第参話 【 朝練 】

 夜中に暇を持て余した灰夢は、明け方まで、

 部屋の中でケダマと共に、戯れて遊んでいた。





「よし、──おてっ!」

「──んにゃっ!」

「──おかわりっ!」

「──んにゃっ!」

「一周まわってぇ……」

「にゃにゃにゃぁ……」

「──バンッ!」

「──んにゃっ!?」


 銃に撃たれるかのように、ケダマが死んだフリをする。


「すげぇな、犬にも負けねぇ適応能力だ」

「ごしゅじ〜んっ!」

「よしよし、お前も色々覚えていかないとな」

「んにゃ〜、ゴロゴロォ……」


 すると、灰夢の部屋に、コンコンッと二回ノックが響いた。


「……ん? 誰だ?」

「おはようです、お兄ちゃん……」

「言ノ葉か、入っていいぞ……」

「では、お邪魔するのです……」


 言ノ葉は扉を開けて、寝ぼけ眼を擦りながら起きてきた。


「お兄ちゃん、何してたんですか?」

「いや、ケダマに色々と教えてやろうかと……」

「ケダマちゃんまで教育……。さすがなのです、お兄ちゃん……」


 灰夢に甘えるケダマを見て、言ノ葉が小さく微笑む。


「まぁ、こうしてると癒しなのもあるしな」

「アニマルセラピーってやつですかね。人の姿だと、何とも言えませんが……」

「まぁ、いいんじゃね? 俺を呼ぶ時以外は猫っぽいし……」

「そ、そうですね……」


「こいつ、こんなことも出来るんだぞ」

「……え?」

「ケダマ、変化の術だっ!」

「んにゃっ! にゃにゃにゃんっ!」


 灰夢の合図と共に、ケダマがポンッと灰夢の姿に化けた。


「お、おぉ……。凄いです、そっくりなのです……」

「……だろ? 人に化けられるのは、何かと便利な時もあるからな」

「確かに、これでお兄ちゃん不足も解消できそうです」



「……は?」



 灰夢の一言に、言ノ葉が思わず我に返る。


「あっ、いや……。な、なんでもないのですぅ〜っ!」

「いま、すげぇ不穏な一言が聞こえた気がしたんだが……」

「き、気のせいなのです……」

「……そうか」

「はい、えへへっ……」


 言ノ葉は何かを誤魔化すように、にやけ顔を作っていた。


「お前、まだ秋休み中だろ?」

「はい、あと一週間も無いですけどね」

「なんで、今日はこんなに早く起きてきたんだ?」

「えっと、朝練を始めようかと……」

「……朝練?」


「体育祭で、リレーに出るのです」

「あぁ、なるほど。それで……」

「はい。なので、少し外を走ってこようかと思いまして……」

「いい心掛けだな。まぁ、修行もしてるからスタミナはあるだろ」

「そうですね。ちゃんとした走り方を意識するくらいなのです」


 灰夢が腕を組みながら、コクコクッと頷く。


「朝練か。その響きはなんか、部活みたいで青春を感じるな」

「よかったら、お兄ちゃんもどうですか?」

「……俺?」

「本気で走っちゃダメですよ? 人間辞めちゃうので……」

「死術も使ってねぇのに、急に人間を辞めたりはしねぇよ」

「いや、お兄ちゃんは普通に走っても人間じゃないのです」

「……そうか?」

「今回は、その……。一応、ジョギング程度に……」

「そうだなぁ。普段あんまりしねぇから、気分転換にはなるかもな」

「──なら、来てくれますかっ!?」


 言ノ葉が微笑みながら、灰夢にグッと顔を近づける。


「……お、おう」

「や〜ったやった、じゃあじゃあっ! 今から準備してくるのですぅ〜っ!」


 灰夢が引き気味に頷くと、言ノ葉は嬉しそうに部屋を飛び出していった。


「まぁ、薄暗い中に、言ノ葉が一人で行くよりはいいか」

「……んにゃ?」


 灰夢が灰夢に化けたケダマを見つめて、小さく苦笑いをする。

 そんな灰夢を、ケダマはキョトンとした表情で見つめていた。



 ☆☆☆



 言ノ葉の準備が終わると、灰夢は言ノ葉と土手を走っていた。


「お前、氷麗や桜夢は誘わなかったのか?」

「いえ、誘ったんですけど。爆睡してて……」

「あぁ……。まぁ、そりゃそうだよな。あいつらだもんな」

「起こしても起きる気配がなかったので、わたしも諦めました」

「仕方ねぇな。人の力では、変えられないものもある」


 灰夢が冷めた目をしながら、まだ少し暗い空を見上げる。


「でも、代わりにお兄ちゃんが来てくれたのですっ!」

「たまにやるにはいいな、こういうのも……」

「ですよねっ! わたしも凄く楽しいのですぅ〜っ!」


 そんなことを言いながら、二人は仲良くジョギングをしていた。

 すると、不意に灰夢が、近くの木の上から聞こえる声に気がつく。


「もう少しだから、待っててくださいね」

「……ん?」


 灰夢が声の方を振り向くと、猫を助けようとしている少女が居た。


「……お兄ちゃん?」


 灰夢に釣られるように、言ノ葉も木の上の猫と少女を発見する。


「あわわ、猫さんが降りられなくなってるんですね」

「猫もだが。あの子、よくあんな所まで登ったな」

「そうですね、凄い運動神経なのです……」


「にゃ〜ん、にゃ……」

「よっ、ほいっ……ふぅ、もう大丈夫ですよぉ……」

「んにゃ〜……」

「あっ、助けられたみたいですね」



( 随分と動きが軽やかだな、あの娘…… )



