに連れてきて正解だったな」
「えへへっ……。お兄さまのお陰で、ワタクシは、今、とても幸せです」
「……そうか」
「──はいっ!」
嬉しそうに微笑むミーアの顔を見て、灰夢も自然と笑っていた。
「初めて外に出て、怖いこともやっぱり多いか?」
「そうですね。ドキドキすることは少なくないです」
「まぁ、未知に触れるってのは、誰だってそうなるよな」
「ですが、そういう時は皆様が、口を揃えておっしゃるんです」
「……なんて?」
灰夢の言葉に、ミーアが微笑みながらそっと答える。
『 困った時は、お兄さまが必ず助けてくれるから── 』
「──と」
「……期待値が高すぎんだろ」
「……そうでしょうか?」
灰夢を見つめるミーアは、安堵に満ちた表情をしていた。
「俺はお前らが思うほど、大した男じゃねぇよ」
「そんなことはありませんよ。ワタクシのことも、助けてくださいましたし……」
「たまたまだ。俺はただ、聖剣を探してただけだしな」
「それでも、一国の姫を連れ出すなど、普通の方には出来ませんよ?」
「…………」
核心を突く一言に、灰夢が言葉を失う。
「ですから、今のワタクシも、安心してここに居られるのです」
「……そうか」
「それにクラーラとも、毎日気兼ねなく会えますからね」
「まぁ、二人が笑えてるなら何よりだな」
「ふふっ、本当にありがとうございます。お兄さま……」
「あぁ、どういたしましてだ……」
二人は小さく笑みを交わすと、夜空の月を見上げていた。
「ティオお兄さまは、お元気でしょうか」
「最後、やっぱり会っとけばよかったか?」
「いえ……。ちゃんと、お別れは言えましたので……」
「……そうか」
少し寂しそうな表情をしながら、ミーアが湯船の水を手にすくう。
「ティオボルドに今の光景を見られたら、俺は確実に首が飛ぶな」
「……な、何故ですか?」
「自分の愛する妹が、男と風呂はいってんだぞ? ……処刑物だろ」
「……そ、そうですね」
「死なない俺が、ひたすら体をバラされるイメージが目に浮かぶ」
「で、では……。えっと、ティオお兄さまには……その、内密で……」
顔を赤くしながら、ミーアは湯船に顔を半分沈めた。
「なぁ、ミーア……」
「……はい? 何でしょうか、お兄さま……」
「国が落ち着いたら、もう一度ティオボルドに逢いに行くか?」
「……ティオお兄さまにですか?」
「会いたくないならあれだが、お前が行きたいならな」
「…………」
ミーアが水面に映る自分を見つめながら、静かに考え込む。
「もし、もう一度会えるのなら……。ワタクシの今を、お伝えしたいです……」
「……そうか」
「はい。ティオお兄さまに、安心していただく為に……」
「なら、それまでティオボルドには、頑張ってもらわねぇとな」
「……はい」
静かに言葉を交わしながら、二人は再び星空を見上げた。
「 どれだけ遠くに離れても、同じ空の下を歩んでるって、
そして、今はちゃんと光を浴びて生きてるんだって…… 」
「 いつか、ティオボルドに伝えに行こう 」
「 ……はい、お兄さま 」
満天の星空を見上げる灰夢に、そっとミーアが体を傾け、
灰夢に体を預けるようにしながら、夜空を見上げていた。
大きな月の輝く夜空の下で、露天風呂に浸かりながら、
宝石のように輝く、満天の星空を見つめる灰夢とミーア。
そんな穏やかな、二人だけの一時を過ごしていると、
不意に灰夢の体を見たミーアが、静かに体を起こした。
「あの、お兄さま……」
「……ん?」
「一つ、お願いをしてもよろしいでしょうか?」
「……な、なんだ?」
「す、少しだけ……。お、お体に触れても……よろしい、でしょうか?」
「……は?」
頬を赤く染めながら、ミーアはマジマジと灰夢の体を見つめる。
「……触るって、何をする気だ?」
「いえ、特別何かする訳では……。ただ、触れるだけなので……」
「まぁ、別に構わねぇが……」
「…………」
「…………」
「……し、失礼致しますね」
「……お、おう」
