第玖話 【 灰夢の願い 】

 中間テストの宴をした夜、灰夢は子供たちが寝静まった後に、

 自分の部屋で一人、現代の高校の全科目を覚えようと勉強していた。





「…………」

「……狼さん」

「……ん?」


 静かに扉を開けながら、桜夢が顔を覗かせる。


「……どうした? 桜夢。眠れねぇのか?」

「ううん。ちょっと、聞きたいことがあって……」

「……?」

「……双子ちゃんと、ケダマちゃんは?」

「風鈴姉妹は、今日は言ノ葉の所に居るよ。ケダマは外じゃねぇか?」

「そっか。じゃあ、今は一人なんだね」

「あぁ……」


「なら、少しだけ、お話してもいい?」

「おう、別に構わねぇけど……」

「えへへ、ありがと……」


 桜夢は部屋に入ると、灰夢の解いていた問題を見つめていた。


「凄いや、全然分からない」

「まぁ、これは高校の範囲だからな」

「狼さん、こんな時間まで勉強してるの?」

「俺が先に覚えとかねぇと、効率が悪いだろ?」

「……でも、疲れちゃわない?」

「不死身に疲労はねぇんだよ。あとは、やる気の問題だ……」

「そうなんだ……」


 そんな話をしながら、桜夢が灰夢の隣に座る。


「……で、何を聞きに来たんだ?」


「…………」

「…………」


「……ワタシ、学校に行ってもいいのかな?」


「…………」

「…………」


「……行きたくなくなったのか?」

「ううん、そんなことはないんだけど……」

「なら、なんで急に……」

「だって、結構お金かかっちゃうでしょ?」

「そりゃな、タダで行けるような場所じゃねぇし……」

「なら、やめた方がいいよ」

「金のことなら気にすんな。学費ぐらい、俺がいくらでも出してやるよ」

「でも、ワタシは、ただでさえ住まわせてもらってるのに。その上、学校なんて……」

「子供が大人に甘えねぇで、どうやって生きていくんだっつの……」

「だって、ワタシは……」


 桜夢は申し訳なさそうな顔をしながら、静かに俯いていた。


「まだ、自分が罪人とでも思ってんのか?」

「そこまでじゃないけど、迷惑じゃないのかなって……」

「…………」


 俯く桜夢を見た灰夢が、そっとペンを置く。


「なぁ、桜夢。お前は文化祭に行って、どう思った?」

「それは、凄く楽しかったよっ! 二日目も三日目も、狼さんも来てくれたし……」

「それは『 来た 』と言うより、強制連行の方が近ぇけどな」

「白蛇さんも双子ちゃんも、みんな凄く楽しんでた……」

「だな。あいつらも、なかなか出来る体験じゃねぇし……」


「灯里ちゃんたちも、凄く羨ましがってたね」

「リリィや霊凪さんは品格が別次元だからな。女子高生じゃ勝てねぇよ」

「白蛇さんには、メロメロだったけど……」

「恋白は誰が見ても神々しいからな。あれもまた特別だ……」


 桜夢が思い出を語りながら、目をキラキラと輝かせる。


「勉強会もね、凄く楽しかったよ……」

「桜夢も小学生の範囲は、ほとんど終わったからな」

「それもそうだけど、みんなと一緒って言うのがね。楽しかったの……」

「……そうか」

「一生懸命勉強して、一緒に学校に行って、みんなでテストに立ち向かう」

「…………」

「そんな言ノ葉ちゃんたちを見てたら、少し羨ましくなっちゃった……」


 笑顔で想いを語る桜夢を見て、灰夢も静かに微笑んでいた。


「……そう、それでいいんだよ」

「……え?」

「『 羨ましい 』とか、『 やりたい 』時は、素直に俺に言えばいい」

「で、でも……」

「やめた方がいいと思えば、俺だって止める」

「……そうなの?」

「あたりめぇだろ。言っとくが、俺はあんま優しくねぇぞ?」

「……そう? 割と、みんなを甘やかしてると思うけど……」

「俺が手を貸したりするのは、それだけ価値があると思うからだ」

「……価値?」


 灰夢が開いていた教科書を閉じ、桜夢の目を見つめる。





「不死身の俺が言うと、あまり説得力はねぇかもしれねぇが、

 俺たちの人生は今を感じている、このたった一回しかねぇんだ。