「まぁ、大丈夫そうだな。いくか……」

「そうですね、行きましょう……」


 二人は救助されたことを確認すると、ジョギングを再開した。



 ☆☆☆



 再び一周して戻ってくると、灰夢がさっきの木を確認する。


「何してんだ? あれ……」

「……え?」


 言ノ葉も釣られて木を見ると、まだ少女は猫と木の上にいた。


「ど、どどどどうしよう……」

「……にゃ、にゃ〜ん?」


 まるで、少女も怯えるように、木の上で丸くなる。


「あの、お兄ちゃん……」

「……ん?」

「猫を助ける為に登ったのに、降りられなくなることってありますか?」

「さすがにそれはねぇだろ。そんなやつは、まず登らねぇだろうしな」

「ですよね、さすが考えすぎですよね」

「あぁ、きっと大丈夫だ……」

「ですね、行きましょうか……」


 そういうと、二人は深く気にすることなく、ジョギングを再開した。



 ☆☆☆



 二人が再び戻ってくると、まだ少女は木の上でうずくまっていた。


「あの、お兄ちゃん……」

「はぁ、分かったよ……」


 灰夢が木の下へと向かい、上でうずくまる少女に呼びかける。


「おい、嬢ちゃん。……何してんだ?」

「──ふぇ!? あ、あの。えっと……」

「……お前、降りられないのか?」

「そ、そそそそ、そんなことないですよ? 全然余裕です……」


「あっ、そう……。まぁ、違うならいいや……」

「あぁっ! ちょ、ちょっと待ってくださいっ!」

「……ん?」

「あ、あの……」

「…………」

「た、助けて……ほしい、です……」

「はぁ……」


「お兄ちゃん、行けますか?」

「あぁ、少しここで待ってろ」

「はい、分かったのです……」


 灰夢は忍者のように軽々と木を登ると、

 あっという間に少女の所まで辿り着いた。


「お、お兄さん。凄い運動神経ですね」

「いや、さっき嬢ちゃんも似たような動きしてただろ」

「あっ、み……見られてたん、ですね……」

「まぁな。だから、余計なお世話かと思ったんだが……」

「そ、その……ワタシ、実は……こ、高所恐怖症で……」

「いや、なんで登ったんだよ」

「助けなきゃって、それしか考えてなくて……」


 猫を抱きしめる少女を、灰夢がまじまじと見つめる。


「……はぁ、まぁいいか」

「……ひゃっ!?」

「猫、離すなよ……」

「……え? あ、はい。ひ、ひゃあああぁぁぁぁあああっ!!」


 灰夢は猫ごと少女を持ち上げると、スッと下まで飛び降りた。


「し、死ぬかと思った……」

「死なねぇよ、ほら……」

「あ、ありがとうございます……」


 地面に着いた灰夢が、ゆっくりと少女を地面に下ろす。

 そして、少女も抱えていた猫を、そっと地面に下ろした。


「あんなところ、もう登っちゃダメだよ?」

「……にゃ〜んっ!」

「いや、それ……お前もだからな?」


 猫が少女に一声鳴きして、茂みの中へと消えていく。


「すいません、お手数お掛けしてしまって……」

「いや、別にいい。もっと早く声かけりゃよかったな」

「いえ、そんな……。本当に助かりました、ありがとうございます」


「気にすんな。そんじゃ、俺らはジョギングに戻るから……」

「次は、気をつけてくださいね」

「はい、ありがとうございますっ!」


