第陸話 【 親の役目 】

 灰夢たちといた応援席から、一人外れた梟月は、

 高校をでて、少し離れた所にある公園に来ていた。





 ベンチに座る歩美の父親に、梟月が歩み寄る。


「……隣、よろしいですか?」

「……あ?」


 歩美の父親は、イライラした様子で梟月を見上げていた。


「なんだ、あんた……」

「とある隠れた喫茶店の、マスターをしている者です」

「……マスター?」

「……はい」


「…………」

「…………」

「……ふっ、好きにしろ」

「……ありがとうございます」


 不貞腐れる父親の隣に、梟月がゆっくりと腰を下ろす。


「これ、よければどうぞ……」

「……珈琲?」

「はい。このメーカー、美味しいんですよ」

「……そうか」


 歩美の父親は珈琲を受け取ると、それを静かに見つめていた。


「あんた、何しに来たんだ……」

「少し、風に当たりたくなりましてね。人混みは疲れますから……」

「あんたも、あの高校に子供がいるのか?」

「おりますよ。何よりも大切な娘たちが……」

「……そうか」


 梟月の言葉を聞いて、歩美の父親は珈琲を開ける。


「……何か言いに来たのか?」

「いえ、他所の家の家庭事情に、口を挟む気はありません」

「……なら、何しにここまで来た?」

「こんな祭りの日に、一人は寂しいじゃないですか」

「…………」


 そう梟月が答えると、歩美の父親は黙り込んでいた。


「あなたの娘さん、凄くかっこよかったですね」

「ふん。あんなの、何の役にもたたん……」

「……そうですかね」

「……何が言いたい?」

「一緒に走っていた子は、『 楽しかった 』と言ってましたよ」

「……楽しかった?」

「はい。『 運動が苦手な自分でも、初めて走るのが楽しいと思った 』と……」

「…………」


 歩美の父親が無言のまま、缶珈琲を静かに見つめる。


「あんたの娘は、何か夢でもあるのか?」

「いえ、まだそういう話は聞きませんね」

「あんたは、喫茶店のマスターなんだろ?」

「……はい」

「だったら、その店を継がせようとは思わないのか?」

「……本人次第ですね」

「…………」

「あの子がやりたくないのなら、そうさせるべきでは無いでしょう」


「…………」

「…………」


「なら、限りなく低い可能性の夢を追うと言ったら、どうする?」


「…………」

「…………」


「そしたら、わたしのやることは決まってます」

「……?」



























      「 ──あの子の帰りを待つ。ただ、それだけです 」



























 梟月の迷いの無い言葉に、歩美の父親は目を見開いた。


「あんたは、怖くはないのか?」

「はい、怖くないです」

「何故、そんなに迷わずに言える」

「そんなもの、娘を見ていれば迷いませんよ」

「失敗して、挫折するかもしれないんだぞ?」

「失敗なんて、挑戦には付き物です」


「あんたは、娘が大切なんだろ?」

「はい。わたしの大切な、何よりの【 宝物 】です」

「なら、そんな辛い思い、させたいなんて思わないじゃないか」

「まぁ、そう思うところも無くはないですが……」

「それを導いてやるのが、親の役目だろ?」

「……どうでしょうね」

「…………」

「人にもよると思いますが、わたしは少し違う考えです」

「なら、あんたは一体何を思って、娘の帰りを待つんだ?」


 そんな父親の疑問に、梟月が小さな笑みを浮かべる。



























       「 わたしはただ、娘を信じているだけですよ 」



























        梟月は珈琲を飲むと、空を見上げて語り出した。



