ミーアはゆっくり近づいてくると、灰夢の体をペタペタと触りだした。
「これが、お兄さまの……。殿方の、お体なのですね……」
「ま、まぁ……。そう、だな……」
「ワタクシ、初めて体験致しました……」
「なんか、今、その言い方は宜しくねぇ気がすんぞ」
何かを確かめるように、ミーアが何度も肌に触れる。
「不死の呪いとは思えない程、違和感がありませんね」
「まぁ、何もしなければ普通の人間だからな」
「普通の、人間……」
まるで、新しいものに興味を示す無邪気な子供のように、
ミーアは顔を近づけると、灰夢の心臓の音を確かめていた。
( これ、マジでティオボルドに殺される気がするんだが…… )
そして、顔をそっと離したミーアが、ボソッと安心したように呟く。
「本当に、何事もなさそうですね」
「……ん?」
「ワタクシを庇って、お腹を貫かれていらっしゃったので……」
「あぁ、あのゴーストが聖剣でぶっ刺した傷か」
「本当に……。本当に、ご無事でよかったです……」
そう告げるミーアの頬には、薄らと涙が流れていた。
その涙を優しく拭いながら、灰夢が小さく笑って見せる。
「 ミーア。俺は何があっても、絶対に死なねぇよ。
俺は神でも殺せない、不死身のバケモノだからな 」
その言葉を聞いたミーアには、静かに笑みがこぼれていた。
「ふふっ、さすがはお兄さまです」
「これぐらいじゃなきゃ、真の怪盗は務まらねぇさ」
「ワタクシが困った時は、また暗闇から連れ出してくださいね」
「あぁ、何度でも助けてやるよ。……死ぬ気でな」
「ふふっ……。頼りにしておりますよ、お兄さま……」
ミーアの頭を優しく撫で、灰夢が再び夜空を見上げる。
すると、ミーアが何かを思い出すように、ふと声を上げた。
「あっ、そうでした。お兄さま……」
「……ん?」
「先程、とある方に、こちらを頂きまして……」
そういって、ミーアがどこからともなく
「おい、ミーア……。それ、どこから出てきた? さっきまでなかったろ」
「直前まで隠しておくものだと、蒼月さまが……」
「あの、クソ悪魔め……。後で、本気で消し炭にしてやる」
灰夢が殺意を全開にしながら、全力で拳を握りしめる。
「こちらで、ワタクシとゲームをしていただけませんか?」
「……お前、それ意味わかってんのか?」
「まぁ、一応……。先程お食事の際、お兄さまが他の方と
「いや、俺もやりたくてやってたんじゃねぇだが……」
ミーアはポッ〇ーを見つめたまま、しばらく固まっていた。
「これが、この国の風習なのでしたら、ワタクシも……」
「いや、待て……。違うんだ、それは風習ではなくてだな」
ミーアが箱で顔半分を隠しながら、灰夢をじーっと見つめる。
「ワタクシでは、お相手は勤まらないでしょうか?」
「いや、そうじゃなくてよ。そういうのは、やる相手が違ぇって話でな」
「ワタクシの知らない世界があるのなら、体験してみたいのです」
「好奇心が旺盛過ぎるだろ。唇は安売りするもんじゃねぇぞ、お姫さま……」
「──や、安売りは致しませんよっ! これは、その……。お兄さま、だけです……」
その一言と同時に、二人を夜風と沈黙が包み込んだ。
「…………」
「…………」
( あ〜、ダメだ……。誰か、この危機を脱する方法を教えてくれ…… )
何かに助けを乞うように、灰夢が口を開けたまま夜空を見上げる。
「……ダメ、でしょうか?」
「風呂でミーアとキスなんかしてみろ。ティオボルドに何されると思う?」
「では、その……。二人だけの秘密、ということで……」
「そのワードは、既に禁句ワードに認定されててだな」
「…………」
ミーアはポッキ〇を握りしめたまま、じーっと固まっていた。
「実はワタクシ、ここに来るのにも、とても勇気を出したのです」
「まぁ、普通に犯罪だからな。男湯への侵入は……」
「なので、ここまできたら、いっそ行けるところまで……」
「おい、言い方と発想が罪人のそれになってんぞ。姫さん……」
「よろしければ、お兄さまもご一緒に、罪を背負って頂けませんか?」