 二人は少女に言葉を残すと、そのままジョギングに戻った。



 ☆☆☆



 次の日、再び二人は朝のジョギングをしていた。


「やっぱり朝に誘うには、お兄ちゃんが一番ですねっ!」

「まぁ、俺は寝ないからな」

「昨日みたいな子は、もういないですかね」

「さすがにあんなバカが、そう何度も……」


「ど、どどど、どうしよう……」

「……にゃ〜ん?」


「…………」

「…………」


 木の上で踞る少女に、灰夢と言ノ葉が冷たい視線を送る。


「なぁ、言ノ葉……」

「お兄ちゃん、何も言わないであげてください」

「……はぁ、そんなことあるか?」

「何を言おうとも、目の前のこれが現実なのです……」


 灰夢は木の下から見上げると、踞る少女に声をかけた。


「おい、嬢ちゃん……」

「──ふぇっ!? あっ、昨日の……」

「……お前、少しは学べよ」

「いや、その……。すいません、つい……」

「はぁ……」


 灰夢は再び木を登り、少女を抱えて飛び降りる。


「あんなところ、もう登っちゃダメだよ?」

「……にゃ〜んっ!」

「だから、お前もだっつぅの……」


 昨日とは違う猫が、少女に別れを告げて去っていった。


「すいません、お手数お掛けしてしまって……」

「まぁ、無事ならいいんだけどよ」

「次は、降りれないところに登らないようします」

「常に俺らがいるとは限らねぇから、マジで登るなよ?」

「はい、すいません。すいません……」

「いや、分かったんならいいんだが……」


 少女が申し訳なさそうに、何度も二人に頭を下げる。


「では、わたしたちは戻りますね」

「んじゃな、次は気をつけろよ」

「はい、ありがとうございましたっ!」


 二人は少女に別れを告げると、再びジョギングを始めた。



 ☆☆☆



 次の日、また二人は朝のジョギングをしていた。


「……き、今日はいねぇよな」

「だと思います。さすがに、三回連続はちょっと……」


 二人が恐る恐る、少女の蹲っていた木の上を探す。

 だが、どの角度から見ても、少女の姿はなかった。


「まぁ、そう何度も、猫があの木に登ることもねぇか」

「そうですね。あんなのが何回もあったら、さすがに……」


「ど、どどどど、どうしよう……」

「……にゃ〜ん?」


「…………」

「…………」


 二人が無言になり、何となく声の聞こえた川の方を見ると、

 中洲の上で身動きが取れないまま、固まっている少女が居た。


「あれは、どういう状況だと思う? 言ノ葉……」

「助けに行ったけど、泳げないとかじゃないでしょうか?」

「そんなことあるか? まず第一に、どうやってあそこに行ったんだよ」

「さぁ……。たぶん、わたしたちには分からないのです……」


 灰夢が影に潜り、静かに少女の後ろから這い上がる。


「おい、嬢ちゃん……」

「──ふぇあっ!? お、お兄さんっ!? いつからそこに……」

「そんなことより、こんな所で何してんだ?」

「いえ、その……あの、えっと……」

「…………」

「も、戻れなくなっちゃって……」

「…………」

「違うんですっ! 本当に、その……」

「…………」

「いえ、ごめんなさい。考えが浅はかでした……」


 少女は何かを諦めると、申し訳なさそうに俯いた。