「確かに、可能性が限りなく低いなら、挫折するかもしれない。

 でも、その経験はいつか必ず、本人が生きていく為の糧になる。


 諦めない信念、一歩を踏み出す勇気、努力する心得、前を見続ける強さ。

 そして何より、努力する辛さと苦しみを、分かってあげられる人になる。


 何の努力も知らないで、ただ平凡に生きてきた人間よりは、

 努力を知っている人生の方が、必ず立派な人間に育ってくれます。


 その選択のせいで挫折をして、一度は落ち込むかもしれない。

 時には後悔して、涙を流して、辛い思いをするかもしれない。


 でも人は、落ち込み、苦しみ、涙を流した数だけ、心が強くなる。

 だから、わたしは成長をしていく娘たちを、影から見守るんです。


 あの子がやりたいのなら、どんなことでも全力で応援します。

 あの子がやりたくないのなら、学校すら行かなくてもいいと思います。


 彼女が自分なりに考えて、その上で出した答えなのだとしたら、

 世界中の人間が否定しても、わたしだけは味方でいるつもりです。


 青春という儚い瞬間の中で、彼女が笑って居られるなら、

 そんな純粋な彼女たちの笑顔を、わたしは守ってあげたい。


 彼女たちが心に秘めている、無限に等しい【 可能性 】を、

 誰よりも信じてあげなくては、わたしは親として胸を張れない。


 時には、わたし自身の身が締まる思いになることもありますが、

 しかし、それを一緒に分かちあってこそ、私たちは親子なんです。


 彼女たちが自分の人生を笑っていられるのなら、何も要らない。

 わたしは、たったそれだけで、何もかもが大丈夫だと思えます」



























 『 彼女たちの人生を応援し、挫折した時にこそ優しく傍で寄り添う。


      それこそが、【 親 】の果たすべき役目ではないでしょうか? 』



























 梟月のブレない言葉に、歩美の父親は涙を流していた。


「わたしは、あの道で挫折したんだ……」

「……そうですか」

「あの辛さを、娘には味合わせたくないんだ……」

「…………」

「もう、大切な家族の辛い顔を、見たくない……」


「…………」

「…………」


「……お父さん」

「……?」

「あなたの娘さんの憧れは、誰だと思いますか?」

「……憧れ?」

「何を見て、何を追って、あんなに笑顔で走ってると思いますか?」

「…………」

「あの子が走っている時の顔を、もう一度よく見てください」



























     『 過去の自分でも、未来のあの子でもなく、


           を、ちゃんと見てあげてください 』



























  『 同じ苦しく険しい道を、過去に生きてきたあなたなら、


         その辛さも喜びも、分かってあげられるはずですから 』



























             「 ……マスターさん 」



























   『 娘と共に笑って、泣いて、必要な時には寄り添って。


         彼女たちが自ら巣立つまで、役目を全うしましょう 』



























    『 何よりも尊き娘たちが、今を笑って過ごせるように── 』



























               「 ……はい 」



























   梟月がハンカチを渡すと、歩美の父親は無言で手に取り、


         歩美の父親が泣き止むまで、梟月は動かず隣に座っていた。



























