第参話 【 火恋 】
夜影が月影の近くに越してきてから、数日後の夜。
子供たちが寝た後に、火恋は外で空を見上げていた。
「……火恋、何してはるんや?」
「……神楽さま? どうして、こんな時間に……」
「あんたがおらんから、探しに来たんや……」
「すいません。少し、外の空気を吸いたくて……」
「……そうかい」
神楽が何かを感じ取るように、火恋の隣に座る。
「……何か、あったんか?」
「いえ……。ふと、考え事をしていただけです」
「……考え事?」
「……はい」
「それは、わてが聞いてもええやつかいな?」
「…………」
少し言葉を詰まらせてから、火恋は口を開いた。
「……神楽さま」
「……なんや?」
「……『 強さ 』とは、なんなのでしょうか?」
空を見上げる火恋の横顔を、神楽が静かに見つめる。
「……灰夢はんか?」
「……はい」
「……そうか」
火恋は小さな炎を作ると、それを見つめて語り出した。
「私が最初に戦った時、あの男は力をほとんど使ってませんでした。
幻影も、蒼い炎も、灰にする死術も、あの男は使ってこなかった。
……それなのに、私はあっさりと負けてしまった。
後から、霊凪さんが、運び屋と話しているのを聞いて知りました。
初めから、私を傷つけないように、ずっと手加減されていたと──
ルミア姉さんを残して、工藤家の息子を追っていた時もそうです。
あの男は、逃げるか避けるばかりで、攻撃をしてきませんでした。
なのに、六人がかりで戦っても、子供一人取り返せなかった。
全員で忌能力を使ってましたが、まるで、遊ばれてるようでした。
そんな男が、黒ノ生花を前にした途端、目付きが変わった。
謎の怪物を作り出し、目に見えない速度で動き、壊滅させた。
他の誰にも頼らず、軍事兵器を持つ大人数を相手に、
あの男はたった一人で、跡形もなく消し去りました。
正直、今までの自分の努力なんか、全て無駄に感じるくらい。
追いつける未来が見えないと思える程に、異次元の強さでした。
あの時の私は、驚きのあまり何も考えられませんでしたが、
宿に帰ってから思い返し、あれが死の間際だったのかと思うと、
今更になって実感したのか、全身の震えが止まりませんでした。
忌能力が無ければ、私は、こんなにも弱いのだと──
大切な妹たちも、私は一人で守ることが出来なかった。
逆に心配をかけて足を引っ張る、無力な姉だと知りました。
──それが、本当に悔しくて仕方ないんです。
今まで十分に努力してきたと、勝手に思い上がっていた。
自分は強いんだと、家族を守れるんだと、思い込んでいた。
私なんて、ルミア姉さんや神楽さま、月影の方々からしたら、
なんの役にも立たないんだということを身をもって知りました。
それから、強さが何かわからなくなってしまった。
ルミア姉さんの強さが、お姉さんを探すためと言うのは聞いてました。
神楽さまの強さも、私たちを守ってくれる為のものだと思っています。
でも、私は家族を想っていても、この程度の強さだった。
何がいけないのか、何が違うのか、それが分からないんです。
ルミア姉さんが『 代わりに働く 』と言った時、何も言えなかった。
私などが働いても、ただ足でまといになるだけだろうと思ってしまった。
でも、あの男は、私たち全員に向かって『 共に背負え 』と言った。
こんな弱い私にも、ルミア姉さんと同じ重さを背負う覚悟を持てと──
ただの嫌がらせでないのは、目を見れば私にも分かりました。
借金返済と言いながらも、ほぼ私たちへの援助だと言うのも──
月影に私たちは必要は無いのに、何故、そんなことをするのか。
何故、あれだけ傷つけた私たちに、あの男は手を伸ばしたのか。
……それが、いくら考えても分からないんです。
ただの同情だけで、手を伸ばせるような命の重さじゃない。
なのに、あの男は最後、私たちの答えを聞いて笑っていました。
まるで、私たちのことを想ってくださる、神楽さまのように──