「はぁ……。まぁ、溺れてなかっただけいいか」

「……え?」


 灰夢は羽織を脱ぎ、濡れている少女に優しくかける。


「こ、これは……」

「目のやり場に困る、それ羽織っとけ……」

「……ハッ!? ちょ……えっちですよ、お兄さんっ!」

「なら、こんな所で、ずぶ濡れでつっ立ってんじゃねぇよ」


 そういうと、灰夢は川の前に立ち、少女に手を伸ばした。


「ほら、行くぞ……」

「で、でも……ワタシ、泳げなくて……」

「お前、どうやってここに来たんだよ」

「行きはがむしゃらに突っ切って来たんですけど。帰りは、この子もいるので……」

「その勢いだけでよくやるなぁ、お前……」

「……ご、ごめんなさい」

「まぁ、今なら人がいねぇからいいか」


 灰夢が周りを確認し、少女をお姫様抱っこで抱き抱える。


「……え? ──ちょ、ふぇっ!?」

「猫、落とさねぇようにしとけよ」

「……は、はいっ!」


 少女が猫を抱いたのを確認すると、灰夢は勢いをつけ、

 所々にある小さな足場を伝い、土手まで素早く飛び渡った。


「っし、ほら……」

「お、お兄さん、凄いですね。まるで、忍者みたい……」

「木登りしてたお前も、大したもんだったけどな」

「いえ、そんな……。えへへっ……」


 戻ってきた二人を、待っていた言ノ葉が出迎える。


「あの、お怪我は無いですか?」

「あっ、はい……大丈夫です。ほら、お母さんの元へおかえり……」

「……にゃ〜んっ!」


 少女が猫を離すと、猫は茂みの中へと帰っていった。


「よくもまぁ、こんなに毎朝困った猫が目に入るな」

「声が聞こえちゃって。気がついたら、居てもたってもいられなくて……」

「はぁ、面倒事にはならねぇように気をつけろよ?」

「はい。何度も助けていただいて、ありがとうございます」

「まぁ、それは別にいいけどよ」


 頭を下げる少女を見て、言ノ葉が不意に問いかける。


「あなたは毎朝、ここで何してるんですか?」

「修行ですっ! お仕事に、少しでも役に立てるように……」

「嬢ちゃん、随分と若そうに見えるが、仕事してんのか?」

「はい。まぁ、ワタシはドジなので、役回りはあまりありませんが……」

「そうか。でもまぁ、その歳で大したもんだ……」

「ありがとうございます、そう言っていただけると嬉しいです」


 灰夢の言葉に、少女は嬉しそうな笑顔を返した。


「世の中、色んな方がいるんですね」

「だな。まぁ、怪我がなさそうならいいか」

「はい、大丈夫です。助けていただいてありがとうございました」

「おう、気にすんな」


「あの、この羽織……」

「別にいい、また会いそうな気がするしな。もし、また会えたら返してくれ」

「あっ、はい。分かりましたっ!」


「では、わたしたちはこれで失礼しますね」

「じゃあな。修行、頑張れよ……」

「はいっ! 本当に、ありがとうございましたっ!」


 少女が灰夢たちを見送り、嬉しそうに羽織をギュッと握る。



( あれ? この羽織、ワタシが前に作ったやつに似てる気が…… )





 それから数日間、台風が街を直撃したことにより、

 秋休みの間に、その少女に出会うことは無かった。

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