 人生は、過去に得た経験を元に、そいつの未来が決まっていく。

 つまり、今、得られる経験によって、大人になった時のお前が変わる。



 ──それは、良い意味でも悪い意味でも、大きく人生を左右する。



 多くの経験から、何が正しくて何が間違っているのかを学び、

 お前が大人になってから、その経験を次世代へと伝えて行くんだ。


 人は何が得意で何が苦手か、何が好きか嫌いかが、人によって違う。

 そして、それは本人もやってみるまで、分からないことがほとんどだ。


 故に、多くのことを経験した、経験値の多い人生を生きたやつの方が、

 自分のやりたいことをやり、悔いのない人生を生きれる可能性が高い。


 桜夢は今まで、マザーに言われるがままにされて生きてきた。

 そのせいで、自分の意見が言えない部分があることは分かってる。


 でも、それは別に、お前がやりたく無くなってるわけじゃない。

 お前の中で、勝手に『 自分は許されない 』と思ってるだけだ。


 お前が本気で嫌だと言うのなら、学校なんか行かなくてもいい。

 あんなところは一生行かなくたって、別に死ぬ訳じゃねぇからな。



 それを選ぶのも桜夢自身であり、全てはお前の人生なんだ。



 今まで馴染んでこなかった道を歩むのは、必ず不安が付き纏う。


 だが、俺ら月影みたいに、外に出ることを諦めた奴らと同じような、

 生涯に残る後悔を、お前ら次世代の子供にはして欲しくねぇんだよ。



 チャンスがあるなら、掴んで欲しい。

 失敗してでも、挑む勇気を持って欲しい。



 今の俺らにはもう無い希望が、まだ、お前らにはあるんだから。

 その輝きを見る為なら、この程度のワガママぐらい聞いてやる。


 その先が挫折や失敗のしやすい道だと、俺が既に知ってるなら、

 その時はちゃんと、出来るだけ分かりやすく、お前に教えてやる。


 その上でも試してみたいと思うなら、その背中を押してやる。

 その時だってもちろん、ちゃんと最後まで傍で見守っててやる。



 ──失敗が許されない時は、俺が手を貸してやる。



 人生には時に、賭け事が必要になることも少なくない。

 そのせいで、世の中の人間は、リスクを恐れて諦める者が多い。



 ──だが、あらゆる事情に対して、可能性は0では無い。



 そこに可能性があるのなら、挑むことは何も悪いことじゃない。

 そのリスクに挑むことで、成功しても失敗しても、経験は必ず残る。


 そうやって人は成長し、新しい知恵や技術を知ることで、

 自らの選択肢を増やしていき、未来の自分を築いていくんだ。


 だから、何が良いことで悪いことかをちゃんと分かるように、

 今まで遊べなかった時間を取り戻すくらい、自分の人生を遊べ。


 確かに学校は、本来、勉強をしに行くところかもしれないが、

 それ以上に、人生の内で許された、楽しい子供の時間でもある。


 高校生なんか特に、徐々に多くの経験をすることが許される。

 世間の目からしても、少しずつやれることが増えてくる年頃だ。



 ──そんな、『 発見 』が多い時期が、楽しくないわけない。



 だが、その時間は本当に短い。過ぎてしまえば、もう戻れない。

 だからこそ、その限りある儚い時間を、無駄にして欲しくはない。


 俺ら月影たちにはなかった、その貴重で幸せな短い一時を、

 まだ間に合うなら、俺は心の底から味わって欲しいと思ってる。



 だからな、桜夢──」


























      「 俺の事を想うなら、悔いの残らない人生を生きてくれ 」


























   「 人生の最後に、『 ワタシの人生は最高だった 』って、


         大きく胸を張って、いつもの可愛い笑顔で笑っててくれ 」



























    「 何も叶えられずに、灰になっちまった俺の夢に、


            お前が代わりに、桜の花を咲かせてくれないか? 」


