 会場では、一年生の借り物競争が始まり、

 次の走者には、選手の氷麗が並んでいた。


「うふふっ……。氷麗ちゃ〜んっ! 頑張れ〜っ!」

「氷麗ちゃん、ファイト〜っ!」

「ふぁいとぉ〜っ!」


 レーンに並ぶ氷麗に、霊凪、桜夢、白愛の三人が声援を送る。


「恋白……。これには、香織も出るんだっけか?」

「はい、氷麗さまと言ノ葉さま。そして、香織さまですね」

「こういうのって、規制が厳しいんだよな」

「……規制?」

「ほら、『 父親 』とか書いて、親父がいなかったら辛いだろ?」

「あぁ、なるほど……。確かに、そうですね……」

「まぁ、だからこそ、変なものは出てこねぇだろうがな」

「そう思うと、少し残念な気もしますね」


 すると、何かに気がついた桜夢が、灰夢の方に振り向いた。


「ねぇ、狼さん……」

「……あ?」

「氷麗ちゃんのレーンだけ、お題箱が変わったよ?」

「……は? マジだ。なんだ、あの無駄にゴージャスな箱……」


 スターターピストルの合図と同時に、氷麗が走り出す。


「おっ、始まった……。あいつ、足遅ぇなぁ……」

「あぁ、抜かれてしまってますね」

「まぁ、お題を見つけるスピードが肝心だな」


 お題箱から紙を取り出した氷麗が、観客席に方向を変える。


「狼さん、氷麗ちゃんがこっちに来てるよ?」

「……あ?」

「あらあら、凄いスピードで来たわね」

「おい。初めっから、そのスピード出せよ」


 氷麗は見たことないスピードで、観客席まで走ってきた。


「はぁ、はぁ、はぁ……。お兄さん、来てくださいっ!」

「……は?」

「……ほら、これっ!」



























            【  お題 : 従者  】



























「──どう考えても悪意だろッ!!!」


 お題の書かれた髪を見た灰夢が、氷麗にしかめっ面を向ける。


「あの箱、氷麗ちゃん専用なんだね」

「うふふ、運営さんもよく考えてるわね」

「行ってらっしゃいませ、主さま……」

「あるじぃ〜っ! ご〜っ!」


 疑問を抱かない家族に、灰夢は呆れた視線を送っていた。


「はぁ……。だから、この学校嫌いなんだよ」

「では……はぁ、行きましょう……はぁ、はぁ……」

「お前、もうヘトヘトじゃねぇか」

「来るのに、全力疾走……しちゃい、ました……」

「ほら、急がねぇと抜かれんぞ」


 ゴールに向かって歩き出す灰夢に向かって、氷麗が両手を広げる。


「お、お兄さん……。あの、お姫様抱っこ……して、ください……」

「……は?」

「従者ですから、従者と姫らしいゴールじゃないと認められないんですっ!」

「なんだそれ、誰が決めたんだよっ!」

「いいから、ほらっ! 早くしないとっ!」


 呆れ返る灰夢に、氷麗は顔を赤らめながら必死に訴えていた。


「うふふ、行ってらっしゃい。従者さん……」

「霊凪さんまで……」


 霊凪の笑顔を見て、灰夢は何かを諦める。


「はぁ……。ったく、しっかり掴まってろよっ!」

「──ひゃっ! えへへっ、お願いしますっ!」


 灰夢が圧倒的な速度で、レーンに向かっていく。

 それを見て、狼ファンクラブの声援が飛び交う。


「送り狼さまが、白雪姫さまをお姫様抱っこしてるわっ!」

「きゃ〜っ! 素敵〜っ! 私も連れて行って〜っ!」

「いいなぁ〜っ! ウチもされた〜いっ!」

「凄いスピードっ! さすが、送り狼さま〜っ!」


 そんな光景を、応援席の影から白雪姫親衛隊が見守っていた。


「なんで、俺らは呼ばれないんだ……」

「いや、そりゃそうだろ。送り狼がいるんだから……」

「くそ、あんな箱……誰が作ったんだっ!」

「どう考えても、俺らの隊長だろ」