その運び屋の顔を見てから、何故か、ずっと眠れないんです。
自分が、今、何をしたらいいのか。今の自分に何が必要なのか。
そして──」
「 ……どうすれば、あの背中に追いつけるのか 」
「 そればっかりを、考えてしまって── 」
悔いるように語る火恋の言葉を聞いて、
神楽は火恋の体を、そっと抱きしめた。
「……そうか、そうやったんやな」
「…………」
「やっと、お前も見つけたんやな」
神楽が小さく微笑みながら、火恋の顔を見つめる。
「神楽さま、『 見つけた 』とは……いったい?」
「ルミアの強さは、姉を探す為やない」
「……え?」
「姉を見つけ出した後に、自分の力を認めさせるためや……」
「……認めさせる、為?」
「ルミアはずっと、追いかけてたんや……」
「 自分の憧れた、姉の背中を── 」
自分の心に問いかけるように、火恋が胸に手を当てる。
「憧れた、背中……」
「……そうや」
「……では、神楽さまの強さは?」
「わても、昔、一人の男に追いつきたくてなぁ……」
「……一人の、男?」
「忌能力もない人間のくせに、わてより強い男がおったんや」
「──い、忌能力無しでですか!?」
まさかの言葉に、火恋が目を見開く。
「その男は、灰夢はんと同じ死術を使っとった。ただの人の身でな」
「でも、あれ人の身で使ったら死ぬって……」
「その男の傍には、常に一人の女がおってな。そやつが忌能力者だったんや」
「つまり、男の傷を回復させる役目を、その女性が担っていたと?」
「そうや。わてみたいなバケモノの為に、あやつは死ぬ気で戦ってくれはった」
そう語る神楽は、どこか悲しげな表情をしていた。
「……そんな人間も、いるんですね」
「その男に認めて欲しくて、わては必死に頑張ってたんやわ」
「神楽さまにも、そんな過去が……」
「今ある力は、その時の名残を家族の為に使うとるだけやさかい」
微笑みながら告げる神楽の瞳を、火恋が真剣に見つめる。
「……その男は、今は?」
「…………」
「……そう、ですか」
静かに首を振る神楽を見て、火恋は追求をやめた。
「それが、今、この時代に残された、わての強さの秘訣なんや」
「強さの、秘訣……」
「……火恋も、見つけたんやろ?」
「……何をですか?」
「 認めてもらいたい、相手をや…… 」
子を見守る母の瞳で、神楽が静かに火恋を見つめる。
「……認めてもらいたい、相手?」
「『 あの背中に追いつきたい 』、そう思える相手が見つかったんやろ?」
「ですが、私なんかが、そんなことを望んでも……」
「でも、灰夢はんのこと考えると、寝れんくなるんやろ?」
「まぁ、それはそうですが……」
「なら、やるべき事は一つやないんか?」
そう問いかける神楽は、真っ直ぐに火恋の瞳を見つめていた。
「……私は、何をしたらいいのでしょうか?」
「それが分からない時は、それが分かる者に聞いたらええ……」
「それは、つまり……」
火恋の言葉に、神楽がゆっくりと頷く。
「 行っといで── 」
「 きっと、探しとるもんが見つかるやさかい 」
「 ……神楽さま 」
火恋に向ける神楽の真っ直ぐな瞳は、
大切な娘を見送る優しい母のものだった。
「ありがとうごいます。神楽さま……」
「ええんよ。それが、母の務めやさかい」
「少しだけ、希望が見えた気がします」
「そうか。わても、話が聞けてよかったわ」
頭を下げる火恋に、神楽がニコッと笑って見せる。
すると、火恋は夜空の月に照らされながら、
神楽に胸を張り、笑って自分の言葉を返した。
「行ってきます、神楽さま……」
「行ってらっしゃい、火恋……」
火恋が神楽を一人残し、走って宿を駆け出して行く。
神楽はそれを見送ると、夜空の月を見て小さく呟いた。
「まるで、昔のわてを見ているようやわ。のぉ、『 虎の子 』よ……」
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