                「 それが── 」



























       「 俺がお前桜夢に求める、たった一つの願いだから── 」



























                 その瞬間──



























       ──桜夢の作っていた笑顔が、溢れる涙と共に崩れた。



























           「 ……おぉ、かみ……さん…… 」


























 涙目で見つめる桜夢に、灰夢が優しく笑いかける。


「その作り笑いも、少しずつ減らしていけるといいな」

「……なんで、バレてるの……? おおかみさんの、ばか……」

「バレバレだ。甘えるフリも、無理して強がってるのも、全部な……」


「……なんで、おお、かみさん……。心、読めない……はず、なのに……」

「お前のことを見てりゃ、バカでもわかるっつの……」

「なんで、ワタシの……ことなんか、見てるのさ……」

「あたりめぇだろ。これでも一応、お前の先生をしてるんだから……」


「……おお、かみさん……の、えっち……」

「おい、それは意味が変わるからやめろ」

「ほんとに、バカだよ……」

「知ってるよ。あと、バカはお前もだ……」


 灰夢が言い返すほどに、桜夢の涙が溢れていく。


「なんで、なんで……ワタシ、なんかの……人生、気にしてんの……」

「俺が気にしなかったら、誰が気にしてやるんだよ」

「いつもは、素っ気ないくせにさ……」

「あれは、人生に必要ねぇ事だからだよ」

「こういう、時は……ちゃんと、優しくしてさ……ズルいよ。狼さん……」


「こういうズルい大人にならねぇように、ちゃんと勉強しねぇとな」

「そんなの、無理だよ……。だって、ワタシの先生……狼さん、なんだもん……」

「確かに、それは否定できねぇな」

「本当だよ。ワタシの人生の……一番の、汚点だよ……」

「マザーよりもかよ。それはまた、ひでぇ言われようだな」


 灰夢が呆れ顔で笑いながら、涙目で微笑む桜夢を撫でる。


「だからさ、狼さん……」

「……あ?」


























           「 ……ちゃんと責任、取ってよね 」



























                「 ……は? 」


























          その言葉と共に、桜夢は灰夢を押し倒した。


























「あの、桜夢さん……?」

「……ん? 何? 狼さん……」

「あの、なんで俺の上に乗って、服を脱ぎ始めてんだ?」

「えへへっ……。責任、取ってもらうの……」

「なぁ、高校生になるんだから、純潔ぐらいは守ってくんね?」

「……ダメ?」

「……ダメ」


「でも、ワタシ……狼さんが押しに弱いの、知ってるんだぁ……」

「俺も、『 やめた方がいい時は止める 』って、言ったよな?」

「でも、『 ヤリたい時は言ってくれ 』って、言ってくれたよ?」

「そんな言い方はしてねぇよッ! 勝手にカタカナ変換すんなッ!!」


 服を脱いでいく桜夢の手を、灰夢がガチッと掴み止める。


「むぅ〜っ! 狼さんが、『 子供は大人に甘えろ 』って言ったのにっ!」

「それは、お前のに必要なことの話で言ったんだよッ!」

「必要だよ、狼さんも。ワタシの一生を捧げようと思ってるくらいにね」

「お前、実はメンヘラとか、そういうパターンじゃねぇだろうな?」

「……知らないの? 女の子って、みんなメンヘラなんだよ?」

「…………」

「今、ちょっと納得したでしょ〜?」

「こいつ、調子に乗りやがって……」


 ニヤニヤとしながら、桜夢が灰夢の顔を覗き込む。


「桜夢さんのヤル気スイッチは、既に入っちゃいました」