「──隊長っ!?」

「お前ら、よく頭を冷やせ……」

「──なっ!」

「俺たちが一番大切にするべきは何かを、思い出すんだっ!」

「俺らが、一番大切にするべきこと……」



























    『 貴様らは、氷麗さまの幸せを願っていないのかッ!!! 』



























「「「 ──ハッ! 」」」


 親衛隊の部下たちが、リーダーの言葉に目を見開く。


「彼女の幸せを誰よりも願う。それが我ら、白雪姫親衛隊の務めだろッ!!」

「──隊長っ!!」

「羨ましい気持ちは分かる。だが、漢なら、それを受け入れろッ!!!」

「──はいっ! 隊長っ!!」


「隊長、血の涙が溢れ出てますよ」

「この人も、割と本気で堪えてるんだな」


 駆け抜ける氷麗と灰夢の姿を、学生たちも待機所から見ていた。


「氷麗ちゃん、お兄ちゃんを連れてきましたね」

「あははっ! さすがパイセン、バカ速ぇっ!」

「凄い、人を抱えながらあんなスピードで……」

「言ノ葉さんのお兄さんって、凄く足が速いんですね」


「いいなぁ、ウチもしてもらいたいなぁ……」

「不動はお兄さんなんだから……って、え……香織?」

「──へっ!? いや、なんでもないよっ!」


 灰夢は一位でゴールし、それを見た家族が声援を送る。


「うふふ、さすが灰夢くんねっ!」

「主さまなら、向かうところ敵無しでございます」

「狼さんは最強だぁ〜っ!」

「あるじぃ〜っ! さいきょ〜っ!」


 走り終えた灰夢は、氷麗を下ろしてため息をついていた。


「お兄さん、ありがとうございました」

「はぁ……。ったく、勘弁してくれ……」

「そう言いながらも連れてきてくれるところ。私、大好きですよっ!」

「やめろやめろ。また、変な噂が広がるだろ」

「えへへっ……。逆に広げちゃえば、私のモノですっ!」

「あ、ちょ……おいっ!」


 氷麗が公衆の面前で、嬉しそうに灰夢に抱きつく。


「きゃ〜っ! 白雪姫さま、だいた〜んっ!」

「いいなぁ……。私も送り狼さま守られたぁ〜いっ!」

「ズルい〜っ! 私だってされた〜いっ!」


 それを見た親衛隊も、全員で悲しみの涙を流していた。


「あの野郎、俺らの白雪姫さまに好き放題されやがってっ!」

「ちくしょう、羨ましすぎるッ!!!」

「おい、さっきのかっこいい立ち振る舞いはどこいったんだよ。隊長……」

「まぁ、これはもう勝ち目ないだろ」


 心の折れた隊長に、団員たちが白い目を向ける。


「次は言ノ葉ちゃんだね、頑張ってっ!」

「ありがとうです、梅子ちゃん。頑張るのですぅ〜っ!」

「あっ、またあそこだけ箱変わったな」

「なんなんだろう、言ノ葉ちゃんのレーンだね」


 一つだけ現れた葉っぱ模様の箱に、灯里と香織が首を傾げる。

 それを気にすることなく、言ノ葉はレーンに並んで合図を待った。



『 位置について、よーいドンッ!!! 』



 いの一番にお題箱に辿り着いた言ノ葉が、箱の中に手を入れる。


「えっと、お題は……」



























         【  お題 : 大好きなお兄ちゃん  】



























   ……ボフッ! という蒸気を上げ、言ノ葉はそのままフリーズした。



























 その頃、灰夢は観客席に戻ってきていた。


「はぁ、疲れた……」

「お帰りなさいませ、主さま……」

「狼さん、今は言ノ葉ちゃんが走ってるよっ!」

「……言ノ葉?」

「ほら、あそこにいるわよ」

「おや? 言ノ葉さまも、こっちに向かってきましたね」

「……なんだ? 弁当箱とかでも書かれてたか?」