「お前、何でもそう言えば、許してくれるとか思ってないか?」
「……き、気のせいですよ」
灰夢の放つ冷たい視線に、ミーアがアワアワと視線を逸らす。
「俺の理性が壊れたら、どうする気だ? お前……」
「ワタクシは、お兄さまになら何をされても構いませんよ?」
「意味を分かって言ってんのか? それ……」
「さぁ、どうでしょうか? ふふっ……」
「はぁ……」
ミーアはポ〇キーの箱を開け、袋の中から一本取り出すと、
それっぽいことをゴニョゴニョいいながら、口に咥えだした。
「 遠く離れた異国の地で、揺れる水面に照らされながら、
ワタクシの初めての口付けを、どうか奪ってくださいませ 」
「 愛しの怪盗、ファントムさま── 」
「 ……無駄にハードル高めるの、辞めてくんね? 」
灰夢のツッコミをスルーしながら、ミーアが静かに瞳を閉じる。
「はぁ……。本当に、どうなっても知らねぇからな」
「はい、お兄さま……」
灰夢はそっと、細いミーアの体を掴むと、
ゆっくり顔を近づけて、ポッキーを咥えた。
長風呂のせいか、行為故の恥ずかしさの為か、
ミーアの顔は、可愛いくらいに赤く染ってる。
それを気に止めることなく、灰夢は食べ進め、
ゆっくりと、ミーアの口元へと迫って行った。
( お兄さまが、こんなに近くに…… )
心臓の鼓動が高鳴るにつれて、ミーアの中で、
まだ見ぬ未来の妄想が、瞬く間に拡がっていく。
そして、あと少しまで迫った、その時だった──
「 も、もも……も、申し訳ありませんっ! 」
「 ──ぐふっ! 」
感極まったミーアが、灰夢の身体を突き飛ばし、
灰夢は、ポ〇キー以外のものまで色々と折れた。
露天風呂の柵を貫くように、仰向けで倒れる灰夢を見て、
パニックになっていたミーアが、ハッと冷静さを取り戻す。
「──あっ! ……お、お兄さまっ!」
「痛ってぇ、死ぬかと思った……」
「申し訳ありませんっ!
「あ、あぁ……。大丈夫だから……。すぐ治っから、ちと待ってくれ……」
「本当に、申し訳ありません……」
ボロボロの体になった灰夢を、そっと湯船に戻し、
ミーアが横で支えるように、灰夢の体を抱いていた。
「えっと……。体験してみた感想は、いかがでしょうか? 姫さんよ……」
「なんでしょうか。ワタクシの竜の鼓動が、凄い高鳴りを見せております」
「そ、そう……。そりゃ、効果絶大だな……」
「……そうなのですか?」
「あぁ、それを楽しむための行為だからな。あれは……」
「なるほど。……では、成功なのですね」
( まぁ……。もう、そういうことにしておこう )
考えることを辞めた灰夢が、呆れた顔で空を見上げる。
「でも、あと少しで……」
「……ん?」
「いえ、その……。えへへっ……」
「なんだよ、その笑顔は……」
「なんでもありません、お気になさらないでください」
「そう、ならいいんだが……」
灰夢が湯船に浸かりながら、一人、静かに目を瞑る。
「……お体、大丈夫ですか?」
「あぁ、もう治った。大丈夫だ……」
「そうですか、安心致しました……」
安堵したように、ミーアはホッと一息吐くと、
灰夢の耳元に顔を寄せ、ボソッと小さく呟いた。
「 今日は、ここまでにしておきますね 」
そう告げたミーアが、灰夢の頬に優しくキスをする。
「──ミ、ミーアッ!?」
「えへへっ……。裸の付き合い、とても楽しかったです」
灰夢が慌てて振り返ると、ミーアは顔を赤くしながらも、
誤魔化すように微笑みながら、両手で口元を隠していた。
「次に来る時は、押し飛ばしてしまわぬように頑張りますね」
「…………」
満足した様子のミーアは、灰夢に満面の笑みを見せると、
何事も無かったかのように、颯爽と露天風呂を出ていく。
そのまま風呂場に残され、固まったままの灰夢の瞳には、
最後のミーアの満面の笑みが、色濃く目に焼き付いていた。
( ……待て、また来る気か? あいつ…… )
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