「俺の押したスイッチは、勉学に励むスイッチのはずだったんだが……」

「狼さん、スイッチ間違えちゃったねっ!」

「みたいだな。今からやり直すから、リセットボタンを押させてくれ」

「できません、人生にやり直しは利かないのですっ!」

「こういう時だけ、まともなこと言ってんじゃねぇよッ!」


「だってぇ〜、狼さんがワタシの枷を外したんやもんっ!」

「今、お前が外れてるのは枷じゃねぇ。理性だ……」

「どっちも同じだよ〜っ!」

「全っ然ちげぇよッ!!!」


 灰夢が引き剥がそうとするも、桜夢は怪力でしがみついていた。


「なら、ワタシの初めて、貰ってくれないの?」

「それを貰ったとして、今後どうする気なんだ。お前……」

「……え? どうもしないよ?」

「このまま一つ屋根の下で、一緒に暮らしていけるのか?」

「いけるよ、もちろん……」


 そう答える桜夢を見て、灰夢は引き剥がすことをやめる。


「……あっ、そう。なら、別にいいか」

「……ふぇ?」


























        ──そう呟くと、今度は灰夢が桜夢を押し倒し返した。


























 突然の立場逆転に、桜夢の目が泳ぐ。


「えっ、あの……お、おおかみ、さん……?」

「……なんだ?」

「なんで、急に……ワタシが、下に……?」

「……ダメなのか?」

「いや、ダメじゃ……ない、けど……」

「こっちの方が、お前を食べやすいんだよ」

「──ふぇっ!?」


 その言葉に、桜夢の顔が一瞬で真っ赤に染った。


「なんだよ、喰っていいんだろ?」

「い、いいけど……。その、急過ぎて……。びっくりというか、えっと……」

「そんなに尻尾をバタつかせんなよ。下に響くだろ……」

「ふあぁあぁあぁあ、だ……だめぇ、尻尾は……握っちゃ、だめぇ……」

「じっとしてろ、桜夢……」

「ま、ままままま、まってまってまってっ!」

「……あ?」


 尻尾を掴みながら顔を近づける灰夢を、桜夢が慌てて止める。


「あの、その……。ごめんなさい、でした……」

「……何を謝ってんだ?」

「いや、えっと……その、あの……」

「なんでもねぇなら、じっとしてろ」

「ま、まま、まままま、まってまってまってっ!!!」


 灰夢が構わず顔を近づけると、桜夢は慌てて体をくねらせていた。


「はぁ、なんだよ……」

「え、えっと……。あの、その……」

「……あ?」


 部屋の外まで聞こえそうなくらい、桜夢の鼓動が響き渡る。


 取り返しのつかない状況になったことを理解しながら、

 それでも何とかしなければと、桜夢が慌てて回避方法を探す。


 そんな桜夢の表情を、灰夢が何食わぬ顔で見つめる。

 すると、桜夢は口を尖らせながら、突然、言葉を発した。


「……ご」

「……ご?」

「……ご、ご……ご、ごご……」

「なんだよ、はっきり言ってみろ」

「……ご、ごごご……ご、ご……」

「…………」

「ご、ごごご……ごっ、ごご……」

「お前、壊れたラジカセみてぇになってんぞ?」

「ごご、ご……ご、ごご……」

「……あ?」

「ごごご、ご……ごご、ごごご……」

「だから、何を言って……」

「──ごめんばってぇぇぇぇぇんっ!!!!!」

「グハッ──」


 突然、目を瞑りながら、桜夢が灰夢に頭突きをする。


 その衝撃で吹き飛んだ灰夢が、仰向けに倒れ込むと、

 桜夢は逃げるようにして、自分の部屋へと帰っていった。


「…………」


























 残された灰夢が、一人で静かに天井を見つめる。


       危機の去った安心感と、心に残る孤独と虚無感。


             そして、高鳴る鼓動だけが部屋に残されていた。


























「はぁ……。老骨にこれは、高血圧待ったナシだな……」


❀ 第拾伍章 知識の壁と中間テスト 完結 ❀

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