 走ってきた言ノ葉が、ガシッと灰夢の手を掴む。


「お兄ちゃんっ! 一緒に来てくださいっ!」

「……え? 俺、今、戻ってきたんだけど……」

「いいから、早く行くのですぅ〜っ!」


「狼さん、他の人たちがもうレーン走ってるよっ!」

「うふふ、行ってらっしゃい」

「行ってらっしゃいませ、主さま……」


 微塵も止める気の無い家族に、灰夢が再び何かを諦める。


「はぁ、もうなんなんだよっ!!!」

「うわぁっ! 別にお姫様抱っこじゃなくても……」


 灰夢は言ノ葉を抱き抱えると、さっきよりも速くゴールに向かった。


「──やべぇっ! パイセン、さっきより速ぇっ!」

「言ノ葉さんのお兄さんって、陸上の選手?」

「いやぁ、あれは少し違うかなぁ……」

「……ん?」

「まぁ、歩美ちゃんが驚くのも無理はないよね」


 灰夢が圧倒的な速度でレーンを駆け抜け、余裕の一位でゴールする。


「はぁ、なんか色々と疲れた……」

「お、お兄ちゃん……。ありがとう、なのです……」

「おう。そういや、なんて書いてあったんだ?」

「いえ、それは……。内緒、です……」

「……は?」

「…………」


 顔を赤らめた言ノ葉が、気まずそうに目を逸らす。


「まぁいいや。ほら、降りろ……」

「…………」

「……言ノ葉?」

「…………」

「お〜い、言ノ葉さん? 早いところ、降りてくれませんかね?」

「えっと、、あの……。もう少しだけ、このままで……」

「……は?」


 言ノ葉は顔を赤くしたまま、灰夢の服にしがみついていた。

 そんな言ノ葉の姿を、校舎の影から文車葉姫親衛隊が見つめる。


「言ノ葉さまは、喜んでおられるな」

「……団長、よかったのですか?」

「いいんだ。我らが文車葉姫ふぐるまようひが喜ぶなら、これで……」

「団長っ! そんなに震えて、今にも倒れそうになりながら……」

「ぐふっ……」

「目と口から血が出てますよっ! 団長っ!!」


「しかし、あのボックスの中身を自ら作ると言い出すとは……」

「俺たちの目的は、彼女の幸せだ……」

「……団長」

「その為なら、これぐらいのダメージなんて、なんのこれしグファ……」



「「「 ──団長おおぉぉぉっ!!! 」」」



 団長は盛大に口から血を吐くと、そのまま地面に倒れ込んだ。


「団長、やっぱり心にダメージが……」

「いや、見てみろ。この顔をっ!」

「団長、あんた……。こんな、こんな幸せそうな顔で……」

「ウソみたいだろ? 死んでるんだぜ……」

「──いや、まだだッ!!!」



「「「──団長が蘇ったっ!!!」」」



「まだ試合は終わっていない。最後まで、俺らの声援を届けるぞッ!!!」



「「「 ──イエスッ! 言葉に想いを乗せてッ!!! 」」」



 無駄に暑苦しいオーラが、校舎の隅からメラメラと燃え上がる。

 校庭では、待機列で順番を待つ香織に、灯里が声援を送っていた。


「香織、頑張れよっ!」

「……う、うん」

「……どうした?」

「……い、いや? なんでもないよっ!」

「……?」


 レーンに並んだ香織が、走りの構えでスタートの合図を待つ。



『 位置について、よーいドンッ!!! 』



 香織が駆け出し、最速でお題箱へと辿り着くと、

 手を震わせながら、取り出した紙の内容を読んだ。



























            【  お題 : 先生  】



























         ( ……うん。まぁ、そりゃそうだよね )



























    ( ウチも、あの人を呼べるんじゃないかって、


            心のどこかで期待してた、自分が馬鹿だった )


























 その頃、灰夢は自分の観客席に戻ってきていた。


「はぁ、マジで疲れた。精神的に……」

「お疲れ様です、お兄さん……」

「……姫乃先生?」

「どうも、ご無沙汰しております」


 何故か、客席にいる姫乃先生がペコリと頭を下げる。


「さっきそこであったから、少しお話してたのよ」

「なるほど、そういうことか」


「お兄さん、凄くモテモテですね」

「モテモテっつうか、お題箱の製作者に悪意があるんだと思いますけど……」

「あ、あははっ……。まぁ、子供たちは喜んでいるので、いいじゃないですか」

「は、はぁ……」


 すると、灰夢の後ろから、お題を持った香織が走ってきた。


「──あのっ!」

「……え? おい、また俺じゃないよな?」

「いえ……。その、姫乃先生に……」

「……私ですか? どうされました?」

「お題に、『 先生 』って書かれていたので……」

「はぁ、よかった……」

「…………」


 少し残念そうに告げる香織を見て、姫乃先生が小さく微笑む。



























        「 ……お兄さん、行ってあげてください 」



























「……は?」

「……姫乃先生?」


 まさかの先生の言葉に、灰夢と香織が目を丸くする。


「私、さっき足を挫いちゃったので……」

「おい、初耳なんだが……」

「でも、お題は先生って……」

「大丈夫です。お兄さんは言ノ葉ちゃんたちの先生ですから……」

「いや……。そりゃまぁ、家では教えてますけど……」


「というかそれ、審判員が認めてくれますか?」

「審判員の子に『 姫乃が許可しました 』と伝えてください」

「……え?」

「絶対に、大丈夫ですから……」

「は、はぁ……。分かり、ました……」


 疑問を抱きながらも、香織がコクリと頷く。


「……え、マジで行くのか? 今、帰ってきたのに……」

「センパイ、お願いしますっ!」

「はぁ、分かった分かった……」


 灰夢が面倒くさそうに答えながら、渋々歩いてゴールに向かう。

 ……が、何故か、後ろを付いてこない香織に、灰夢が振り返る。


「……どうした?」

「あ、あの……。セ、センパイ……」

「……ん?」

「ウチも、お姫様抱っこ……して欲しい、です……」

「……は?」

「……ダメ、ですか?」

「ダメって、これはそういうルールなのか? 他の走者は別に……」


 じーっと見つめる香織の目を見て、灰夢が言葉を失う。


「うふふ……。頑張って、先輩さん……」

「霊凪さん、からかって楽しんでんだろ」

「あら、なんのことかしら?」


 とぼける霊凪を見て、灰夢が大きくため息をつく。


「はぁ……。ったく、これじゃ俺の障害物競走だな」

「──ひゃっ!」

「落ちねぇように、しっかり掴まってろよッ!!」

「は、はいっ! えへへっ……」


 灰夢は遅れを取り戻すように、更に加速して走って行った。


「……え? 香織もパイセンに抱かれてんじゃん」

「みんな、何のお題を言われたんだろう」

「確かに……。そんなに揃って、言ノ葉ちゃんのお兄さんに行きますかね」


「不動と橘は、何となく分かるけど。香織まで……」

「あっ、また一位でゴールしましたよ」

「まぁ、パイセン速いし、アタシらの点数上がるからいっか!」

「──うんっ!」

「そうだね、えへへっ……」


 ゴールした二人が、審判員にお題の紙を見せる。


「この人は、確か送り狼の……」

「はい、そうです……」

「でも、あなたは先生じゃないですよね?」


「姫乃先生からの伝言だ……」

「……姫乃先生?」

「あぁ……。『 姫乃が許可しました 』と、伝えてくれってよ」

「……ひ、姫乃先生がっ!?」

「おう。なんか、そういえば大丈夫って聞いたんだが……」

「は、はいっ! もちろんです。一位、おめでとうございますっ!」


 慌てた様子の審査員が、一位のフラッグを灰夢に手渡し、

 まるで、何かに怯えるように、その場から走り去って行く。


「いや、あからさまにおかしいだろ」

「なんだか、急に態度が変わりましたね」

「姫乃先生は何者なんだ? あの人、新人の先生なんだろ?」

「さぁ……。あんなに先生に怯える生徒、ウチも初めて見ました」


 急に態度を変えた審判員に、二人は唖然としていた。


「うふふ……。姫乃先生、さすがですね」

「不動さんのお母さん、どうされました?」

「生徒の顔を、良く見ているなと思いまして……」

「いえ、そんな……。恐縮です……」


「でも、大丈夫なんですか? さすがに、あれは無理があるのでは……」

「あっ、大丈夫です。この運営の子たちは、陸上部の部員ですから……」

「なるほど、顧問の先生はさすがですね」

「いえ……。陸上部の子たちが、素直で優しいだけです」

「それもまた、姫乃先生が慕われている証拠ですよ」

「それほどでも……。まぁ、少し無理を言ったのは認めますけどね」

「うふふ。まぁ、これも生徒の思い出の1ページですね」

「ですね、ふふっ……」





 二人の死神は、生徒の話で盛り上がりながら、

 暖かい眼差しで、文化祭の行方を見守っていた。

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